坪内祐三「同時代も歴史である 一九七九年問題」

  文春新書 2006年5月20日初版
  
 実は、関川夏央氏の「「坂の上の雲」と日本人」を読んでいて、なにか腑に落ちない感じがした。これと似たことを最近どこかで感じたなあと思って、思いだしたのが坪内氏のこの本である。これはざっと読んだだけだったので感想を書く気はなかったのだが、そのいわく言いがたい微妙な感じの根源をつきとめようと思って、読み返してみた。
 割り切れない感じ、なんだか変な感じというのは、「何か本のつくりかたが安直ではないかなあ」あるいは「もっと熟してから本にすればいいのになあ」というようなことであろうか?
 関川氏の本は「月に一度、文藝春秋社の若手編集者有志にレクチャーする。それをあとで手直しして「文學界」に連載するというやりかた」で書かれたという。同じ関川氏の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(岩波書店 2006年)も同じやりかたで書かれたと記されている。このやりかたは半藤一利氏の「昭和史」(平凡社 2004年、「戦後篇」2006年)でもとられているが、半藤氏の場合は昭和の歴史を何も知らない若い人に語り伝えるという本の趣旨からそうしているのであって、そういうやりかたになる必然性がある。しかし関川氏の場合は、「その方が楽ではないかと甘く見通した」が「泣きました」などと書いている。「原稿が遅れても待ってくれる」時代ではなくなった、などという泣きはいっている。机の前にすわってじっくりと書く、想が熟成してから書く、などということはもはや許されないとでもいいたげである。
 坪内氏も、「四十五歳の私は、様々な人を経済的にそして精神的に支えなければならいない生活者である私は、へらへらと毎日を生きている」などと書かなくてもいいことを書いている。そんなことを書いて、何になるのだろう。本を買って、なぜ著者の愚痴をきかされなくてはならないのだろう。
 坪内氏のこの本は、単発の原稿を不定期に書き継ぎ、その連鎖の中から一つの長編としての形が見えてくるものを目指したのだそうである。根底にあるテーマは「歴史とは一体何なのだろうか、歴史の同時代性とは何か」ということであり、もっといえばポスト・モダン時代を通過したあとの「歴史」という問題なのだという。
 しかし、「まえがき」でそういうネタばらしをしてあるにもかかわらず、読んでもそういうテーマが感じられない。それはわたくしの読書能力の問題であって、具眼の士が読めば自ずからその主題が浮かび上がってくるかもしれないが、わたくしから見ると、相互に関係ない話題がてんでんばらばらに置かれているだけである。なんだか日記風、ブログ風である。だから読んでいて感じられるのは、自分はこういう問題にも関心があるのだ、という坪内氏の声である。個々の問題についての坪内氏の見解が充分にはきかれないうちに、また他の全然関係ない(ように見える)話題に移ってしまうので、読んでいるほうはとまどう。
 そもそも坪内氏がどういう読者を想定しているかが見えない。というか読者が見えなくなっていて、しかたがないから編集者にむけて発信しているではないだろうかとも思える。こういうテーマもわたくしの守備範囲ですから、よろしく、とでもいうような。
 書くほうも次々に書かねば生活ができず、出版社も次々に本を出さねばならない自転車操業的な事情があり、ゆっくりと論点を成熟させる余裕がないままに、ただ本が量産されてくるというような状況があるではないかというようなことが邪推される。どうも養老さんの「バカの壁」が最小の投資で最大の効果をあげて以来、下手な鉄砲をたくさんうてばそのうち当たるのではないかという悪しき発想が出版界には蔓延しているのでないだろうか?
