関川夏央「「坂の上の雲」と日本人」 

  文藝春秋 2006年3月31日初版
  
 「坂の上の雲」は読んでいない。正確にいえば、最初の10ページ位しか読んでいない。司馬氏の本は、「この国のかたち」「「明治」という国家」「人間の集団について」といったものは読んでいるのだが、小説は一冊も読んでいない。だから、この本を評する資格はないのかもしれない。
 通読しての印象は尻つぼみというものである。最初に提示された問題が解決されないまま、乃木希典論と日本海海戦の真相論に終わってしまうような印象である。
 提示された問題とは、司馬遼太郎は反近代文学を実践しようとした、というものであり、それが主人公の一人である正岡子規による反近代的・反内面的な座の文学の再興という問題と直結する。それはなぜ主人公が夏目漱石ではなかったのかという問題ともつながる。
 また、この小説が1968年から1972年まで、まさに反体制運動が高揚した時期にかかれた反時代的な反骨の文学であるという問題もある。
 さらには、明治20年代から30年代にかけての国家の軽さという問題であり、それが昭和戦後に類似するという指摘である。また、これが1968年の学生運動とも深くかかわるという指摘でもあり、書き出しの「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」における「小さな国」というのが「軽い国」のことでもあるという指摘につながる。
 また、司馬遼太郎アイデンティティーを「お里」と訳したという問題。日本を中華文明の辺境と見る見方。司馬遼太郎における市民意識東海散士の「佳人之奇遇」とハーンの「ある保守主義者」。漱石の小説における経済問題と漱石の経済状態の関係。漱石の見たロンドン。漱石の反近代と司馬遼太郎の近代肯定、などなどといった多くの問題である。それらの問題が前半で提示されるにもかかわらず、後半は乃木希典日本海海戦の話になってしまう。
 
 まず、反近代文学ということから。この点については同じ関川氏の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(岩波書店2006年2月)の司馬遼太郎にかんする章のほうがよりくわしく論じているように思う。というか、「おじさんはなぜ時代小説が好きか」という本そのものが反近代文学論であるのかもしれない。この「おじさん・・・」でとりあげられている作家(山本周五郎吉川英治司馬遼太郎藤沢周平山田風太郎長谷川伸村上元三)のなかで小説を読んでいるのは山田風太郎だけだから、おじさんではあるわたくしだが、時代小説は好きでないことになるのだろう。
 おそらく関川氏が念頭においているおじさんというのは、“文学”は読まないが、藤沢周平は読むというようなひとたちなのであろう。でもそういうおじさんは雑誌「プレジデント」も読んで、「失楽園」も読むような気もするが。
 おじさんに限定するのも問題で、おばさんは確かに時代小説は読まないような気がする。「おじさん・・・」に引用されている「燃えよ剣」のあとがきにある「男の典型を一つずつ書いていきたい」というのだって、はじめから女性の読者など想定していないのである。そのあとにでてくる「男という、この悲劇的でしかも最も喜劇的な存在」なんて言葉も、女性にいわせればいい気なもんね、というようなものであろう。
 三島由紀夫に「第一の性」という戯書がある(集英社 1973年)。その第一章は「男はみな英雄」を題されていて、そこで三島氏は、

 男の愚劣な英雄ごっこは、ただちに肉体の領域を通り抜けて、精神の世界にまでひろがってゆき、根本的動機は実に幼稚なのだが、ひろがりゆく先は、世界の政治・経済や、思想や芸術すべての英雄ごっこ、あらゆる大哲学や大征服事業や大芸術を生み出した英雄ごっこへと到着するのです。つまり男の足は、女よりもずっと容易に、地につかなくなりうるのです。「足が地につかない」ことこそ、男性の特権であり、すべての光栄のもとであります。

