中井久夫 「精神科治療の覚書」

  [日本評論社 からだの科学選書 1982年4月20日初版]


 1982年に出版された本。今から22年前、わたくしが35歳ごろである。精神科というよりもほとんど分裂病統合失調症)の治療を論じた本であるが、ひろく臨床一般に通じる本である。刊行当時はまったくこの本のことは耳に入ってこなかった。当時すぐにに読んでいれば少しは自分の臨床もましになっていたであろうかと残念に思う部分もあるが、その時読んでも全然ぴんとこなかったかもしれないなとも思う。計見氏の「統合失調症あるいは精神分裂病」も、熊木氏の「精神科医になる」も、その核心部分はすでに中井氏によって論じられてしまっている。天が下、新しきことなし。
 いたって記憶力が悪いので、中井氏のことをはじめて知ったのがいつであるかはっきりしないが、おそらく書肆風の薔薇から刊行された「吉田健一頌」のなかの丹生谷貴志氏の「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」でであったと思う。そうだとすれば1990年のことである。この不思議な題名の吉田健一論は中井氏の分裂症発症臨界期を論じた論文「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」を中核にすえたもので、わたくしが今まで読んだ吉田健一論としてもっとも説得力に富むものであった。(あとは同じく丹生谷氏の新潮社「吉田健一集成5」の月報<解説>の「獣としての人間」)
 この本で同時に丹生谷氏のことも知ったのであるが、そこで紹介されていた中井氏のきわめて精緻な分裂症患者の症状記載の印象も鮮烈であり、それで中井氏の名前が記憶に残った。
「精神科治療の覚書」は数年前に再刊された「看護のための精神医学」の類書であり、実際共通する表現もみられる。(「医学の力で治せる病気はすくない。医学は依然としてきわめて限られた力なのだ。しかし、いかなる重病人でも看護できない病人はほとんどいない。」) 病人とはどういう存在なのかについて徹底的に書いてある本である。どんなに医療機器が進歩しても、病人であるというのがどういうことであるのかということについては変ることがない。
 しかし、この本が書かれる少し前のころから、医療の場においては画像診断技術が急激な進歩をとげた。CT・MR・超音波などが医療の世界を一変させた。それと平行して薬理学基盤がはっきりとした薬も登場してきた(H2ブロッカー、Ca拮抗剤・・・)。医療行為が名人芸的な匙加減から、誰にでもできる平凡なものに変わってきた。そのこと自体は悪いことではない。しかし名人芸の時代には利用できるものはすべて利用しなくてはならなかったから、医者−患者関係も重要な治療手段となっていた。しかしそんなものに頼らなくても、効く薬を出せばいいじゃないかということになった。患者さんからみても医者は神秘的な存在ではなくなり、薬をくれるだけの人になった。それもまた悪いことではないのだが、双方にとってただ病気があるだけになってきたこともいなめない。
 そういう時に本書を読むと、何か忘れていた大事なものをあらためて思い出すような感じがする。著者がいう「心の生ぶ毛」だろうか? 医療者の仕事は患者さんの「心の生ぶ毛」をすりきらせないようにすることであり、医療者も日々の仕事の中で自分の中にある「心の生ぶ毛」をすりきらせないようにすることが大事である、と。そういう観点からみると、現今の医療はどうだろうか?
 中井氏は、「医者ができる最大の処方は(願わくは空疎でない)”希望”である」という。インフォームド・コンセントの名のもとに、あなたの余命は半年、長くて一年です、などという宣告があっけらかんと行われていることはないだろうか? そのフォローも何もなしで。
 大学時代の臨床講義は、詳細な病因論と病態生理の解説のあと、最後に一行、治療:有効なものなし、というようなものが多かった。その時に比べれば、はるかに有効な治療法は増えてきているけれども、医療の場はそれほど変わっているとも思えない。あるいは「病気」への有効な手段が増えたことによって、かえって「病人」は放置されるようになっているかもしれない。
 本書にある、患者・家族あるいは患者の雇用者への説明の仕方、具体的な言葉づかいなど、一々もっともことばかりで、自分が日々なんと無神経に臨床をしているのだろうと、反省しきりであった。そういう有能な臨床家であると同時に、日々詳細に統合失調症の経過を観察することにより、統合失調症は治る病気である、タイミングを失せず有効な介入をすれば治る病気であるという疾病理解、治療理論をも出してくるわけである。世の中にはすごい人がいる。
 そういう氏は同時に「現代ギリシャ詩選」「カヴァフィス全詩集」「若きパルク」などをギリシャ語、フランス語から訳して出版している。その幅の広さの根底には、「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」に通ずる何かがあるのかもしれない。医学とはまったく離れたことをすることが、精神の平衡を保つのに必要なのであろう。ここまで患者にふかく付き添う人には、そういうことが必要になるということであろうか?


(2006年4月23日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

精神科治療の覚書 (からだの科学選書)

精神科治療の覚書 (からだの科学選書)