梅田望夫「ウェブ時代をゆく −いかに働き、いかに学ぶか」(10)コミットすること

 
 ほぼ2年前「ウェブ進化論」を読んだときは、なにもかもがはじめてきく話ばかりであった。Web 2.0 もロングテールオープンソースもはじめて聞く話であったし、グーグルがなにを目指しているのかもはじめて知った。さすがにブログという言葉はきいたことはあったように思うが、読んでなるほどそういうものかと思い、自分でもはじめてみることにした。そういう目から鱗はたくさんあったのだが、なかでもよく覚えているところのひとつが、「がっくりと肩を落としたコンピュータ業界の長老」という部分である。
 2005年6月にグーグルが地図検索サービス「グーグル・マップス」のAPI(Application Program Interface )を公開した。APIというのは間違っているかもしれないが、コンピュータ・プログラミングを解するものであれば解読できる仕様書のようなものであろうかと思う。公開というのは誰でもただで見られてただで利用できるということである。開発に多大の費用を要したであろうものを無料で公開することのメリットはなかなか理解しづらい。梅田氏によれば、そうすれば不特定多数の開発者を巻き込むことができ、グーグル内部では思いつかないさまざまな用途が開発され、全体としては利用者が増える、ということである。いまの大企業のシステムでは、リアルの世界の側にシステムが作られている。それは何十年もかけて作られてきた堅牢なものではあるが、ちょっとした機能の増強にも億単位の金がかかる。しかし将来、ウェブ上にあるリソースを誰でも自由に利用していいのであれば、それを構築するためのコストは極端な場合には何万分の一にまでになってしまう。もしも未来永劫、大企業のシステムが内部で閉鎖的に構築されていくべきであるとすれば、APIの公開は脅威ではない。しかし、もしもウェブ側に公開されたリソースを企業の側でも利用するのであれば、自分のほうもまた開放する側へとまわらないければいけなくなる。そうなると、企業がそれまで営々と築きあげてきたシステムを放棄しなければいけなくなる。そのことを理解して、コンピュータ業界の長老はがっくりと肩を落としたというのである。要するに損をして得をとるというような話である。
 これは無償の奉仕でなりたつオープンソースの話とはまったく次元の異なる話である。「ウェブ時代をゆく」においては、「金儲けを優先する営利企業が中核となって、果たして「不特定多数との信頼関係」を長期的に結ぶことができるのか」について、梅田氏はそれほど楽観的ではなくなってきているように思う。「「経済のゲーム」の観点では、ウェブ2・0は思ったよりお金が回らないではないかという嘆息がこれから出てくるはずだ。「群集の叡智」の周辺には大きなお金の匂いがしないではないかと。しかし逆に、そこが大きなお金とは切り離された空間だからこそ、悪があえて介入するだけのインセンティブが小さく、それにより善性が際立つ「知と情報のゲーム」の空間になっているとも言えるのではないだろうか」というのは少々苦しい。
 確かにそう言えるのかもしれない。しかし、そう言われてもコンピュータ業界の長老は何も感じないだろう。「ウェブ進化論」では、情報を無償で公開することは、わまりまわって公開者にメリットをもたらすということであった。しかし、旧来の閉鎖した内部完結の論理に囚われている大企業では公開したくてもそうすることができず、結果として公開に抵抗がない新興の勢力に敗北していくであろうという壮大な図式があったように思う。それがどこかにいってしまった。大きなお金が回らなければ悪もまた生じないというのでは、なんだか清貧の思想である。わたくしは、清貧の思想は好きでない。
 大企業同士が情報を自社内に囲い込んでそとに出さないことが、壮大な無駄であることは自明である。A社とB社とC社が同じものの開発を独自に競っているなどというのははなはだ非効率な話である。みんなが協力して知恵をだしえあば「集団の叡智」でいいものができるに決まっている。それができないのはA社とB社とC社が互いに争っているからである。開発に携わっているひとも、いいものをつくりたいとか面白いものを作りたいというより、敵を打ち負かしたいというのが動機なのかもしれない。人間は、そういう動機がないとなかなか動かないものなのだろうか?
 前に紹介した「電子立国日本の自叙伝」にでてきた「超LSI技術研究組合共同研究所」では日本電気日立製作所東芝三菱電機富士通のライバル企業の技術者が共同で研究している。1976年に総予算700億円(国が300億円、企業が400億円)で設立された組織である。その思い出話。

 技師A:最初は言葉が違うんですよ。同じことを言うのに。会社によって使う言葉が違っていたんです。ですから最初は、使うテクニカルタームを決めることから始めたんです。
 技師B:われわれに非常に有意義だったことは、ある会社にとってはすでに当たり前のことが、別の会社にとっては案外それが当たり前のことじゃなくて、「ああ、そうだったのか」ということが非常に多かったことなんですね。
 技師C:A社では悩みの種だったことが、B社では解決済みなので、B社のエンジニアはポッとしゃべる。それを聞いてA社は、ひそかに膝を打つ。もちろん逆もあるわけです。そんなことが日常茶飯事でしたから、LSI技術が、知らず知らずのうちに平準化していった。
 技師D:超LSIという新しいことをはじめるという触れ込みだったんだけれども、最初は疑心暗鬼だった。一体、相手企業からどんな人材が出てきているのか。しかし互いに同じオフィスに机を並べ、研究をし、食事をし、酒を酌み交わしてみると、日本電気東芝富士通も考えていることは同じだということに気がついた。技術的には、まったく同じことを考えているんだなぁということがわかったんです。そういう認識ができてからは、みんなが腹を割ってやるようになりました。
 技師E:結局、成功したいちばんの秘訣は、超LSIをつくるのに必要な基礎的な共通技術を皆で力を出し合ってやるんだと割り切ったことだと思うんですね。ですから、われあれはモノをつくることは最初から放棄していました。モノをつくることになれば、各社の思惑が前面に出て身動きがとれなくなったでしょうね。共同研究所が成功したのは、モノつくりという最も血なまぐさい生産現場には踏み込まなかったからだと思います。どの企業の将来にとっても必要な基礎技術だけを研究したのです。あとは、それを自分の会社に持ち帰って再びライバル会社と食うか食われるかモノづくりの戦争をした。

 この超LSI研究所が作られたのは、通産省の指導によってであり、日本がアメリカに追いつき追い越そうという目的からである。ちゃんと競争相手、敵がいた。だから、最後は「同期の桜」になる。
 ウェブ時代は国境が取りはらわれる時代である。仮想敵を想定する必要はなく、みなで協力できるはずの時代である。梅田氏が若い世代に希望をもつのは、わたくしの世代までのような競争相手を想定することが動機となる世代ではなくなってきているからであろう。
 「村上春樹河合隼雄に会いにいく」(岩波書店 1996年)で、村上氏は「日本にいるあいだは、ものすごく個人になりたい、要するに、いろいろな社会とかグループとか団体とか規制とか、そういうものからほんとに逃げて逃げて逃げまくりたいと考えて、大学を出ても会社にも勤めないし、一人でものを書いて生きてきて・・」といっている。この辺りは村上龍の共同体嫌いなどとも通底するものがあろう。
 日本の共同体の典型は軍隊で、遠藤周作の「どっこいしょ」も、丸谷才一の「笹まくら」もみな軍隊から逃走・逃亡する話である。丸山真男の「日本の思想」も軍隊生活への恨み辛みが生んだものではないだろうか? わたくしにしても、医者になったのは何も特別な動機があるわけではなくて、ただサラリーマンになるのはいやだと思っただけである。そのころわたくしは、会社というのは軍隊みたいなところだと思っていた。知性よりも精神論が幅をきかせるところ、“根性”がはばをきかせる場所である。だから、仕事を選んだ理由も、なにかになりたかったわけではなく、あるものになりたくなかっただけである。日本における個人というのは、ポジティブな追求の対象ではなく、共同体からの逃走という側面が非常に強いと思う。シリコンバレーに日本人が少ない理由の相当部分はそこに由来するのではないだろうか。
