橋本治 「広告批評の橋本治」 その4.「いやみな文学史」


 とんでもない論である。作家を東大出かどうかで分類する日本文学史などというものがかつてあっただろうか?
 芥川龍之介森鴎外夏目漱石谷崎潤一郎もみな東大出である。これらは日本文学史の異端である。だがこういう作家だけが東大出ではない。なんでもありである。プロレタリア文学から宇野鴻一郎まで、私小説上林暁)も太宰治も。さらには大宅壮一花森安治も。ただし、東大出の作家には、自然主義の作家は少ない。
 近代文学史から、森鴎外夏目漱石志賀直哉武者小路実篤谷崎潤一郎芥川龍之介、川端構成の7人の東大出を除いたらがたがたである。残りは自然主義私小説である。そして、その自然主義私小説文学史の本道になっているのである。とすれば、近代文学史は「東大出対自然主義」である。
 日本近代文学史では浪漫主義から自然主義への発展ということがいわれる。これはヨーロッパでも同じである。しかし、ヨーロッパでは、浪漫主義と自然主義はべつの人々が担った。ところが日本では同じ人が、浪漫主義から自然主義へと移行したのである。浪漫主義は主観、自然主義は客観。
 自分が好む波乱万丈の物語から、他人の貧乏・悲惨の話へ、がヨーロッパでの移行なのであるが、日本ではエモーショナルに自分を語るから、エモーショナルに自分の貧乏悲惨を語るなのである。自分のロマンチックな恋愛から自分のみっともない恋愛の無残へと対象がかわるだけである。日本の自然主義は他人を描かず、リアリズムではない。
 国家主義の近代で、抑圧された若者が、自分の内部にある抑圧を叫びたいのは当然である。しかしそういう彼らは貧乏であり、彼らの書くものは、ヨーロッパの金持ちの坊ちゃんの遊びであったロマン主義とは、ぜんぜん違ったものであった。叫んだあと、自分が貧乏である悲惨に気づく。この悲惨とは、貧乏の悲惨と解放されない性欲の悲惨を同時にふくんでいる。だから日本の自然主義は、自分よりさらに悲惨な娘と、性的に悲惨な自分の恋物語となる。その典型が島崎藤村
 「まだあげ初めし前髪の・・・」の浪漫主義から、差別される苦悩を描く客観「破戒」をへて、自分とその周辺を書く自然主義の大家へ。島崎藤村はリアルで等身大の「近代の青年」だったのである。
日本の文学ではあるときから、作家の生き方だけが問題にされるようになる。
 日本では、本来近世近代の都市の文学であるはずのエッセイを平安時代の女が書いたり、万葉集の時代に地方の農民が和歌を詠んでしまったというように、とんでもない文学の歴史がある。そういう歴史にもかかわらず、近代とそれ以後の文学史がはっきりとわかれているのが悲劇である。近代以前の作家の人間性などはぜんぜん問題にもされない。ひょっとして近代以前には、”人間”はいないとおもわれているのかもしれない。
 文学は近代になってはじまると思われているのである。近代=西洋偏重の世界観。だが、近代からあとでも西洋を志向する文学とそうでない文学がある。前者を近代文学、後者を大衆文学と呼ぶ。近代を必要としない人間はあいかわらず江戸時代以来の感覚で生きて、講談に熱中した。そこから大衆小説もでた。だから大衆小説の多くは時代小説なのである。
 一方、文学史は、作家という選ばれた人間がどのようにして近代を達成したかばかりを気にするから、大衆小説は位置付けようがない。吉川英治と違って、大仏次郎鞍馬天狗ばかりでなく、パリコミューンも書く人間であることによって文学史のなかに位置付けうることになる。吉川英治は近代を志向しない。大仏次郎は志向する。
 日本の大衆とは近代を必要としない人の言いである。そして大学とは近代の必要性を感じない大衆に満ちたこの日本に近代を普及させるための橋頭堡であった。
 戦前、大衆は大学の意味を理解しなかった。しかし戦後それが変わった。大学出なら出世できるというのがその理解である。
 日本の近代文学史は”彼はいかに苦悩したか?”だけである。戦前の近代とは、ほとんど自分ということと同じである。文学で重要なのは腕ではなく志。志とは、”自分は近代の達成を目指します”、ということである。
 志賀直哉は家父長的な男権主義者の理想のゴールであった。家父長が否定される近代であるのに。
 戦前の日本の学校制度は現在の6・3・3・4制のように一貫したものではなく、初等教育と高等教育の体系がまったく別立てであった。つまり底辺を支える人のための教育と日本を指導するひとの教育がまったく区別されていた。
 戦前の教育の普及とは、初等教育の高級化と、高等教育の一般化である。高等教育である大学は自前の予科をもっていたので中学卒業で入れた。
 日本の大学は近代化の必要のために作られた。とすれば、近代化が達成されれば、もう大学などいらないことになる。あるいはエリート養成のための大学から高度な教育の場へ。
 しかし、戦後”民主主義”が導入された時点から学歴社会は始まるのである。すべての人がエリートになるべきであり、なれるという考え。
 日本が西洋に追いつけたと思った時点で、西洋と手を切り、国粋主義に走った。その時点でもあいかわらず大学は国家の方向に追従した。これをみれば大学は近代化をめざすためのものではなく、国家の政策に合致したエリートの養成のためのものであったことがわかる。
 しかし民主主義はその方向にそってエリートを養成するという思考にはなじまない。国家は口を出しにくくなる。その隙間を大衆が動かしたのである。
 戦後の国民は、学校こそが民主主義の達成であると思った。誰でも平等に出世できる、そのためには学歴を手に入れるということである。
 近代化で一番大切なことは、「人間は自分の頭でものを考えられなければおしまいだ」である。それなのに、明治初頭の段階で”西洋並みの科学技術”を目指しすぎた。
 そして戦後、民主主義と国家主義は相容れない、国家にゲタを預けすぎてはいけない、ということが十分に理解できなかった。
 そして、今になっても「人間は自分の頭でものを考えられなければおしまいだ」がピンときていない。
 さて、夏目漱石志賀直哉武者小路実篤谷崎潤一郎芥川龍之介小林秀雄三島由紀夫に共通するものは? 東京出身の東大出。かれらは幼児を過ごした東京でそのまま大学にいけた。そういう人間にとっては東京大学も、立身出世の場ではなく、身近で月謝も安い大学というだけなのである。
 一方、幼児期の自分と青年期の自分を切り離して、青年期の自分だけで東京大学にいく人間もいる。
 三島由紀夫は東京出身の東大出だが、小学校から学習院に通っている。地域から切り離されたのである。それがいけなかった。

