荒川洋治 「文芸時評という感想」

  [四月社 2005年12月10日初版]


 荒川氏が1992年3月から2004年4月まで産経新聞に連載した文芸時評を収めたものである。文芸時評という形式は、以前にはその時々に文芸雑誌の発表された文章について感想を述べるというものであった。しかし、朝日新聞文芸時評石川淳が担当した昭和1969年12月から(昭和1971年11月まで)状況が変わってしまった(「文林通言」中央公論社 昭和1972年5月)。その後を継いだ吉田健一(昭和1972年)(「本が語つてくれること」所収 新潮社1975年1月)、丸谷才一(1973、74年)(「雁のたより」朝日新聞社1975年4月)などによって、文芸雑誌収載の片々たる短編の寸評集ではなく、本まるごと一冊あるいは少なくともその時に雑誌に発表された作一つのみを一回で論じるスタイルが定着したからである。はるかに書評に近づいたことになる。それというのも「新潮」「文学界」「群像」などという雑誌を読んでいるひとはもうほとんどいないからで、そういうものを論じることの意義が薄れてきたからである。雑誌に発表された文章で読む価値があるものはいずれ本になるのだから、その時に読めばいいのであり、本として刊行されればそれは書評の対照なのであるから、文芸時評というものの位置はいたって中途半端なものとなる。事実、朝日新聞などでは文芸時評という欄は消失してしまった。(事実誤認であった。まだあった。島田雅彦がやっていた。実にへんてこりんなものであるが。・・・2006年3月29日追記)
 その中にあって荒川氏の文芸時評はかなり旧来の文芸時評のスタイルをまもったものとなっている。それを支えるのは氏の文学に対する愛情であり、またそれに感じている危機感でもある。氏は文学がもつ力を信頼しているが、そういう信頼をもっていない人が文学と称するものを垂れながしていることに苛立つ。
 読んでいて思い出したのが中島梓氏の「夢みる頃を過ぎても」(ベネッセ 1995年6月)である。「海燕」に1994年5月号から翌年4月号まで連載された「文芸時評」を収めたもので、これは最初の回こそ殊勝に文芸雑誌などを読んでいるが、その後はそんなアホらしいことをやっていられるかと啖呵をきって、あとはやりたい放題というものである。そこにもまぎれもない文学への信頼がある。少し長くなるが引用してみる。
 「私はそのとき、確かに「飢えた子供」であった。子供は食事にばかり飢えるわけではない。そう思うのだったらそれはあまりにも人間を即物的にしか見ないことになる。子供は食物に山のように恵まれた環境でも十分に飢えることができる。そして私は飢えた子供であった。その一人の飢えた子供を救ったのは確実に「文学」というものだったのであり、飢えた子供の前で、文学は有効どころではなかった。それがなければ生きてゆけないものだった。だからこそ、私は小説書きになったのだ。文学を「読むこと」にひきつづいて、「書くこと」がより有効な、私にとっての救済たりえたからである。「文学」は、そのようにして大勢の人間を救ってきたと思う。食物が足りても足りなくても、私たちはそれ以外に確実に必要としているものがあった。それは「文学」しか与えることができぬものであり、だからこそ私たちはそれを必要としていた。切実に必要としていた!」
 これは荒川氏の以下の文に対応する(前に「忘れられる過去」を論じたときにも一部引用した。この文芸時評の一部は、すでに刊行されたエッセイ集に収載されているようである)。
 「(いくつかの作品を挙げて)なんでもいいが、こういう作品を知ることと、知らないことでは人生がまるきりちがったものになる。/ それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な「実」の世界なのだ。文学を「虚」学とみるところに、大きなあやまりがある。科学、医学、経済学、法律学など、これまで実学と思われていたものが、実学として「あやしげな」ものになっていること、人間をくるわせるものになってきたことを思えば、文学の立場は見えてくるはずだ。」
 荒川氏がそこで名前を挙げているのは、田山花袋田舎教師」、徳田秋声「和解」、室生犀星蜜のあわれ」、阿部知二「冬の宿」、梅崎春生桜島」、伊藤整「氾濫」、高見順「いやま感じ」、三島由紀夫「橋づくし」、色川武大「百」、石原吉郎の詩、などなのであるが、それを読むと誰の人生でもそれまでとまるで違ったものとなるのだろうか? そもそもこういうものを読めない、活字自体を読めない人が増えてきているかもしれない。もともと本というものを必要としていない人は多いと思う。しかし一部には確かに本を必要としている人がいるのであり、それにもかかわらず、そういう人たちにとどく作品があまりに少なくなってきている、ということは確かにあるかもしれない。
 この「文芸時評という感想」で荒川氏が一貫していっていることは、今日、文学という名で発表されながら、文学の力というものへの意欲も自負ももたないものがあまりにも多いということである。
