前日に続き「水滸伝」の話。
 北方謙三水滸伝」を読み始めている。北方氏の本を読むのはこれが初めてだし、まだ第一巻がようやく9割方終わったばかり。ということは、全19巻の二十分の一ばかりを読んだだけなので、こんなことを書くのは明らかに早計なのだけれども、ああこれは全共闘運動についての小説なのだという思いを禁じることができない。それが悪いということではない。むしろ、そうかこういうやり方もあったのかという感じである。
 それで北方氏の略歴を見てみたら1947年生まれ、わたしと同世代である。氏がどういう生き方をしてき人であるのかは知らないけれども、あの時代を二十歳前後で過ごしているわけである。その時どのような体験をしているにしろ、その時代の空気が、氏のその後の作に影を落としていても不思議はない。
 高島俊男氏の「水滸伝の世界」によれば、本来の「水滸伝」は英雄豪傑の話であり、いわば講談の世界、渡世の義理の世界であり、東映やくざ映画の世界でこそあれ、北方氏の描くような政治活動の話ではないらしい。なにしろ、北方「水滸伝」では、権力は悪であり、それに虐げられる民は善、権力に反抗するものもまた善なのである。
 全共闘運動にかかわるものは東映やくざ映画を同時に愛好するものが多かった。これはあの当時を分析する上で大きな要となる大事な点ではないかと思っている。
 それを考えるなら、義侠心に富む義賊たちが官に対抗する政治組織を作りあげていく小説というのは、まったくうまいことを考えついたものである。あの当時の政治運動が実現できなかったものを小説の上で実現してしまおうというのだから。


水滸伝の世界 (ちくま文庫)

水滸伝の世界 (ちくま文庫)