 などと吹いている。
 後年の三島氏の行動を考えると意味深な言葉であるが、愚劣な動機から発する偉大な行動というのは、悲劇的かつ喜劇的というのとほとんど同じことを言っているように思う。関川氏は「おじさん・・・」で、司馬氏の「私小説」への反撥、「私」への強い懐疑、文学的「内面」の否定ということを言っている。たしかに「私小説」を例にとれば、関川氏の図式は奇麗にきまる。しかし三島由紀夫の「豊饒の海」は反近代の文学ではないだろうか? 村上春樹の「海辺のカフカ」や村上龍の「半島を出よ」は内面の文学だろうか?
 司馬遼太郎が書こうとしたのは、あるいは(読んではいないけれども)藤沢周平が書こうとしたのは、男の仕事の世界なのである。新撰組で人を斬るのが仕事かということであるが、仕事なのである。公的な世界なのである。三島由紀夫村上春樹村上龍私小説的な「私」とか文学的「内面」とかを信じていないとしても、書いているのは仕事の世界ではない。「公」に対する「私」の世界である。私小説というのは日本のある時期だけに咲いた徒花であって、もともと西欧において小説という形式が開花したのは、「個人」というものが西欧に生まれたからである。英雄ではない無名の「個人」の物語が小説である。とすると無名でない人たちの物語を書き続けた司馬氏のやりかたは、そういう意味でも異色といえる。藤沢周平の小説のほうが本来の小説の伝統に繋がっているのかもしれない。
 「「坂の上」・・・」で書いているように、関川氏のイメージする近代文学とは島崎藤村の「新生」であるらしい。そこにあるような「厚かましい弱さの表現」と司馬氏の「坂の上の雲」が対極にあるといえば確かにその通りなのであろう。しかし、そのような「厚かましい弱さの表現」を嫌悪して、例えば倉橋由美子は「反悲劇」や「桂子さんもの」を書いたわけである。司馬遼太郎を持ち上げる敵役として島崎藤村をもってくるというのは、いささかずるいやり方であると思う。
 司馬氏がナルシシズムというものを強く嫌ったのはその通りであろう。そこから明治期においてあえて反近代的な俳句や短歌といった座の文芸に向かった正岡子規が「坂の上」の主人公になる必然性があったと、関川氏はいう。もっとも反近代というような肩肘はったものではなく、「非近代」であったというのだが。
 丸谷才一氏は「日本文学史早わかり」(講談社 1978年)で、明治以降の日本文学の指導的批評家は正岡子規であるとしている。「歌よみにあたふる書」にみられるような古今集と貫之批判(貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候)、作り物や技巧を批判し、伝統に連なろうとする姿勢のない文学を唱導する姿勢は、鴎外の史伝を高等講談と嘲笑し、作り物でない自分自身の話を差し出す「私小説」を是とした明治以降の自然主義文学と、大きなところでは繋がっている可能性があり、決して「非近代」などとは括れない部分があると思われる。
 丸谷氏の「梨のつぶて」(晶文社 1966年)に収められた「津田左右吉に逆らって」で、そのような見方によれば明治の野蛮ともいえるものの象徴とされているのは津田左右吉である。丸谷氏は「明治の精神」の偉大を称揚するものが多いけれども、「明治の心理」という負の面を見なくてはいけないという。
 津田によれば、過去は「因襲」なのであり否定されなければならない。清原深養父の「冬ながら空より花のちり来るは雲のあなたは春にはあるらむ」を「ことばの上だかのもの」「虚偽をいったもの」「意味のないもの」と非難する。したがって素朴が尊ばれる。写実主義が志向される。「実生活」を描くことが何よりも大事とされる。こういうことを見てくると、子規の写実主義と「私小説」は「明治の心理」において共通している部分があることがわかる。
 おそらく司馬遼太郎は「ユリシーズ」とか「ロリータ」みたいな文学趣味に淫した、文学的なあまりに文学的な作品には関心もなく、嫌悪するのであろう。関川氏もまた同じでなのであろう。司馬氏も関川氏も「明治の精神」と「明治の心理」双方を否定しないのである。
 
 次に「国家の軽さ」ということ。
 1968年の学生運動の高揚を、学生たち自身は「左翼イデオロギー」の現れといったが、司馬氏は戦後の「軽い国家」へのとまどいのあらわれと見た、と関川氏はいう。

 東京大学の構内で数多くの小集団が入りみだれてなぐりあっている。国家がそれをながめている。日本史上、これほど軽い国家をもったのはいまがはじめてだし、傍観している国家の物うげな、とまどったような表情は、歴史にのこりうるほどのすばらしさである。
 国家があまりに軽いので学生たちはやるせないのかもしれない。やるせなさのあまりあばれているのか、それともべつな重い国家がほしくてそれを暗闇からひきだしてくるために駄々をこねているのか、このあたりはきわめて心理的な要素がつよく、学生指導者のいうことを読んでみても明快にはわからない。(司馬遼太郎「軽い国家」1969年1月)

 この司馬氏の文章は本書ではじめて知った。これを読んだだけでも本書を読んだ意味はあったように思う。また、

 三派全学連が大学の窓ガラスを一枚割ってみた。誰も叱りにこない。こんどは百枚割ってみた。やはり誰もこない。教授たちもだまって見ているだけです。そしていかにも教授たちの生命を脅かしそうな様子をみせたときだけ、大学は機動隊を呼ぶ。国家というものがそこまでゆるやかなのです。機動隊がくると、三派諸君ははじめてうれしそうに国家権力が介入してきた、などと叫ぶわけです。国家権力というものは、十九世紀までは、いや第二次世界大戦のころまではそんなチャチなものではなかった。もっと重苦しく威圧に満ち、じつにまあイヤなものだった。
 つまり三派全学連が敵としているのは、戦前の国家の幻想です。ありもしない国家権力というやつです。そこが彼らの運動の不毛なことろですね。(司馬遼太郎「日本史からみた国家」1969年8月)

