橋本治 「ひろい世界のかたすみで」

  [マガジンハウス 2005年10月20日初版]


 橋本治の雑文集である。自分でも「あとがき」に書いているように、「なんだ、このガチガチの内容は?」であり「なんだ、この一般性のなさは?」である。「国家」とはなにか?というとんでもない論文から、薩摩琵琶の台本である「城壁のハムレット」「嶋の為朝」「実録高田馬場」「日本海海戦」まで、なぜそれが一冊の本の中にまとめて収められているのか、わけがわからない。
 第一、薩摩琵琶台本にしてからが、題材が滅茶苦茶である。源氏物語から堀部安兵衛の仇討ち(これは琵琶の台本というよりほとんど講談)、日本海海戦まで、そこになんの関係があるのかというようなものである。
 「桃尻語訳枕草子」から「窯変源氏物語」「双調平家物語」まで、どうもこの人は頼まれたらなんでもやるのではないかと気がしないでもない。そうであっても結局は全部自分の仕事にしてしまう、つまり現在と関連づけ、現在における位置づけを明確に示していまうわけではあるが。
 橋本氏は、何か作家というより職人とでもいうようなところがどこかにある。氏が日本の作家という枠にどうにもおさまらないところがあるのは、近代の作家に期待される「個」のありかたと微妙にずれた位置にいるからではないだろうか?
 どこかに前近代の部分をもった人であることは間違いない。前近代+現代というのが橋本氏であるように思われる。不思議と近代の毒を感じさせない人なのである。罪の意識というようなものとは無縁の人のように思われる。作家というのは近代の毒からいかに逃れるかということに苦闘しているような人ばかりであるから、最初から近代の毒に免疫をもっているように見える橋本氏が作家=インテリとしては異様に見えるのである。
 最初のほうに山田風太郎を論じた文章がある。主として明治物を論じているのであるが、それらの主人公が「時代に取り残された男達」でありながら、敗者にならず傍観者にならず、負けを覚悟で正義にむかっていく、といっている。これはひょっとして、橋本氏自身のことをいっているような気がしないでもない。「時代の取り残されている」としても、時代が正しいとは言えなのだから、取り残されたままで頑張っていると、いつの間にか時代の先頭にいるというようなことである。橋本氏は前近代的なところがあるから、ある時期、近代とは掛け違っていたのではあるが、近代の方がぼろぼろになってしまったので、いつの間にか、時代の最も先端的な批判者となりえているというような構図である。
 それを一番よく示しているのが真ん中部分の「個人的な歴史」という部分におさめられた文章のいくつかである。それによれば1965年1月8日に氏の人生が変わったのだそうである。それは氏が通学していた都立豊多摩高校の2年生の3学期が始まった日であり、その日、まわりの学生たちはいきなり受験モードに入ってしまった。そういう変わり身の早さとまったく同じことが、1968年の大学闘争の時にもおきたという。その時の氏は東大教養学部の学生であり、例の「とめてくれるな・・・」の駒場祭のポスターで“有名人”になっていたのであるが、まわりでおきている“政治”が理解できなかった。そういうものが“いや”なのである。まわりに“政治”をみず、高校の時の受験勉強の動きと同じ“大勢順応”をみるのである。“政治”の言葉の理論、頭の理屈だけでは動けない人なのである、“好き”“嫌い”という全身の反応がともなわないと動けないのである。理屈で動く近代の人ではないのである。
 わたくしは橋本氏よりも一年早く東大に入っているが、麻布という“いやったらしい”学校に通っていたので、高校2年の3学期にみんなががらっと変わるというような露骨なことは体験していない。麻布という学校は、庄司薫が「赤頭巾ちゃん・・・」で描いた日比谷高校にずっと近かった。あるいは高田里恵子の「グロテスクな教養」で紹介されている四方田犬彦が描く「ハイスクール1968」での「教駒」であろうか? 受験勉強への軽侮が明確にあって、そんな恥ずかしいことは隠れてすることだという意識が共有されていた。英語の原書を読んでいる奴がいても、たとえばロレンス(アラビアのロレンスの方)の「知恵の七柱」なんていうのを読んでいる。あるいは数学は大学受験の範囲を超えた線形代数なんているのをやっている。今思い返しても、本当にいやらしい奴ばかりであったなあと思う。その中でわたくしは落ちこぼれていたのだから、ただただ悲惨であった。本当に暗い青春であった。
