新井潤美 「階級にとりつかれた人びと 英国ミドル・クラスの生活と意見」

   [中公新書 2001年5月15日初版]


 小谷野敦の「すばらしき愚民社会」で紹介されていた本。
 イギリスは上流社会と労働者階級の間にミドル・クラスがあるが、それは、アッパー・ミドル・クラスとロウワー・ミドル・クラスにわかれ、前者は上流階級に近いが、後者は労働者階級と同じに扱われるのだという。
 そしてローワー・ミドル・クラスの上昇志向はつねに嘲笑の対象になってきたのだという。いわばローワー・ミドル・クラスはスノビズムの権化であったわけである。
 ところで日本は一時総中流社会などといわれていたが、上流階級志向にようなものはまずみられなかった。というよりも上流階級などというのは(かりにあっても)とりすました鼻持ちならない人種であって、そんなものにはなろうとも思わないというスタンスであった。みんなヴィトンのバッグの一点豪華主義以上のものはもとめないのである。
 それにくらべると英国は、階級が確固としてあり、上への憧れが強い。フォースターの小説などさまざまな英国文学の例が引かれているが、こういう階級社会の背景を知っていないと、英国の小説は理解できないのだな、ということをあらためて痛感した。
 誰かが吉田健一の小説の種本はウッドハウスであるといっていたが、ウッドハウスはまさに英国階級社会そのものを書いた小説家なのである。大学の教養課程の英語でウッドハウスの短編を読まされたが、なんでこんなどたばた喜劇みたいな小説を読ませるのだろうと思った(それにおそろしく難しい英語だった)。そういう文化背景がわからなければわかる小説ではないのである。
 吉田健一は牧野顕伸がおじさんという戦前の日本上流社会の中にいたひとだから、独特の階級意識をもっていたひとであった。三島由紀夫の最大の間違いは日本に貴族社会があると誤解したことにあるというのが、吉田健一の三島評である。
 つくづくとわたしは平民であるなと、本書を読んで思った。