小松秀樹「医療崩壊」(5)「Ⅳ 事件から学ぶこと」

 
 この章は、慈恵医大青戸病院事件について論じたかなり専門性の高い章であり、医療の世界の外にいるひとには理解が難しいのではないかと思う。わたくしも内科の人間であるので、外科手術の問題を論じた本章を十分に理解できていない可能性はあると思う。慈恵医大青戸病院事件とは、2002年、前立腺癌の腹腔鏡手術において患者が死亡(術死ではなく、手術後一ヶ月で死亡)したという事例である。
 マスコミなどで伝えられているところでは、執刀した医者が未熟であったので、腹腔鏡手術から開腹手術へと切り替える判断のタイミングが遅れ、そのため患者が失血死したというようなことになっているように思う。
 本書を読むまでわたくしが漠然と思っていたのは、若いお医者さんが、流行の兆しがある腹腔鏡手術に自分も挑戦してみたいと思い、あまり経験がないにもかかわらず、腹腔鏡手術を試み、せっかく腹腔鏡ではじめたのだからと、本当は開腹にきりかえたほうがいいことはわかっていたにもかかわらず、もう少し、もう少しと腹腔鏡で続けることにこだわったために、結果的にきりかえの時期がおくれ、そのために死にいたったのではないか、というようなものである。
 小松氏はこのケースの死亡原因は輸血の遅れによるものであると、断言する。しかし、それは(進化論的な言い方をすれば)至近要因である。究極要因としては、新しい医療技術をやみくもに取り入れようとする大学病院の体質である、とする。
 手術は9時過ぎに開始され、はじめて輸血が開始されたのが、9時間以上後の18時45分、そのときに4単位(800cc、術前に準備された血液のすべて))輸血されたあとの血算で、Hbが 7.6 (あとから判明したより正確な数字は 6.2 )ということである(手術前が 15 )。21時に開腹手術に変更、その直後のHbは 3.6 。同時に血圧低下。22時35分手術終了。23時10分より追加輸血開始。23時17分、血圧40〜50で心臓マッサージ開始。急速輸血。23時29分、血圧は110まで回復。最終的な輸血量は3000cc。
 小松氏の記述するところによれば、開腹手術に移行するまで術者も麻酔科医もあまり危機意識をもっていない。それは貧血が進行していても、血圧が維持されていたためであり。術式の変更後、急に血圧低下がきたことにより、はじめて術者らは危機意識をもった。この血圧低下は、術式の変更によって患者の体位が変った(骨盤高位から水平位に)ことと、腹腔鏡でもちいていた気腹をやめたことにより腹腔内圧がかわったために「気腹解除後ショック」と小松氏が名づける状態におちいったためではないかと、氏は推測している。
 この「気腹解除後ショック」という状態がどの程度公認されたものであるのかはわたくしにはよくわからない。気腹法から開腹への変更ということは臨床の場ではそれほど珍しくなく行われていることであると思うが、この分野に従事している医師たちの間では確立したものなのだろうか? 少なくとも現在は仮説であるようである。
 輸血が緊急に必要である状態であるにもかかわらず、交叉試験がおこなわれている、O型の血液を輸血することが検討された形跡がない(患者さんはAB型)など、輸血が遅れたことは、記載から明らかであると思う。しかし、術者が危機意識をもったのが開腹手術にふみきった後なのであり、そのときHbが 3.6 なのであるから、その時から迅速に輸血をおこなったとしても、患者さんの転帰が変ったかどうか、何ともいえないようにわたくしは思う。たしかにこのケースの死亡原因は輸血の遅れであるのかもしれないが、それはクロスマッチをしていたとか、O型の血液を用いることを考えもしなかったということよりも、大量の輸血を開始するべきであるという判断の時期の遅れのほうが大きいのではないかという疑問が、わたくしには拭えない。クロスマッチとか、O型の血液の使用などはシステムの問題である。しかし、輸血を開始するべきか、どの位の量を用いるべきかは少なくとも現在ではまだシステムの問題ではなく、医療者の判断に委ねられている部分である。この手術は予定8時間で申し込まれている。術前からある程度の出血の可能性が予想される手術である。しかし、あらかじめ用意された血液は4単位(800cc)だけである。わたくしの感覚からいうと800ccの血液などは大量出血の場合にはなきに等しい量である。どうも、この術者たちは、この手術を甘くみていたのではないか、という印象をわたくしは拭えない。