 と要約してきたが、何だか論旨が今ひとつみえない。中村光夫的な私小説批判と、日本の国家主導の近代化、その中に組み込まれた学校制度の問題という二つの問題がうまく溶け合わないままに併置されている印象である。
 自分のことを考えると学校という制度に根源的な疑問を感じたことはなかったように思う。ただ受験勉強をしていて、本来学問の場であるべき大学に進学する目的が学問をしたいからではなく、将来の思惑であることが見えているようですっきりしない感じがあった。
 医学部を選んだ理由のひとつが、医者になるには大学にいかねばならないので、大学進学が正当化できるので、大学にいくことに後ろめたい思いを感じずにすむということがあったように思う。医学部に進学することが目的であったので、地方に住んでいれば地方の大学の医学部を目指したのではないかと思う。たしかにわたくしの場合は地場の大学として東大を目指したのであって、それに学費が安かったことも間違いない。入学金一万円。授業料が月千円ではなかったろうか?
 橋本治が地場ということにこだわるのは、幼児の環境との連続のなかで生育することが大事であるという氏に特異な感覚がある。一般に青春というのか思春期というのか、そういう時期に考えることというのはあとから考えれば滅茶苦茶としかいいようのないもので、それが幼児期の体験、橋本流にいうならば原っぱの体験と連続することはまずないように思う。原っぱの体験は何らか肉体的なものであるのに対して、青春時代はひたすら頭になるのである。それでありながら”性”という肉体の問題があるのだから、思考が支離滅裂になるのは必定なのかもしれない。そしてその支離滅裂からどうにか回復してくることにより、ひとはそれぞれの人になってゆくのであるが、それはようやく30歳を過ぎてであることが多く、気がついたら結婚したりしていてすでに制度の中に組み込まれているのである。
 橋本氏というのはそういう点で稀有な人で、幼児期の体験あるいは高校受験時代の体験といったものがすべて連続して現在の氏を作っている。絶対に観念が勝たない特異な体質の人なのである。そしてその体質が感じる周囲への違和に徹底的にこだわって、それを理論化してきた。養老孟司などもそうであるが、養老氏を駆っているのも氏が周囲に感じる違和なのである。何か変、という感じはある点で幼児的なものなのであるかもしれない。その感じを飼いならしてしまうのが大人なのかもしれないが、そういう点で橋本氏も養老氏も子供なのである。
 たいていの人は仮面紳士か逃亡奴隷になる。日本の自然主義の文学は逃亡奴隷による文学であった。橋本治の特異な点は、決して逃亡奴隷になることはなく、自分は少数派であっても、自分は正しいとして、部分の考えの啓蒙を愚直に続けている点にある。仮面紳士にもならないのである。シニックからもっと遠い点で思考している。
 養老氏もまた愚直に自説を述べ続けている。「バカの壁」がベストセラーになったのは何かの間違いであるとしても、橋本氏の「上司は思いつきでものをいう」などがそこそこ売れているということは、彼らが日本はおかしいぞとい続けてきた言説がいくらか浸透しだしているということかもしれない。
 おかしいことの原点はムラ社会である。それがようやく揺らぎだしている。明治文学の自然主義ムラ社会への反抗であった。近代というのが”個人”の自立への方向であるとしたら、自然主義の文学はまさにその反映であった。しかしその”個人”がムラから孤立してばらばらになるのではなく、ムラ社会とは異なる別の”かかわり”をつくっていくこと、それが橋本の主張することである。
 日本の大学とくに東京大学は、近代化という”考える個人を作る時代”の要請にこたえたものでありながら、ムラ社会的国家を維持する人間を養成することをめざすというまったく背反する目的を担わされた組織であった。そしてとにもかくにも近代化が達成され、もはや国家が主導してなにかをするということは必要とされない時代になってきているにもかかわらず、いまだに、国家が方向を決めてくれると信じているひとが多くいる。東大法学部などというのはいまだにその残滓をひきずっている。
 そういう大学の問題と文学とくに自然主義文学との問題というのはある関連性をもっていることは間違いないが、ここではそれがやや強引に結合されていて、いささか説得力に欠ける。二つの論文にわけたほうがよかったのかもしれない。


(2006年5月7日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)


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