 本書の最後のほうに河上徹太郎の話がでてくる。小林秀雄との対談での歴史論である。それで、氏の「有愁日記」を思い出した(新潮社 1970年)

 雑多な薪をいくつか並べ、これでうまく燃え上るだらうと火をつけて見ると、中で一本どうしても一緒に火がつかない木があることがある。見ると生だつたり、湿つてゐたりするのだが、さういふのは隣と協調しないで、ひとりでくすぶつてゐるだけでなく、折角燃えようとする隣を牽制する作用を持つてゐる。少し位置を変へて空気を通はせるが、周囲となじまない。業を煮やして私は思はず、
 「まるで左翼だ。」
 と呟いた。傍にゐた若い友人が、
 「なるほど。」
 と私の気持を分つてくれた。
 こんな独り言に属する放言をここへ書いては、憤懣や誤解を招くことは必定だが、私もその時、釈明するやうに連れにいつた。
 「いや、ぼくはこの木からユダつて男のことを思ひついたんだ。ぼくにいわせると、ユダは左翼なんだ。」
 やがて「ユダ」も、衆寡敵せず、つひに燃え出した。然し消えないやう始終気をつけてゐねばならず、しかも燃え上がつても余り火力の足しにならなかった。
 (中略)
 私がこの文章でニ三左翼といふ言葉を使つたが、それは政治的・思想的意味であるよりも、そういつたタイプの人、人間的気質のやうなものを指してゐるのである。(中略)
 彼等の特徴は、皆殆ど頭がよかつた。(中略)彼等は紳士であり、つき合つてあたりはよかつた。然し冷たかつた。その自信に私は辟易した。その結果決定的な不満は彼等が信じられないことであつた。又彼等の方でも人を信じないことであつた。といふのは彼等が嘘つきだとかあてにならないとかいふのではない。本質的に溶け合つて来ないのである。これは彼等の前歴のせゐでは決してない。彼等はいわば人情不感症なのである。
 これ以上一般論にすると、さしさはりがあるよりも、自分で真意を歪める虞れがあるからよさう。とにかく私はユダといふ人物が、ただ一つだが然し重大な切点でこういふ知的紳士とつながつてゐるのを見、それで「ユダ論」を書いたのであつた。

 この「有愁日記」も河上氏自身がいうように、「目次を見れば、モーツァルトタレイランが並んだりしてゐては、もう一貫性はない。全文月々の感興を追つた雑文集である」ということであるが、同時に「然し題名から来る底意は、少なくとも私はいつも念頭においてゐたつもりである。つまりこの第一章が「歴史について」となってゐるやうに、私の見た現代史といふものを、時に搦め手から、また好んで風俗史的に、書いて見たかつたのである」ということであるから、坪内氏のこの本と同じ構想なのである。しかし、河上氏の薪の話は読んで30年以上、頭に残っているが、坪内氏のこの本であとにずっと記憶に残るような部分はない。何より河上氏の文章にある悠然かつ駘蕩とした感じがない。せわしないのである。あの本も読まねばならぬ、この本も読まねばならぬ。しかし、時間がない。とてもゆっくり考えている時間がない、ということが本文中に書いてある。
 河上氏は自分を書こうなどとは思っていない。しかし読んで印象に残るのは河上徹太郎という《考える人》なのであり、河上氏がしている《思考》なのであるが、坪内氏は、はるかに頻繁に自分に言及しているにもかかららず、そこに見えてくるのは坪内祐三という個ではなく、現代日本の知識人の疲労感のようなものである(そのような疲労感あるいは徒労感のようなものは関川氏の本からも感じる)。
 
 坪内氏のいう「1979年問題」とは1980年前後を境にしてポスト・モダンの時代に入っていったということである。ポスト・モダンの時代は「永遠の現在」であって、時間の矢がなくなるという。しかし、現実には時は確実に経過していく。その矛盾が「1979年問題」なのだそうである。しかし、これは無茶苦茶な議論である。ポスト・モダンの「永遠の現在」というのはモダン時代の歴史の進歩という見方の否定であって、時間が流れなくなったといっているのではない。時間が流れても後の時代は前の時代よりよいとはいえない、というだけである。時は確実に経過していくからポスト・モダンの見方は間違いなどというのは、議論以前の誤謬であると思うのだが、それが本書の前提なのである。
 21世紀に入っておきた「9・11」やアメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争は近代の世界認識や歴史把握では理解できないという。けれどもそれはポスト・モダンの理論では容易に説明できてしまうのであり、ポスト・モダンの側から予見されていたともいえるくらいである。それにもかかわらず、坪内氏は「普遍の歴史」があるはずであると言い出し、それを信じたいという。信じたいというのは勝手であるけれども、信じたいから、それがあるはずというのは論理的に破綻している。
 最初の「一九八四年の「アンティゴネ」と二〇〇三年の「アンティゴネ」」は、内なる「道徳」と他律的な「法」という問題を論じている。普遍的であり内面に発する道徳というのは、ポスト・モダンから見れば西欧の傲慢の表れでしかない。相対主義を批判し、人間を超えた「倫理的実体」を信じるというスタイナーの姿勢はまさに西欧思想の王道をいっている。そういう「倫理的実体」を担うものとして期待されていた近代国家の欺瞞が明らかになったのだから、これからは明確な自我を持った個である、と坪内氏はいうのであるが、明確な自我を持った個を批判したのがポスト・モダンだったのではないだろうか?
 次の「戦時の「傷」は暴かれるのを待っている」は平野謙の戦時中の「傷」の問題。しかし、平野謙が戦時中にどういう言動をしていたかということが今とどのようにかかわるのだろうか? この章の最後のほうに、われわれは(平野謙のような)「傷」を負うことがはたして出来るだろうか、という奇怪なことが書いてある。時代にリアルにかかわるならば人は傷を負うはずなのであり、自分たちの時代の文学者はそのような「傷」を負えるほどリアルに生きていないのではないか、ということをいいたいらしい。
 坪内氏は若いときに福田恆存に私淑していたようである。しかし、このような誠実の競争、おのれの傷の競争が日本の自然主義の文学の不毛の最大の原因であることを言い続けたのが福田氏であったとわたくしは理解しているので、なぜこのような議論がでてくるのかが理解できない。
 「今さらネオコンだなんて」は、アメリカの知識人がアメリカの政治世界で一定の力をもっていることがうらやましい、ということを書いたものではないとしても、なんだかそう読めてしまう。これまた、日本において「政治と文学」というのは常に文学の世界の話題であって、政治の世界の話題であったことはないという福田恆存の指摘を思い出す。
 「「一九六八年」を担ったのは誰だったか?」は、一九六八年の学園闘争を担った主体というものはおらず、いわば主体がいないということが新らしかったというようなことを述べているように読める。それを主導する思想というようなものはなく、思想がないこと、アナーキーであることが特色であったのだと。それにもかかわらず、そこには膨大な旧態依然も同居していたのであると。旧態依然との同居ということに関しては夙に養老孟司氏が指摘している。何しろ竹槍である。非国民である。しかし、問題はその時代になぜアナーキーが爆発したのかということであるはずであって、その肝心な点にかんしてはほとんど考察されていないように思う。
 「山本夏彦の「ホルモン、ホルモン」」は、本書の文脈の中でどのような位置になるのか、わたくしにはまったくわからなかった。次の「いま何故、四十年前の洗脳テロリスト物語か?」もわからない。自分はこういう本を読み映画を見ているということがいいたいのだろうか?
 「イラク派遣「人間不在の防衛論議」ふたたび」は、日本人の多くが超越的なものへの信仰を失ったということを論じている。それと同時に坪内氏の福田恆存への信仰告白の章ともなっている。坪内氏は絶対主義が嫌いで相対主義のほうが居心地がいいが、という。でも相対主義に居直るのもいやだというのである。「大きな集団に属することなく「個」として、超越したものに感応する道を模索した」と、氏はいう。
 それはまた福田氏の目指したものであろう。そして、それに福田氏は失敗したのではないかとわたくしは思っている。なぜなら、「個」としてあることと超越したものに感応することにはどこかに矛盾があるからである。超越したものは「個」を超越しているからこそ超越したものなのである。そこに「個」がかかわるなら、もう「個」は「個」でなくなってしまう。
 たしかに、福田氏はD・H・ロレンスの「黙示録論」に導かれてそのような方向を目指した。

 きみは信ずることができるか――美姫三千を蓄へた皇帝が、その三千のひとりひとりに注いだ愛が、一夫一婦制を忠実に守つてゐるわれわれの配偶者にたいする愛よりも微弱なものである、と。かの奴隷たちはわわわれの妻にくらべて、愛せられる喜びを三千分の一しか享受できなかつたと信じられるか。きみはずいぶんばかなことをいふと思ふだらう。さうだよ、ばかなことさ。子供つぽい屁理屈さ。大人たちは笑ふだらう。そして無法な男から貞操慰藉料をせしめてやる法律の実施を確立することによつて、それで女を奴隷から解放してやつたといゝ気になつてゐるだらう。冗談ぢやない。それは女を――そして男も――金の奴隷にしてやるといふこどぢやないか。愛すらも、現代では、金で、数量で計られるやうになつてしまつた。愛においても物的証拠がすべてで、信頼といふものは地を払つてしまつた。現代人はどうしてもかういふ逆説的事実から脱出できないと、ロレンスはいふ。では、どうすればいゝのか。どうしやうもないのだ。われわれはどうしたつて幸福になれないのだ。デモクラシーの世界では、だれもかれもが、愛と正義と平和を唱へつゝ、相手を殺戮しあふ。個人と個人のあいだでも、国家と国家のあいだでも、階級と階級のあいだでも、不信と殺戮は永遠につゞくであらう――愛しようとするために、救はうとするために。ロレンスはいふ――もしきみがだれかを愛するならば、手をひけ、と。孤独になり、山に入り、他人に向つて福音を説くな、自己にも掟を課するな、さうすれば、きみはきみの涅槃を得るであらう、と。
 が、さういふロレンスは最後まで福音を説きつゞけ、自分にも掟を課さずにゐられなかつた男だ。愛も救ひもけつきよくは自他を傷つけるに終るだけだといひながら、なお愛し救はうとした。かれは堪えてゐたのだ――死を、のちの世のことを考へたときのみ、わづかに愛さうとして愛しえぬ焦燥感から救はれるといつてゐる。悲しい男ぢやないか。人間はこんなにも不幸になりうるのだらうか。ぼくはまつぴらだ。人間が不幸であるのは罪悪だと思つてゐる。文明のせゐだとかなんとかいふのぢやない。そんな原因などを探してゐるうちは、けつして幸福にはなれないだろう。われわれにとつて必要なのは不幸にたいする羞恥心である。原因を探すやうでは、それが見つかつたら、大手をふつて不幸を自慢にするつもりなんだらう。あゝ、どこまでおめでたい国民か。(「ふたたびロレンスについて」福田恆存評論集2 新潮社 1966年)

 この1950年に書かれた若書きから出発して、福田氏は「大きな集団に属することなく「個」として、超越したものに感応する道を模索し」ていったのであろう。その過程で、シェークスピアの発見し、その翻訳をし、また戯曲を書き、劇団を主宰した。
 わたしが福田氏は失敗したなという感じを強くもったのは、氏の劇団「欅」の公演を見にいったときであった。「総統未だ死せず」だったかと思うが、その劇団のレベルが学芸会なのである。前もって読んでいた戯曲で客席が爆笑と思っていた台詞で誰も笑わない。役者が下手なのである。そんな芝居をみて「超越したものに感応する」ことなどできるはずもない。
 福田氏は自分の劇の理想を追求するために劇団「雲」をつくったが、それが分裂したため、拠点として「三百人劇場」という小さな劇場を作るというようなことで、非常な苦労をしたはずである。多くの敵をつくり、財政的にも大変な思いをしたはずである。その結果がこれなのかな、と思った。「「個」として、超越したものに感応する道を模索」するというのは、結局、理念と頭の理解にとどまり、本当の果実を生むことはなかったのではないかと思った。「蛸と芝居は血をあらす」というのは久保田万太郎の言葉だっただろうか。福田氏は、山には入らず、福音を説くために芝居という集団の世界に入って、血をあらしてしまったのではないかと思う。集団の世界では、人は涅槃に入ることはできないのである。
 坪内氏は、超越的なものと結びつかないと、人は「自己欺瞞」「人間不在」に陥るという。福田氏はマルクス主義のような具体的な「神」により他人をさばく「自己欺瞞」をたくさん見た。だから具体的でない「神」をもとめた。しかし、そういう方向こそがカソリックが人を誘うときのやりかたなのである。T・S・エリオットの手つきである。
 本書では、スタイナーの「時間と個人の死の間に関係を見るひとつの見方」という言葉が坪内氏のもとめるものらしい。しかし、スタイナーの言葉は西欧の護教論そのものではないだろうか。
 最後の2章は共産圏崩壊後の世界情勢分析である。しかし、坪内氏がそういう分析をすることにどういう意味があるのかという根底のことろがよくわからない。坪内氏の言説が世界情勢に影響をおよぼす可能性はゼロである。そういう言い方をすればソンダクの言説もまた影響ゼロなのかもしれないが・・・。
 