 わたくしの言っていることは結果論なのである。検察と同じで「結果」からものを言っている卑怯な言い方である。人間には統計学的なばらつきがあるから、同じようなやりかたでしても、多くの場合はなんとかなっていたのかもしれない。たまたま運悪く、このケースは統計的偏倚の悪いほうにあたってしまっただけなのかもしれない。しかし、このケースについて読んでいると、術者たちは、自分たちのしていることがいかに恐ろしいことなのかということへの畏れの念といったものがあまり見られないように思う。ある種の敬虔さとでもいうものがいささか欠けているように思う。見ず知らずの方にこんなことを書くのは失礼千万であることは重々承知しているが、それでもその様に思う。
 小松氏によれば、「慈恵医大青戸病院事件は、私が問題として指摘するような、警察とメディアが一体となって人格攻撃を行った代表的事件である。」 とすれば、わたくしもまた人格攻撃をしているのであろうか? 小松氏は、この事件は輸血の遅れといった病院システムの問題と大学病院の体質といった構造的な問題が複合しておきたものであり、個人の医療技術の拙劣といった方向に問題を矮小化してはいけないにもかかわらず、慈恵医大は大学という組織を守るために、あえて個人の能力の問題に問題を限局化してしまうことで、大学防衛に成功したのだという。この場合、人格攻撃をおこなっている側として大学側も入るのだが、なぜ大学がそのような行動をとらざるをえないのかといえば、警察とマスコミの理不尽な攻撃から大学組織をまもらなければいけなかったからである。

 
 実は、ここまで書いてきた後で、小松氏の「慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理」(日本経済評論社 2004年9月)を読んだ。この本自体は「医療崩壊」でも紹介されているのだが、タイトルからこの事件自体を分析した本であると思い、「医療崩壊」からだけでも、事件のアウトラインを知ることはできると考え入手していなかった。たまたまいった本屋においてあったので買ってきたのだが、本書は単に慈恵医大青戸病院での事件を論じただけでなく、日本の医療制度の問題点全体を論じたものであり、「医療崩壊」を書くにいたる小松氏の思考の過程を知るうえでも必須のものであることがわかった。わたくしには、「医療崩壊」よりも「慈恵医大青戸病院事件」のほうが、冷静で医療を相対的に見る視点がうまく保てているように思えた。それにしても、第三部で石田梅岩がでてきたのには驚いた。どうでもいいことであるが、松下幸之助氏や稲盛和夫氏も石田梅岩の信奉者であるなどと書かれているが、経営者が石田梅岩たることを従業員にすすめるようなことはまずいのではないかとわたくしは思う。それに稲盛氏はオカルトの人ではないかとわたくしは思っている。心学というのは下手をするとすべてのことが個人修養の問題になってしまうおそれがあり、安易に使うことを控えたほうがいい、なかなか使い方の難しい劇薬なのではないだろうか、と思っている。ところで、小松氏に石田梅岩を勧めたのは息子さんなのだそうである。なかなかユニークな息子さんなのだろうと思う。また小松氏がわたくしとほぼ同世代であることもわかった(2歳下)。全共闘運動からさまざまな影響を受けた方なのだろうと思う。
 また小松氏の立場が泌尿器科学会の中で非常に微妙なものであるらしいこともわかった。これを読んで誤解を詫びなければいけない部分も多々出てきた。すでに4回も論じた後ではなはだ困ったことであるが仕方がない。「慈恵医大青戸病院事件」を読むと、いくつかの問題について、その後「医療崩壊」を書いた2年くらいの間に小松氏が意見を変えた部分があるように見える。本の上では断定的に書かれていることでも、小松氏の中ではゆれている部分がたくさんあるのかもしれない。
 
 上に書いたことに直接かかわることであるが、この青戸病院での執刀医は腹腔鏡手術の勉強のためにアメリカにまでいっているということである。だから、この手術法を甘くみていたのではないかというわたくしの意見は撤回しなければいけないのかもしれない。とすれば、自信を持ちすぎていたということなのだろうか? とにかく謙虚というような部分がどこか不足していたのではないか、それがこれが「事件」となる最大の理由だったのではないかというように、わたくしには思える。
 
 さて、それで、「慈恵医大は大学という組織を守るために、あえて個人の能力の問題に問題を限局化してしまうことで、大学防衛に成功したのだ」ということへの小松氏の見解である。「大学は存続させなければならず、職員には給与を支払わなければならない。(中略)慈恵医大の経営者の判断は大病院の経営者なら誰でもとった行動であろう。東京女子医大東京医大などの状況をみると、慈恵医大の経営者は慈恵医大を守ることに成功した。さまざまな非難があることを十分に承知した上での苦衷の選択だったと推測する。倫理的、論理的に正しいことならば、すべて、社会に受け入れられる訳ではない。社会の受け入れ状況も時間経過で変化する。経営は結果責任である。正しいことを行っているから許されるというような甘い考えは一切なかったはずである。(中略)私がその立場にあったとしても、どのような判断をしたか分からない。」と小松氏はいうのであるが、この部分を読んで、あれっと思った。これは従来、医者が医療ミスをした場合にそれを隠すことをしてきた場合の弁明そのものではないだろうか? 「論理的に正しいことならば(⇒医療行為は確率によるのであり、ある一定割合で悪い結果はおこるということは論理的には正しいとしても)、すべて、社会に受け入れられる訳ではない(⇒患者家族の側に理解されるとは限らない)。経営は結果責任である(⇒医療行為は結果責任である)。正しいことを行っているから許されるというような甘い考えは一切なかったはずである(⇒医療としては正しいことをしていたとしても、受け入れられるというような甘い見通しをもってはならない)。」⇒したがって、自分が患者家族側に説明していることが本当であるなどとは自分でもさらさら思ってはいないが、その虚偽の説明は自分を存続させるためには必要なことである。
 この部分は「慈恵医大青戸病院事件」の方では、「慈恵医大が絶対にやってはならないことは、個人的な不祥事として刑事訴追された医師を有罪として切り捨て、慈恵医大そのものに問題はないとして、改革を怠ることである。ところが、慈恵医大は逮捕された医師三名のうちの二名と青戸病院泌尿器科部長の計三名を、判決を待たずに解雇した。私は、慈恵医大が危ない方向に進んでいるのではないかと危惧する」とだけ書かれている。この主張は「医療崩壊」でも繰り返されているのだが、そうすると「慈恵医大の経営者の判断は大病院の経営者なら誰でもとった行動であろう」という部分との整合性がなくなるように思える。経営上、この3名を解雇したことはやむをえないが、それはそれとして改革をすればいいということなのだろうか? しかし、個人の責任であるとすることは組織には責任がないということである。責任がないものが、なぜ改革しなければいけないことになるのか、論理的には苦しいと思う。あるいは、「個人的な不祥事として刑事訴追された医師を有罪として切り捨てる」ようなことは絶対にしてはいけないことなのであるが、そういうしてはいけないことをせざるをえなくするような、医療に対するマスコミの情緒的でヒステリックな対応が問題なのだということになるのだろうか? ここのところはどうしても理解できなった。
 さて、青戸病院事件の最大の問題は、この手術が腹腔鏡手術でされなければいけなかったのだろうかということである。おそらく(あるいは絶対に)そうではなかった。普通の開腹手術でよかった、というのが小松氏の見解である。しかし、それでも腹腔鏡手術になったのは、医者の功名心といった個人の問題ではなく、新しい医療技術を検証もなく安易に導入しようとする大学病院というものがもつ体質が問題なのだということで、この事件の本当の犯人は、輸血システムの不備と大学病院の体質ということになり、個人にしか責任を問うことのできない刑事事件にはなること自体がおかしいという結論につながっていく。
 そして、小松氏の立場が難しいのは、前立腺全摘手術の方法として腹腔鏡手術という方法をとるべきではないという立場を氏がとっている点にある。専門分野での手術法がいかにあるべきかにかんする小松氏個人としての見解と、日本の医療界における新しい医療技術の導入姿勢の批判が一体となってきてしまうのである。それはまだ「慈恵医大青戸病院事件」でのほうが、自覚的に区別されているように思えるが、「医療崩壊」のほうでは、随分と曖昧になってきてしまっているように、わたくしには思える。