井沢元彦 「ユダヤ・キリスト・イスラム集中講義」

 [2004年11月30日初版]


 同じ著者の「仏教・神道儒教集中講義」が面白かったので読んでみたのだが、こちらの方が先に刊行されている。
 ユダヤ教キリスト教イスラム教の相互関係についての簡単な解説があったあと、それぞれの立場を代表する人間と井沢氏の対談があり、最後にアメリカに住む無信仰に近い人のアメリカの宗教事情への見解を述べた手紙を付す構成になっている。
 さすがにユダヤ教キリスト教イスラム教の相互関係については既知のことがほとんどであまり教えられることはなかった。
 だから対談部分が肝なのであるが、まずキリスト教代表がアメリカのテレビ伝道師である。そこでの話は、井沢氏も書いているように日本人からみたらカルト宗教の主張ではないかというような内容である。しかし合衆国2億5千万のうち確実に5千万人(キリスト教福音派信徒)は、堕胎をする人間はサタンの手先であり、自分はそういうことに反対しているから天国にいけると信じているいるのであり、そういう人たちはブッシュ大統領が堕胎に反対しホモセクシャル同士の結婚を認めることさえなければ、ブッシュが何をやっても支持するのであり、そして何よりも怖いことはブッシュ大統領自身がそういうカルト宗教的なことを信じていないとも断言できないことなのである。実はアメリカを決めているのは中西部と南部なのであり、われわれがイメージするアメリカは浮き草としてのアメリカ東部なのかもしれないのである。ウッディ・アレンなどは恥ずべき地獄に落ちる人間であるとする人間が多数派なのであり、そういう人間が「エクソシスト」にじっと見いっているのかもしれない。それにしても、わたくしのアメリカ南部の知識は「風と共に去りぬ」だけであるのが恐ろしい。そこではク・クラックス・クランでさえもが文明として描かれていた。
 ユダヤ教代表はユダヤ教のラビである。こちらはインテリである。相当に柔軟で、原理主義的な雰囲気はない。このラビもいうようにユダヤ教ユダヤ人の生活規範そのものでもあるので、うわついたところはない。その言っていることに同意はできなくても理解はできる。
 イスラム教の代表はスーダンの駐日特命全権大使。これまたインテリである。この人のいうことも理解はできる。
 問題はイスラエルに、あるはさまざまなイスラムの国の中に、ここでユダヤ教イスラム教について学問的あるいは政治的に冷静に論じている人たちとは違う、もっと原理主義的な人もたくさんいるのではないかということである。その点で、キリスト教の代表にどちらかといえば原理主義的な人間を選び、巻末にそれを批判する人間の文章を付すというやりかたはアンフェアなのではないかという気がする。
 ユダヤ教はエホバのみを信じる。キリスト教はそこに父なる神、子なる神、精霊なる神の三位一体というきわめてややこしい(信じない人間からみれば苦し紛れとしかいいようのない解釈)考えを持ち込む。
 ムハンマド預言者であって神でないから、キリスト教のようなややこしさは生じないが、イスラム教でも、ユダヤ教と同様にイエスの神性を否定する。
 そしていずれの宗教においてもただ一つの神(エホバ)が信じられているはずなのに、相互の間でいつ果てるともない争いが続く。争いながらも、エホバを信じないものは論外として無視されてしまう。
 ヒュームやアダム・スミス、ギボンが活躍したのは18世紀である。現在はすでに21世紀に入っている。人間は退歩しているのであろうか?
 つくづくと一神教というのはいやなものであると思う。ユダヤ人がエホバという神を作り上げたことは人類最大の不幸なのではないかとも思う。しかし、同時にそれがなければ、科学もたぶんなく、芸術も今とはまったくことなったものとなってしまっているだろうこともまた確実である。ユダヤの神が発明されていなければ、いまだに古代からの王国が連綿と続いていたのではないだろうだろうか?
 それとも、古代中国にすでに孔子が出現し、日本にも万葉集があり、平安時代にあれだけの文学が書かれたのだから、世界はもっと文明化していたのであろうか?



(2006年4月1日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)