北原謙三「水滸伝」を読んでいる。第二巻の終わりのほうで、まだ全体の十分の一くらいのところである。
 水滸伝徽宗皇帝の宋時代を背景にしているのだが、どうもこの小説で語られる国家観というのはえらく近代的である。とても12世紀頃の話とは思えない。
 岡田英弘氏の「この厄介な国、中国」によれば、中国にはかってわれわれが考えるような国家というようなものは存在したことがなく、中国とは総合商社であり、皇帝というのはその社長であったという(あの広い中国を本当の意味で支配するなどということは不可能なのであり、実際に皇帝が握っていたのは流通システムにすぎないとの説)。また高島俊男氏の「中国の大盗賊・完全版」によれば、中国では兵隊も盗賊もどちらもゴロツキであって、兵隊とはほとんどならず者の同義語であったという。だから北原水滸伝にかかれているような軍の腐敗をなげく清廉な将軍などというものがこの時代にいたとはとても思えない。とすれば、この「水滸伝」は、その人物設定を借りて、現代への氏の思いを述べたものであることがいよいよ明らかになってくる。本来無邪気で単純な英雄豪傑も近代的な思想的人物になってくることにもなる。
 そこで、人殺しに悩む豪傑なんていうのがでてきてしまう。ここらが、こういう小説のなかなか難しいところである。


中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)