浅間里江子 「それでいいのか蕎麦打ち男」

  [新潮社 2005年9月25日初版]


 まあ、どうということはない本なのであるが。団塊世代論である。わたくしも昭和22年生まれなので団塊の世代の一員ということになるらしい。
 さて、表題のごとく団塊男は蕎麦を打つのだそうである。そして、会社をやめて蕎麦屋をやりたいなどといいだすのだそうである。あるいはNPO。さらには陶芸。世界遺跡めぐり。あるいは、もう一度、燃えるような恋がしたい。それならば団塊の女は? 本当は自分はこんなはずではなくて、このままで終わるのはいやだと叫んでいるのだそうである。あとは旦那をすてて孫命。
 わたくしの周りを見て、蕎麦を打つ男はいないが料理をする男はいる。NPOはいない。陶芸も男はいない。世界遺産めぐりはもう少し先輩がやっている。燃えるような恋ねえ? 「失楽園」がいいといっているのは女のほうのような気がする。
 とにかく世代でくくって何かをいうというのが無茶なのであるから、ここで書かれていることをあまり真面目に受取ることはないのであろうが、まあ蕎麦を打ったりNPOにはじめたりして早々と現役をおりるのはよくないというのは確かであろう。というかここでいわれていることはほとんどそれに尽きるのであるが、現役でありつづけるためには、団塊であることを利用して塊であり続けろなどという無茶な主張をしている。われわれの世代は人口が多いということはあっても、かたまってなにかをしているというようなことは今でもないように思う。一人ひとりが自分で工夫して生きるしかないのである。
 実は本書で一番面白かったのは蕎麦打ち男のところにでてくる蕎麦屋の開業の話である。趣味ではじめた蕎麦打ち男はいつか仕事をやめて蕎麦屋を開きたいなどといいだす。しかし「上野藪蕎麦」の当主は、そんな趣味では蕎麦屋はできぬという。いくら蕎麦打ちがうまくても駄目、汁もつくる、天ぷらも揚げる、デザートもつくるみんなできなくてはならない。そういう蕎麦打ち男ではなくても、その気があればまったく経験のない人でも本気で商売としてやっていく気さえあれば一月の養成講座で蕎麦屋が開けるのだそうである。要はやる気であると。資金計画から、厨房の設計設備、仕入先の知識、種々の蕎麦の作り方、簡単な一品料理の作り方、すべてが必要と。趣味の世界は社会との繋がりがない。商売の世界は社会の中にある。その違いである。要するに社会から降りてしまってはいけないということである。
 ところでわたくしの勤め先の近くにも、かなり凝った蕎麦屋がある。普通の蕎麦屋ではでてこない蕎麦を出すがかなり高い。メニューを見てもデザートもないし一品料理もない。蕎麦だけである。最初、椅子が数ヶの小さな店だったが、それなりに有名になってきたらしく、少しづつ店が広くなってきている。単なる趣味ではなくて主張がある店であればいいのであろうか? それとも背景に周到な資金計画などがあってのことなのだろうか? ご主人が団塊世代の蕎麦打ち男出身でなさそうなことだけは確かであるが。


(2006年4月1日ホームページより移植)

それでいいのか 蕎麦打ち男

それでいいのか 蕎麦打ち男