 マルクス主義の入門書の類を読んだのは中学2年ごろであったかと思う。これは《おどかしっこ》で見栄をはって読んだという要素もないことはないけれども、主として60年安保の影響である。国会議事堂前からのラジオの実況中継などというのをいまだに覚えている。今考えるととてもおかしいが、同時にトルストイの「人生論」みたいなものも読んでいて、それとマルクス主義の本とがあまり区別がついていなかったように思う。どちらも人道主義だと思って読んでいたのだろうか?
 そういう《人道主義?》と受験勉強への嫌悪と後ろめたさ(その気分をうまく表現することはできないのだが、こういうことは本当の学問とは縁もゆかりもないものではないのか? そういうものを、大学にいくという目的だけでやっているのではないか? 大学にいくのは学問をしたいためではなく、ただ偉くなりたいというだけなのではないか?、といったもの)があいまって、自分は進学せずに働くのが正しいのではないかといったことを何となく考えていたこともあったように思う。医者という職業を選んだあまり大きくない理由の一つに、医者になるのであれば大学進学が必須であるということがあったように思う。受験勉強を正当化できるのである。高一の時に、教駒からでていた同人雑誌(名前は忘れた。「やまなみ」?)にでていた小説を読んで、これは駄目だ、勝ち目はないと思ったのと、高一の夏休みにゲーテ「若きウエルテルの悩み」と大江健三郎「われらの時代」を続けて読んで現代文学というのは袋小路にいるのではないかというようなことを考えて、文学部志望をやめたので、急に行き先が見えなくなり、とにかくサラリーマンはイヤだ、会社員以外の何かにというのが、一番大きい医学部志望動機なのであるが。
 とにかく、何となく受験勉強というのは“正当”でないことをしているという落ち着きのなさがあって、身が入らなかった。高三の秋が丁度、東京オリンピックであって、勉強せずにテレビばかりを見ていた。棒高跳びとか重量挙げとかが面白くてしかたがなかった。誰が勝つかとかではなく、跳ぶまで、あるいは挙げるまでの精神集中みたいなものがいくらみても飽きなかった。それで浪人して、はじめてどこにも帰属しない不安というのを感じた。それで浪人の一年だけは“勉強”した。今まで“勉強”を本当にしたのはあの一年だけであるように思う。それで入学したら、もう勉強しなくていい!、である。あとは読書三昧の堕落した生活に逆戻りで、その頃読んだのが吉行淳之介であった。その感性で一生やっていけるものと思っていたら、大学闘争に遭遇してしまった。吉行淳之介の感性などというものは誰にも理解されないものであることがすぐにわかった。吉行的感性というのは、太平洋戦争開戦の報に興奮している同級生をみて、それをなじめないものと感じるというような感性、あるいはその娼婦もので見られる、相手を傷つけることがないようにということへの(病的な?)こだわり、とでもいったものである。
 だから橋本氏の感じる大学闘争参加者への違和感とはまったく異なった経緯によるのではあるが、同じような違和感を感じたことになる。橋本治の場合は前近代の近代への反発、頭だけの議論への肉体的感性の反発といったものであろうが、わたくしの場合は都会的感性の人間の地方的なものへの反発と、集団・マスからの逃走ということが一番根底にあったと思う。
 わたくしのように、中学に入った途端に自分よりも頭がいい人間がごまんといることがわかってしまい、自分が二流であることを自覚してしまったのとは違って、東大には日本全国から学生が集まってくるので、大学に入るまでは日本で自分が一番頭がいいのではないかと思っていたような人間がごろごろいた(高校の教師がわからなくなると、お前解いてみろ、というようなことが日常茶飯であったり、同級生の受験指導をすでにしていたり・・・)。そうかと思うと、教科書に書いてあることは全部本当のことだと思っていとか、信じられないことをいう批判精神ゼロの純朴な人間もいた。なんだかもうかなわんなあ、敬して遠ざけておきたいなあという人がまわりにはたくさんいた。そして、そういう人たちがあれよあれよという間に闘争になだれ込んでいくのを呆然とみていた。それでそれに巻き込まれないため、距離をおくために、あるいは自分がどういう点でまわりの人間と違っているのかを確認するための理論武装として本を読み始めた。
 どう考えても、わたくしがたどってきた道のほうが“インテリ?”としては“典型的”であるように思う。橋本氏のたどってきた道は物書きのキャリアとしては“非典型的”なのである。橋本氏が当初、職人的なイラストレーターとして身をたてようとしていたことは、それと深く関係しているであろう。高田氏のいう「グロテスクな教養」に毒されずに自分を築いてきた人なのである。
 その橋本氏の前近代的な部分が一番はっきりとでているのが、薩摩琵琶の台本の部分である。これだけ独立して出版したら、誰も買う人はいないであろう。一部引用してみる。
 
