橋本治 「橋本治が大辞林を使う」

   [三省堂 2001年10月20日初版]


 これも初めて読んだ。こういうタイトルの本だが、大辞林という辞書の話はあまりでてこなくて、もっぱら話は、橋本治における言語の習得という方面について。
 橋本治がなぜ歌舞伎に興味をもったのかということがよくわからなかったのだが、これを読んでようやく納得できた。橋本治は東京山の手育ちでありながら、標準語にどうしてもなじめないものがあり、それが鶴屋南北を知って、はじめて自分の生理になかった生活感情をともなった言葉にであったというようなことらしい。学生運動になじめなかったのもその使用言語が自分の生理にまったくなじまないものだったからということのようである。橋本によれば、学生運動社会主義の言語は、その言葉を用いれば一定の地位を保てるというものであり、それを嫌ったのだという。正しい日本語を使うという運動は容易に「支配階級の一員になる」につながるのだという。
 日本の近代は「西洋の文明を取り入れなければならない」必要からきた人為の時代であったのであり、橋本はその人為に生理的になじめないものを感じ、人工的な標準語ではない生活と地続きの言語として江戸の歌舞伎の言語を発見したという経緯のようである。西洋は頭であって、言葉は肉体である。橋本治は言葉を目からではなく、耳からとりいれた人間なのである。
 橋本によれば、現代の敬語は、身分の上下をあらわすのではなく、人と人の間の距離を表すものである。敬語があるからといって、そこに尊敬があるわけではなく、あるのは人の間の一定の距離だけなのである。
 若者が使う「うざい」という言葉がある。これは何かが過剰に接近してきて不愉快であるということをさす。これは若者たちの間で適切な距離をおく人間関係がないからである。

 自分のことを考えてみると、標準語への違和感などというものを感じたことはまったくなかった。わたくしはもっぱら言葉を目からとりいれた人間であり、耳は遊んでいたのだと思う。ある時期、福田恆存にいかれていたことがあり、「私の国語教室」などを読んで、正しい日本語、歴史的仮名遣い、正書法などということ考えていたこともあるから、つくづくと橋本治のたどってきた道とは違う道をきたのだなと思う。
 それでも観念的なものへの反発ということはあって、これは橋本治の標準語への反発とどこかで通じるものがあるのだろうと思う。それは観念論が生活感覚から離れているからだめというようなことではなくて、観念論というのが人間を買い被りすぎているとしか思えないからである。人間の頭なんて、そんな大したものではないよ、ということがあり、そうすると頭より肉体という橋本の路線とどこかで通じてくるのであろう。
 橋本の使う、近代−ポストモダン、と吉田健一の近代−現代もどこかで通じているのではないかと思った。橋本のポストモダンは江戸に通じるのだし、吉田の世紀末は18世紀に回帰するのだから。
 ごく大雑把にいえば、西欧近代というのはどうかんがえても異常な時代であったのだということであるが、その克服のための処方にはさまざまなものがあるということなのであろう。