⑩ 実存主義的マルクス主義?

 小阪氏の「思想としての全共闘世代」のp37に、その当時のマルクス主義は「実存主義的気分にひたったマルクス主義」であったということがいわれている。
 マルクス主義は合理主義の系譜の中にあり、実存主義は非合理主義の流れの中になると思うので、それらがどのように結びつくかよくわからないのだけれども、その当時の実存主義といえばサルトルということになっていたように思う。
 わたくしはサルトルをほとんど読んでいない。というか読めない。もっとも苦手とするタイプの思想家で、非合理なことまで合理的に考えるというか、徹底的に知性の人、理屈の人という感じがして、そのどこにも情念とか感性というものがない人のように思える。似た印象をもつのはフッサールであり、フッサールに較べれば、ハイデガーのほうが何をいっているかはわからないけれども、まだずっと増しという感じがする。
 しかし「思想としての・・・」に書かれているように、この当時あったのは実存主義のムードであり、非常に茶化した書き方をすれば、「お前、生きていて楽しいか? もっと生き生きできることをやりたいと思わないのか?」という程度のものであったのではないかという気がする。
 実存主義からすれば、ただ生きていることには意味がないのであり、そこから飛躍して、何かに関わることによって人は生の意味を獲得するのである。Existentialism などといっても要するに人間は目的をもたない存在として生まれてくるという(創造神をみとめないならば)当たり前のことをいっているだけであり、アンガージュマンなどといっても、engagement であり、かかわるというだけのことである(英語では婚約になってしまうけれど)。
 要するに、今の世の中はつまらないということが一方にあり、それに対する出来合いの処方箋としてマルクス主義があったということなのかもしれない。
 問題は、そのような感じ方が《新しく出現した社会》への違和感を出発点としていたのかということである。つまり社会が変ったのだろうか?、それとも、今までも世の中はつまらなかったのだが、それをつまらないとする見方が新しくでてきただけなのか?ということである。
 小阪氏はちょうど1960年からの高度成長期に社会が変ったので、それに対する運動が新たにおきたとしているようである。しかし、社会は以前からかわっていないのだが、高度成長の結果、その社会からある程度ドロップして生きることが可能になってきたので、つまらないということを公式に表明できるようななってきただけという可能性も考慮しなければいけない。
 小阪氏によれば、この当時「どこか社会がおかしい」「どこかよそよそしい感じがする」「どこか社会がずれている」「社会がおかしな方向にむかっている」という感じがあったという。しかし終戦直後には「どこか」ではなく「根本的に」社会はおかしかったはずである。食べるものがろくになかったのである。それが「どこか」程度になってきたのであれば、改善であるかもしれない。
 どう生きるかということが問われる運動というのは、腹がくちくなったからでてきた運動であるのかもしれない。曲がりなりにも社会が少し落着いてきたからこそでてきた運動であったのかもしれない。政治的行為が同時に表現行為であるなどというのは、どう考えても倒立していると思うけれども、その倒立がおそらく実存主義的という言葉でいわれているものの正体であるように思う。他人のための政治運動ではなく自分のための政治運動なのであるから。そうするとマルクス主義というのは、自己表現の山車として使われていただけなのだろうか? 自分の主体性の表現の道具としてだけ使われていたのだろうか?
 当時わたくしの所属していた医学部一年のクラスは社青同解放派が牛耳っていた。途中から登場したHさん(何でもエンタープライズ阻止闘争で捕まっていて、出所してきたばかりという噂であった)というひとは惚れ惚れするほど有能なアジテーターで、あっと間にクラスの過半数をシンパにしてしまった。
 日本の帝国主義の発展段階がどの段階であるかというような議論が連日されていたのだが(なんでそんな議論がされていたのか今となってはまったく思い出せないが、とにかくクラス会で、そんなことばかりが議論されていたのである。インターン制度で医者が無給でこき使われているのも、アジアへの帝国主義的進出のためであるというようなわけのわからない話もあったような気もする)、それと同時に、主体性、自己否定というような言葉も飛び交っていた。自分が問題にどうかかわるかということが大事なのであり、東大生が特権を放棄すれば労働者はそれに呼応して立ち上がるであろうというような話がでていた記憶もある。民青諸氏がさっぱり人気がなかったのは、この主体性といった類の話を一切できなかったからである(何しろ民主集中制だから)。こういうあたりが小阪氏のいう実存主義的なマルクス主義なのかもしれない。
 社青同解放派というのは三派全学連の中でももっとも“文学的”な派なのだそうである。そしてこういう主体性とか自己否定とかいう文学的?言辞にいかにみんなが弱いかということを目のあたりにして驚嘆した。わたくしは一時文学部志向であったので、こういう自己へのこだわりの裏がみえてしまうというか、日本の自然主義文学とか私小説とかにおいて自己の誠実へのこだわりというものがいかに不毛で無残な結果をもたらしたかというような知識がいくらかはあったし、それよりも何よりも、言葉というものをみながあんまり安易に信じることに、ただただ驚いた。言葉には裏がある、心理には裏があるというひねくれた見方をする人間は圧倒的に少数であったのである。
 小阪氏もまた、言葉というものにいささか用心が足りない人なのではないかと思う。誠実というような言葉に、あまりにも無防備であるように思える。庄司薫氏がおそらく高校生の時に書いた処女作「喪失」はいわばそういう誠実ごっこが、いかに残忍でいかに不毛なものであるかを描いたものであるし、「赤頭巾ちゃん・・・」はそういう不毛を克服するにはどうしたらいいのかへの一つの答えを提示したものである。「喪失」で描かれたような都会的いやらしさと「赤頭巾ちゃん・・・」で描かれた日比谷高校のいやらしさというのは、微妙に重なり、微妙にずれる。そうではあっても、それがいやらしさであることには変りはない。
 小阪氏は九州からでてきて、はじめて大学でそういういやらしさに接したわけである。免疫ができていない。それが過剰に全共闘運動の意味にこだわり続ける結果になっているのではないだろうか? 全共闘運動はほとんど政治的語彙で語られたにせよ、相当部分は文学の言葉に翻訳できるのであり、文学でいえば、何十年も前から語られていた少しも新しくない話題である部分が多いということに、あまり目が届いていないような気がする。たとえば、島崎藤村の問題(自然主義)や平野謙の問題(「近代文学」)にすでに議論されている問題であり、天が下新しきことなしであるのに、自分たちがはじめて遭遇した日本がはじめて直面する問題であると思い込んでしまったのかもしれない。だから、過剰な意味づけが目立つような気がする。

喪失

喪失


福田章二は庄司薫の本名。