 その当時、内部にいて傍観していた人間として思い出すと、教授は国家権力の走狗そもものであり、国家の意をうけて学生たちを弾圧していることになっていたように思う。しかし教授たちがあまりに手ごたえなくずるずると後退していくので、困惑していたように思う。国家が自分たちを相手にもしていないことが透けてみえてしまうからである。自分からは降りることのできないお祭りをはじめてしまって、自分からはやめたという気はないのだから、弾圧される以外に引きようがない。しかし、これをやっても出てこない。さらにこれをやってもまだ出てこない。ということで次々とエスカレートしていったということはあるように思う。《傍観している国家の物うげな、とまどったような表情は、歴史にのこりうるほどのすばらしさである》というようなことは考えたこともなかった。
 その当時、大学の自治とかいう言葉があって、その自治の場に機動隊という権力が剥き出しで現れると、フーコー的なソフトな抑圧でひとびとの目には見えていなかった権力が、白日のもとにさらされることになる。そうすれば人民も目覚めるであろう、というような論理はあったようにも思う。《重苦しく威圧に満ちた》国家権力という本質は変わっていないが、それを一見みえないように隠すようになったことが戦前との違いである。その本質を暴露させるのだ!、ということである。やはりもっと重い国家が欲しいということであったのだろうか? この辺りの司馬氏の論はどことなくフロイト的なエディップス・コンプレックス解釈のように見えるのが少し気になるところではある。
 それと関連して、司馬氏の市民意識の問題。
 同じく「日本史からみた国家」でいわれている「東京大学安田講堂が破壊されても、納税者の戦慄がない」し、教授たちも納税者のすまないという意識がまったくない、という指摘。わたくしも中にいて露ほどもそのようなことを考えなかった。記憶に間違いがなければ当時、入学金1万円、授業料月千円で年1万2千円ではなかっただろうか? とすればほぼ100%の学業の経費が税金からでていたわけであるが、そういう意識はまったくなかった。司馬氏も市民意識、すなわち納税者意識の実感がでたのは「竜馬がゆく」がベストセラーとなり、全収入の八割を税金として納めるようになってからだという。それにより逃亡奴隷ではなくなり、市民意識が芽生えてきたのだという。
 しかし、関川氏によれば、市民は生まれず、その代わり「義務感なき権利意識の持主」だけが出来てきたという。それでは困る、日本のアイデンティティー(=お里)を思い出せ、それは明治10年代から30年代にあるのだというのが、司馬氏が「坂の上の雲」を書いた理由なのであるという。しかし、その「お里」を「明治の心理」として嫌うひともいるだろうな、というのは上述の通りである。
 
 中華文明の辺境にある日本という問題は「おじさん・・・」のほうでよりくわしく論じられている。日本は中華文明的な血統意識がない。人間は血筋をつたえるメディアにすぎないという考え方がない、それはいいことなのだと。血筋ではなく実力が評価される日本はいい国であるのだと。中華文明では「個性」も「内面」もあまり問題にならないので、そこから父と対立して家を出る志賀直哉のような文学は生まれるはずはないと。岡田英弘氏の本で読んだのだったか、中国人の考える幸せというのは大家族に囲まれて、家のどこにいてもつねに誰か親族と体が触れてしまうような生活なのだそうである。
 一転して、関川氏が「個性」とか「内面」とか言い出し、志賀直哉に言及するのは矛盾のようでもあるが、間違いなく関川氏は、そして司馬氏も、アジアよりも西欧に親和を感じるひとなのである。
 
 漱石はロンドンで20世紀の恐ろしさを実感し、そこに住む人びとの孤独、環境の汚染、に戦慄して、それが間違いなく日本にももたらされることを予感して「現代小説」を書いたと、関川氏はいう。それはハーンが「ある保守主義者」が描いたものでもあるという。
 
 本書の後半は乃木希典将軍の評価と日本海海戦における日本とロシアの艦隊の事実という方面に話題が収斂してしまう。「坂の上の雲」という小説がそうなっているのだから仕方がないのかもしれないが、今のわれわれを考える上では、それほど参考になる話ではないようにも思う。前半の方向をもっと掘り下げていれば、もっと充実した本になったのではないかと思う。「おじさんはなぜ時代小説が好きか」で司馬遼太郎を論じた部分と合わせたほうが、関川氏の論はよりよく理解できる。原稿が遅れても許される時代ではなくなったなどと愚痴をこぼすのではなく、去年の10月まで連載したものを今年の3月には本にするという拙速ではなく、もう少し寝かせて発酵させることは、現在の出版事情では、できないものなのだろうか?
 

「坂の上の雲」と日本人

「坂の上の雲」と日本人

   
おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために)

おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために)