小松秀樹「医療崩壊」(6) Ⅴ.Ⅵ章


 第酈章「安全とコスト」、第Ⅵ章「イギリス医療の崩壊」の2章をまとめてとりあげる。すべて「医療崩壊」の問題を直接論じている。
 小松氏によれば、日本の医療崩壊は病院からの医師不足という形で表面化してきているが、これは医師の数の不足によるのではなく、医者が病院勤務医から開業へとシフトしてきていることによる(イギリスでは同じことが、国外への医者の流出という形でおこっている)。
 問題はなぜ、医師が病院を離れるようになったか、あるいは国外へ脱出するようになったかであるが、それは「社会が構造的に病院医療を攻撃しはじめたから」である、という。これはマスコミの攻撃であり、警察・検察の介入であるが、一番大きいとされているのは「患者からの過度な期待と要求」であると、小松氏は考えているようである。患者は医師があらゆる問題をたちどころに解決できると過剰に期待していて、それがかなえられないと医師を攻撃する。医師は、医療には限界があること、しかも危険であること、それが患者に良い結果をもたらすか害をあたえることになるのかそのバランスはきわめて微妙であることはよく知っているが、自らのステータスを守るために、そのことを患者側に伝えてこなかった、しかし、これからはそうではいけない、医療には限界があり、死は最終的には避けられないということを医者と患者の共通の認識にすべきである、という。
 この主張は British Medial Journal に2001年に掲載された「 Why are doctors so unhappy 」という凄い題の論文の骨子でもある。この論文のことは本書を読むまでしらなかったが、要するに医者の悲鳴である。俺たちは全能の神ではない、できることには限界があることをわかってくれ! である。
 しかし、このような「患者からの過度な期待と要求」は、若者が20代でばたばたと結核で倒れていった時代にはでてくるはずのないものであると思う。長寿が当たり前の時代になってしまったからのものであると思う。
 そして、このような寿命の延びを、医療界は自分達のあげた成果であるかのように宣伝してきたのはないだろうか?
 おそらく、このような寿命の延びは経済の成長とそれにともなう栄養状態の改善によるところが一番大きいはずで、医療の果たした役割などは決して大きくはないはずであるが、抗生物質という「魔法の弾丸」の発見に目をくらまされて、それが医療の成果であるという神話がいつの間にかできてしまったのかもしれない。
 抗結核剤が開発される以前から、すでに結核は減り始めている。結核が劇的に減少したのは、医療の進歩によるのではなく、栄養の改善による。脳卒中が確実に減ってきているのも、血圧治療の進歩よりも栄養状態の改善によるところが大きいであろう。卵が“滋養”のために病人のみが口にできる特別な食べ物であった時代が、そう遠くない昔にあった。それが今ではコレステロール値が上がらないために、とりすぎにならないように卵は一日一個以下にしましょう、という時代である。
 医師があらゆる問題をたちどころに解決できるかのうように宣伝してきたのは、医者自身ではなかったのだろうか? それも、半ば本気でそう思っていた医者さえもたくさんいたのではないだろうか?
 科学への過信が患者の側ばかりでなく、医者の側にもあったのではないだろうか? それを今になって、医療には限界があり、危険でもあり、それが患者に良い結果をもたらすか害をあたえることになるのか、そのバランスはきわめて微妙であるのに、そのことを理解しない患者によって俺たち医者はやる気を失うことになったのだ、などといわれても、言われた側は、二階にあげられて階段をはずされたような気分になるのではないだろうか? 「最終的に人はみな死ぬ。医療はこの事実を変更できない。これは医師と患者がl共通の認識とすべきである」などと、今さらいわれても、戸惑うばかりではないだろうか?
 終にゆく道とはかねてききしかどきのふけふとは思はざりしを
 玉の緒よ絶えなば絶えねなどといひ今といつたら先お断り
 「患者からの過度な期待と要求」は、「最終的に人はみな死ぬ。医療はこの事実を変更できない」ことを患者側がしらないからではなく、そんなことは百も承知であるが、とりあえず今死なない方法を、医療はあるいは科学は持っているのではないか、という幻想を患者側がもっていることからでてくるのではないだろうか?
 もしも癌の特効薬が出来れば、老衰以外で死ぬのはみな医療ミスということになるのだろうか? そうなったら困るので、メタボリック・シンドロームなどという言葉を宣伝して、病気はみなあなたの不摂生の為という予防線を張っているのであろうか?
 小松氏は、「最終的に人はみな死ぬ。医療はこの事実を変更できない」ことを啓蒙することが、今の医療崩壊を食い止める切り札であるとしているように読める。しかし、これは、患者の側が医師があらゆる問題をたちどころに解決できると過剰に期待していることのちょうど裏返しでもあり、また同じ根っこの上に成立しているものでもあるのではないだろうか? それはあらゆることにはそれに応じた対策があるはずだという信仰である。患者さんの側は、医療の側に魔法のような医術を期待する。医者の側では、最終的に人はみな死ぬ、という啓蒙で対応できることを期待する。ここには、世の中にはどうしようもないことがあるのだ、というもう一つの見方が欠落しているように思える。要するに、養老さんのいう都市化の論理、脳化の論理の問題である。