 見渡せば、天穹一点の曇りなく、青海原に光満ちたり。
 巌峨々たる荒磯に、波寄せ来たって砕け散る。ぱっと舞い立つ島千鳥。四方は海。遥かに望む伊豆の国。翼を持つ身は一声啼いて、日輪の下、頭を巡らし天翔る。矢羽は鳥と競えども、流人たる身に飛ぶ術はなし。(「嶋の為朝」冒頭部分)
 
 これを読むと、どうしても三島由紀夫の「椿説弓張月」を思い出してしまう。その冒頭
 
 君道誰か易きと云ふ、臣義本自難しとやら、往時保元の乱に敗れ、君は白峯八重葎、臣は大嶋八重波に、幽明隔つる捨小舟、曳くに甲斐なき強弩の末、時しも嘉応二年の秋、鎮西八郎為朝が、とぶらふ院の御忌日、仕ふる者も流れ木の、八町礫の紀平治太夫、高間太郎原鑑、うやまひ篤く
 
 本書で橋本氏自身が書いているように、「嶋の為朝」は、三島由紀夫の歌舞伎台本「椿説弓張月」を意識している。しかし、三島の台本が忠義というテーマを意識している点でどのように擬古典的にかかれていても三島のテーマをひきずっているのに対し、橋本氏の場合はもっぱら琵琶演奏者をどのように活かすかという点に関心がある。
 それで、本書に収載されている「あるいは「風」について」という論が問題となってくる。一種の日本古典芸能論である。学生時代に国立劇場雅楽の公演を見に行って、死ぬほど退屈したというところから書き出す。後日、そのことをひとにいったら、「あれは外で聞くといいものだよ」といわれた。それで雅楽は景色の中に流れる風であると思えばいいということがわかったという。日本の古典芸能は「人の力でショウアップされた風景」であり、「風の音を聞くこと」であるという。だから薪能がいいのだと。それは月見、花見の延長なのであり、満月や満開の桜がすでに娯楽なのであるから、そこに風のようなものを添えるものとして伝統芸能があるという。そこでは主役は月ではあっても人間ではない。琵琶や三味線の優秀な奏者は、月が人に千々に物を思わせるように、バチの音でものを思わせるのである。こういうものは、従来は、日本の古典芸能の欠点であるとされてきた。主体的な思想をもたないからいけないのだと。しかし、日本の伝統芸能は「感じる」ものであっても、「理解する」ものではない。近代は自然との一体化を拒否して、自分を自分として独立させることを目指した。しかし、自立のあとには孤立しかないということもある。伝統芸能が教えるのは、孤立した人間のまわりにも、まだそれを包む自然はあるということなのである。日本の伝統芸能は自然のようなものではあっても自然そのものではない。だから自然への反抗もふくむ。それが例えば、足拍子である、そう橋本氏はいう。
 わたくしは薩摩琵琶というものを聴いたことがない。琵琶だって武満徹の「ノヴェンヴァー・ステップス」の中の楽器としてだけである(多くの人がそうなのではないだろうか?)。「ノヴェンバー・ステップス」は、ヒュー・キュー・バタバタバタ・ペン・ドロドロドロという現代音楽の中に尺八と琵琶がでてくる変な音楽である。水と油であって背景のオーケストラなんかないほうがいいようなものであるが、それを除くとただの日本伝統芸能だけとなってしまう。ここでの尺八など、まさに息であり、風である。CDの解説に、武満氏が「尺八の名人が望む至上の音は、風が古びた竹薮を吹きぬけていくときに鳴らす音である」と言っていたことが紹介されている。琵琶もほとんど打楽器あるいは下座の拍子木のようである。
 西洋の音楽はあくまでも人工的なものでり、それに対して、東洋の音楽は自然をめざす。あるいは西洋においては自然さえ神のよって創造された創造物なのであり、一方東洋では自然もただ与えられた所与のものとしてわれわれの眼前にあるということなのかもしれない。西洋音楽のハーモニーは美しいが、いくら美しくても自然には存在しない人工的なものである。人工ということはどうしても頭に傾き、自然は身体に傾く。インテリは頭で考え、橋本氏は身体で考える。だから〈わたしの体は頭がいい〉のである。