 「近代」という言葉があまりに広い意味を負わされているのが問題である。「近代」と「西欧」とはいうまでもなく、同じではない。しかし明治にはいってきたのは「西欧」でもあり「近代」でもあった。ある意味その当時のヨーロッパ植民地主義というのはグローバリズムである。だから「近代の超克」というアンチ・モダンが生じる。これはアンチであってもポストではない。モダンとは別の世界で生きたいということである。それは「近代」の否定であったのか、「西欧」の否定であったのか。
 今のイスラム世界の主張は反「西欧」であり、反「近代」である。しかし、反「近代」親「西欧」という立場もありうる。太平洋戦争の敗戦によって「近代の超克」という議論は封鎖されてしまった。思想の問題としては少しも決着がついていない。だから、「国家の品格」などという本がでてくることになる。
 さらには明治に受け入れた西欧は、「本物の西欧」ではなくその思想の根幹部分を欠いた表層のものでしかなかったという批判もある。たんなる技術だけを受け入れたに過ぎないと。そのため、一方では和魂洋才などということがいわれるし、科学技術を生んだ西欧の合理主義の背景にあるキリスト教的秩序感覚を理解しなければ洋才のみを輸入することもできないという主張も生まれる。
 その戯画として、西欧の文学を受容したつもりの「自然主義文学」が生まれ、それへの批判として、自然主義の文学者は西欧の市民社会をまったく理解していないという議論がでてくる。
 坪内氏の立ち位置は、反「近代」親「西欧」であるように見える。「超越したもの」という言葉が西欧の「神」を呼び込んでしまうのである。それは同じ「神」であっても、イスラムの「神」は決して呼び込まない。おそらく坪内氏自身は「超越的なもの」は西欧の「神」とは別の「カミ」として日本にあると信じている。その例として坪内氏が示すのが小津安二郎の映画である。しかし、それをどうして宗教的な何かとか、超越的な何かとかいわなくてはいけないのだろう。
 スタイナーがエリオットを批判しているからといってスタイナーが反キリスト教なのではない。エリオット的な受苦的なキリスト教を否定しているだけであって、西欧を西欧たらしめてきたキリスト教的な背骨まで否定しているわけではない。むしろスタイナーはいたって正統的な西欧の思想家なのである。
 ポスト・モダンが否定しようとしたのは、西欧が正統であるという考えである。明らかに最近ポスト・モダンは評判が悪いけれども、流行としてのポスト・モダンが終わったということではあっても、思想的にそれが論破されたということではない。日本の敗戦という事実が「近代の超克」という論の間違いを自動的に導くものではないのと同じである。
 坪内氏が「一九七九年問題」すなわち「ポスト・モダン」の問題を論じようというのであれば、それをもっと正面から論じるべきであろうと思う。福田恆存は反近代の側の論者であり、ポスト・モダン以前のポスト・モダン論者であった。ロレンスもニーチェの系譜につらなる反近代・アンチキリストの論者である。もっとも、ロレンスが長生きしていたらカソリックになったであろうというのが福田氏の見立てであるから、その点は微妙なところがあるが。
 ロレンスは民族の宗教、集団の宗教としてのキリスト教を否定したのであり、個人の宗教としてのキリスト教を否定したわけではない。しかし宗教が力をえるのは、つねに民族の宗教、集団の宗教になった場合なのである。
 坪内氏が雑誌「考える人」で続けていた「考える人」という連載は前号で終わったが、最終回は「福田恆存」であった。自分が一番影響を受けたという福田氏について、しかし坪内氏は氏が父親の友人であったとか、読書家の友人が福田氏の「人間・この劇的なるもの」を座右の書としていたといった周辺的なエピソードの紹介に三分の一のスペースを割き、あとは「人間・この劇的なるもの」からの引用と、初読のときにそれをどう感じたかを書くことで終わってしまう。それを書くにあたってじっくりと考えることをする時間がとれなかったことがありありと感じられてしまう文章のように思えた。
 最近の日本の物書きは、何か腰をすえて物を書く余裕が失われているような感じがして、少し痛々しい。