 私は近代医学とは、まさにそういった自然の排除が人間の身体に及んだときの、それに対する「収容所」として成立しているのではないかと考えています。
 (中略)戦後の日本が都市化したということは、このように身体の自然さえも意識のなかで人々がすべてコントロールできると考えるようになったということです。(中略)
 一九九五年に起こった神戸の大震災は、どこからみても自然の現象です。人間的な意味はありません。(中略)(だが、あるひとがいうには、この前の戦争による空襲での)戦災のほうが人々の傷は浅かった。なぜなら、戦災には人間的意味があったからだ、と。(中略)人間的意味があるというのは、どういうことかといいますと、戦争中ならとにかく鬼畜米英といっていればよかったし、戦後になれば東条英機が悪かったのだと、とにかくそのような意味づけをすることができたということだろうと思います。
 (中略)私たちは小さいときには、自然災害では仕方がない、といったものではなかったか。(中略)人文科学の関係ではとくに、世の中について「仕方がない」といってはいけないのであって、それは権利を主張しなければいけないとか、そういうことであろうと思います。でも、田舎の人は「仕方がない」ということばを使ってきましたし、それはそれだけ自然と折り合って暮してきたからです。しかし、都市のなかではすべて人間の意識の世界ですから、そこで「仕方がない」というと、損をしてしまうことになる。それで、「仕方がない」がなくなってきたのです。(養老孟司「都市主義の限界」中公叢書 2002年)

 わたくしは、患者さんの側が《医師があらゆる問題をたちどころに解決できると過剰に期待している》のは「仕方がない」ことなのではないかと思う。なぜなら医療はとにもかくにも科学の末端に連なるものなのであり、科学は都市化・脳化の産物であるのだから。 医療は肉体という自然を科学という人工であつかっているので(などというと、精神医学はどうなるのだというさらに困難な問題にぶつかってしまうが)、そこから矛盾が生じてしまうのは避けられないのである。
 それで思い出すのが、福田恆存氏の「平和論に対する疑問」の一節である。

 もっと笑止だつたのは、この間の洞爺丸転覆事故のときです。私たちは次の日の朝刊ではじめて事件を知りました。だが、驚いたのは、その最初の事件の報道と同時に、著名な「文化人」数名の転覆事故についての意見が掲載されてゐたことです。(中略)かれらは「堂々たる卓見」を吐いてゐました。あるひとのごときは、海の事故は、船長の指揮さへよろしきを得、救命具をつけてゐさへすれば、海上をただよつてゐるうちに、かならず助かるものだなどといふ珍無類の意見を述べてゐる。冗談じやありません。天気晴朗な夏の伊豆の海ぢやあるまいし・・・、私は読んで腹がたちました。
 こんなでたらめは別としても、誰も彼ももつともらしく、あるいは船長を責め、あるいは当局を難じ、あるいは造船技術について云々してをります。だが、「運がなかつた」といつたひとはひとりもゐませんでした。勿論、私はそんなことをいふつもりはない。しかし、あのばあひ、船長を非難するのと、運がわるいといふのと、いつたいどういふちがひがあるのか。たつた一つのちがひは、「文化人」なら運のせゐにはしないといふこと、逆にいへば、船長や当局や、その他どこかに適当な原因を見いだせる人間、それを「文化人」といふ――さういふ、また別の定義がくだせさうです。(「福田恆存評論集 6 新潮社 1966年)

 わたくしは慈恵医大青戸病院事件でなくなった方は「運が悪かった」のだと思う。しかし、誰がそんなことを言えるだろうか? ましてや、警察は絶対にそんなことはいえず、誰か犯人を特定しなくてはいけない立場なのである。「文化人」の役割を誰かが演じなければいけないのである。そして、この事件の執刀医たちもまた「運が悪かった」のだと思う。少々輸血のタイミングを間違えても多くの場合はなんとかなるのである。しかし、「運が悪かった」などということでは誰も納得しない。われわれは「仕方がない」という言葉が通用しない、都市化した社会の中で生きているのである。
 洞爺丸事件とは、1954年青函連絡船洞爺丸が台風15号のため座礁転覆し千名以上の犠牲者を出した海難事故である。この事件に材を得た小説としては水上勉氏の「飢餓海峡」が有名であるが、もう一つの特異な作品として中井英夫氏の「虚無への供物」がある。これは、読んでいる読者に向って、お前が犯人だ!と告発するという、前代未聞(おそらく空前絶後)のペダンティックなミステリである。

 「だが、何のために、パパは暴風雨と知りながら船に乗った? 危いと判っている船に、なぜ自分から乗りこんでいった? 悲劇を完成させるためだ―。おれは、そう自分にいいきかせた。洞爺丸の沈没じたいは、悲劇でも何でもない、愚昧と怠慢の記念碑で、無知と恥知らずの饗宴場だといえるだろう。だが、パパはそこを、あえて自分の墓場に選んだ。その船で、もっとも人間らしい悲劇の決着をつけるため、ただそれだけのために、わざわざ乗り込んでいったに違いない。(中略)
 物見高い御見物衆。君たちは、われれれが洞爺丸の遺族だといっても、せいぜい気の毒にぐらいしか、考えちゃいなかったろうな。(中略)肉親を喪った者以外の誰が、洞爺丸の遭難を、自分の痛みとして受け取ったろう。自分の体が引きちぎられるような思いを、誰が味わったろう。(中略)無責任な好奇心の創り出すお楽しみだけは君たちのものさ。何か面白いことはないかなあとキョロキョロしていれば、それにふさわしい突飛で残酷な事件が、いくらでも現実に生まれてくる、いまはそんな時代だが、その中で自分さえ安全地帯にいて、見物の側に廻ることが出来たら、どんなに痛ましい光景でも喜んで眺めようという、それがお化けの正体なんだ。」(「中井英夫作品集」 三一書房 1969年)

 都会は自然と対するが、科学は芸術とも対するでのあって、「仕方がない」と「運が悪い」の対極にあるのが、「意味」への追求である。「無意味な死」を否定して、死に意味を与えたいとする衝動である。「虚無への供物」は「無意味な死」を否定して、それを「意味のある死」=「悲劇」にしたてようとする衝動を推力として書かれている。
 無意味に死んだのではなく、悪意によって殺されたとする方が、まだ残されたほうは納得できるというような論理、死は偶然ではなく必然であると納得したいとする心理、これは科学と根源的に対立する。科学の世界ではつねに死は意味のないものであり、偶然のものに過ぎないことになるからである。
 科学に多くの人が抱く反感の根源にはそれがあると思う。科学によれば人の生には意味がない。しかし、人は生に意味があると感じていて、その生を科学によって延ばそうとする。科学を嫌いながら科学に依存する、そういう態度から矛盾が生まれないわけがない。医療への愛憎半ばする感情が生まれてくるのは当然である。
 医療という行為にはその根源に矛盾を含む。むしろ、科学としての医療が進めば進むほど矛盾も先鋭化する。小松氏のように、医療の場から対立構造をなんとか消去しようと試みるのは、不可能の希求になるのではないだろうか?

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

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