 だから氏は大江健三郎に厳しい(いかにも世界を論じているように装いながら、実は自己の世界に閉じこもっているだけだから)。宮澤賢治を論じる人にも厳しい(神秘めいた宗教めいた《文学》には理屈をこねやすいので、それを利用しているだけだから)。パロディーを書く人(丸谷才一平野啓一郎)にも厳しい(現在がないからこそ、過去の文学を材料として書くのだから)。ついには小説を書き出した詩人についてこんなことをいう。
 「詩には読者がいない、いないと詩人は嘆くが、むしろ読者がいたほうが困るのではないか。自分の詩が、読者のきびしい視線にさらされ、正確に読みとられてしまうと、それほどのものを書いていないことや、凡庸な人間であることがばれてしまうのだ。だから奇妙な言い方になるが、読者がいないことで詩人の作品は救われているのである。また彼らも救われてきたのである。」
 あるいは、村上春樹の短編「アイロンのある風景」を絶賛したあと、
 「採るべき道はひとつ。作者はここまで自在に完璧に書くことができるのだから、もはや小説というものを「卒業」すべきではないか。村上氏が小説を「卒業」し、大きな才能をもつ人のほとんどいない、たとえば、わたしどもの「現代詩」などに引っ越してくれば、すぐさま彼はそこでも大きなことをしてくれるだろう。日本の文芸は総合的なものに、よりゆたかなものになるはずだ。」という。
 荒川氏は「現代詩作家」を自称する。ほとんど読者をもたない詩を書いている現代詩人の一人である。しかし読者が少ないことを己の芸術性の証とし、ごくわずかの真っ当な鑑賞力をもった人間だけに理解してもらえる作品を書いていることの表れであるとして、仲間内で慰めあうような行きかたを強く否定する。
 これまた中島梓氏が「夢見る頃を過ぎても」で、純文学プロパーの人間たちが、「売れるものはよくないものだ、バカが読むからベストセラーになるのだ」といいあって、自分たちを「精神の貴族」と規定し、「文学は文学だから売れない」と仲間内で慰めあっているのを痛烈に批判し、春樹・龍の両村上の文学者としての力量は彼ら純文学プロパーなど足元にもおよばないものであることを言っているのと通じる。
 中島氏はベストセラー作家であるから、こういう主張には棘があるのだけれども、荒川氏はほとんど読者をもたない詩人であるから、逆にまたこういう主張をすることには仲間内の現代詩人からは、冷たい視線があびせられるのかもしれない。狎れあいにならないという覚悟があるからこそ書けることである。なにしろ、《石を投げる》人だから。
 「美代子、あれは詩人だ。
 石を投げなさい。」(「美代子、石を投げなさい」 詩集「坑夫トッチルは電気をつけた」荒川洋治全詩集1971-2000 思潮社2001年)
 ここで荒川氏が述べていることは「完成交響曲」(「空中茱萸思潮社1999年)の岡本太郎と濱田幸一の対立と通じるものだと思う。「芸術」というものをまったく理解しないひとがいて、それでもその人を無視し軽蔑することはしないでいかなくてはならないということである。
 現在において小説家であること、詩人であることは少しも自明なことではない。読者がいない、ということは商売として成立していないということである。そのことをどうとらえるか? 芸術などというものはそういうものだといってしまっていいのかということである。
 わたくしは荒川氏の散文は面白いと思うけれども、詩はよくわからない。最初、散文に感心し、この人はどういう詩を書くのだろうと思い、詩集を読んでみた。よくわからなかった。氏の詩作品を読むひとはあまりいないだろうな、と思う。荒川氏の詩が論じられるのは、詩を書く人たちの間でだけなのだろうか。そして、中島梓氏の本で読まれるのは「夢見る頃を・・・」ではなくて「グイン・サーガ」なのである。「グイン・サーガ」がいくら読まれたとしても、あるいは村上春樹がいくら売れたとしても、テレビを見ている人の数にくらべたら多勢に無勢なのである。
 「こうなってみるとこの日本では村上春樹だけが小説を書いているのだといえるかもしれない」と荒川氏はいうのであるが、それなら、誰が詩を書いているのだろうか?
 吉田健一は、ある時代に詩人は一人いればいいのであって一人もいないこともあるといっていた。氏が挙げる明治以降の詩人は三好達治中原中也、中村稔、大岡信といった人たちだったように思う。三好達治中原中也はそれなりに読者がいるかもしれないが、中村稔と大岡信にはそれほどの読者がいるとは思えない。それでも一人の詩人がいればいいということになるのだろうか?

 宮沢賢治
 知っているか
 石ひとつ投げられない
 偽善の牙の人々が
 きみのことを
 書いている
 読んでいる (「美代子、石を投げなさい」部分)


(2006年3月29日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

 

文芸時評という感想

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