 それで、そういう前近代の人である橋本氏から見ると、日本はどう見えるか? 氏は資本主義を所与の当たり前のものとしてはみない。なんか変なものだなあ、という目で見ている。マルクス主義による資本主義批判は頭による理論による批判であるが、氏はなんか変な動物を見るような目で資本主義を見るのである。こんな大喰らいで餌は大丈夫か?とかいうように。国家だって同じようなものである。「国家は国家、俺は俺、同じ地面の上で生きてるんだから、たまには協力する気もある」なんてこともいう。前近代の橋本氏はイランのイスラム原理主義という前近代にも関心をよせる。中国が自由経済市場に参入してくることを、バブル期に「女の欲望」だけが肯定されて消費が煽られた状態と重ねて考える、というとんでもない発想もする。
 とにかく発想がユニークで、平安女流文学は現在の少女マンガと同じものとか、日本の女帝はとんでもなく「やな女」ばかりであるとか、力をもってしまった女のわがままを封じる方法は昔からないとか、今の時代の男女差とは化粧する性としない性の差だけで、女の化粧は男の背広ネクタイと同じものとか、女性差別身分制度のあとにくるとか(奈良時代以前に女帝はたくさんいる)、最も日本的な文化の特質は「サラリーマンであること」であり(1300年前に律令国家が成立し、力が肩書に還元されてしまい、肩書さえあれば自分には力がなくてもいいことになってしまった)、日本文化の最大の特質は「男がみっともないこと」であるとか(どこの国でも「国家とは男をカッコよく見せるためのもので、その為に権力はある」という前提で作られているのに、「国家とは自分を安全に保ってくれる為のもので、管理とはそのためのもの」というのは日本だけ)、そのどれ一個をとりあげても本が一冊書けるような刺激的な話題が満載である。橋本氏が次々に本を出せるのは、こういう引き出しをたくさんもっているからなのであろう。
 最近ある女性と話をしていて、欧米の女性は日本の女性とくらべてずっと化粧をしない人が多いのではないかという話題がでた。むこうでは全然化粧をしないひと、口紅だけのひとが相当数いるのだそうである。要するにしたければする、したくなければしない。それは自分で決める。それに対して日本では化粧をするということが社会から強制されているのだろうか? 丁度、サラリーマンが背広を着るのが一番無難であるように、化粧をすることが一番目立たなくて無難であるから化粧をするのであろうか? 最近「レオン」とかいう変な雑誌(見てないけど)がでて、何だかとんでもない格好をすることを中年男に煽っているようだけれども(団塊の世代に金を使わせようという資本主義の策略であることはいうまでもないのだろうが)、これはぜ背広=無難を強制されていた世代の遅ればせながらの反抗というような側面もあるのだろうか?
 とにかく、おしゃれということにまったく関心がなく生きてきて、日本文化の最大の特質は「男がみっともないこと」といわれると、ぐさっとくるけれども、もういまさらどうあがいても手遅れであろうし、そもそも《みっともない》とは服飾関係だけではない、生き方全般にかんすることなのだろうから、せめて服飾以外の方面では、みっともなく生きたいものである。それは毅然としていること、千万人といえども我行かんというような気概なのであろうか? とはいっても、気概がある人間ははじめからサラリーマンなどにはならないような気がする。サラリーマン=みっともない人間なのであろうか? どうも出口なしである。困った。


(2006年4月1日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

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