 それで思い出すのが、山本七平がどこかでいっていた「渡り職人」という話である。日本でも昔から自分の腕だけを頼りに「包丁一本晒に巻いて旅にでるのも板場の修業」という人たちはいた。彼等は重宝にされたが、組織外の人間、共同体外の人間とされ、絶対に組織の長、お店の主となることはできなかったという。後を継ぐのは、小僧、丁稚、手代、番頭とその店で一から叩きあげた人間で、そういう人間にしか暖簾分けはされなかった。日本の終身雇用ということの背景には、そういうこともあるのだろうと思う。
 山本氏もいうように、日本の会社に就職したとき、契約書のどこにもあなたを終身雇用しますとは書かれていない。そもそも雇用契約期間さえ書かれていない。ある時期、日本で会社は株主のものという議論が出たとき、多くの日本人がまったくぴんとこず、理解できなかったのは、会社は、その内部で、小僧、丁稚、手代、番頭とたたきあげた人間のものとみんな持っていたからである。それがたとえ、課長、部長、常務、専務と名前が変わっていてもである。
 「ウェブ進化論」で梅田氏がいう「日本の大企業経営者、官僚、マスメディア幹部、いわゆるエスタブリッシュメント層の中枢に座る、私よりも年上の人たちの大半が、組織を辞めたという個人的経験を全く持たないのである」ということには深い背景があり、多分、梅田氏の論の順序は逆で、「組織を辞めたという個人的経験があるあるひと」はエスタブリッシュメント層にはなれない仕組みが日本の組織では強固に出来上がっているので、幹部は必然的にそういう人で占められることになったのではないだろうか。「小さな会社で働き、少しでもいい場所に移る」ことをしているひとは、昔であれば、「渡り職人」として色眼鏡で見られてしまったように思う。
 もともと「渡り職人」であることをえらぶひとは自分でもえらくなろうとは思っていない。自分のしたいことをできるところ、自分の技量が評価される場所で働きたいと思っているだけである。日本の社会では、したいことをするのと、組織をマネージすることは違ったこととみなされている。組織をマネージするのに必要とされるのは、おのれを殺す才であるから、自分のしたいことをするひとにはマネージメントはまかせられないと考えている。
 しかし、アメリカは違う。小僧、丁稚、手代、番頭などというものはない。多分、雑巾がけなどという言葉はない(だろうと思う)。「アメリカに行って思ったのは、そこにいると、もう個人として逃げ出す必要はないということですね。もともと個人として生きていかなくちゃいけないところだから」と、村上春樹は言う。日本では集団のなかで生きることが苦しくなった人が個人として逃げ出すのだが、アメリカではみな最初から個人として世界に投げ出されている。
 梅田氏は「個」としての精神的自立が大切であることをいう。村上春樹との対談で河合隼雄はこんなことをいっている。「ぼくは教育の世界の人によく言うんですが、このごろの学校教育というのは、個人を大切にしようとか個性を伸ばそうとか、教室でよく大書してあるんですね。ぼくが、「こんなこと、アメリカではどこにも書いていない」って言いますと、みんなものすごくびっくりするんですわ。/アメリカでは個性は大事じゃないんですかと言われますが、いや、そういうのはあたりまえな話だからわざわざ書く必要はないんだ、と答えるんです。/日本では「個性を大事にしましょう」と校長先生が言ったら、みんなで「ハィー」というわけで、「みんないっしょに個性を伸ばそう」ということになって、知らない間にみんな一体になってしまうんですね。それほど、日本では個人ということがわかりにくいんですね。」
 だから梅田氏の本を読んで、そうか自分も精神的に自立しなければいけないのか、と思う人がいたとすれば、それは「梅田」教の信者になったのではあっても、精神的に自立したとはいえない。橋本治がいっているように(「宗教なんかこわくない!」)、自立するというのは“自分の頭でものを考える”ということである。“自分の頭でものを考える”というのはものすごく効率の悪いことで、正しいことを知っている誰かの説を受けいれるという安直なことの正反対である。いつまでも、ぐずぐずと、ああでもないこうでもないと考え続けることである。どこまでいっても、すっきりする時はこない。
 自分の頭で考えると一人ぽっちになってしまう。考えるのというのは、自分が一人だけですることだから。橋本氏が「人生相談」(「青空人生相談所」)である中一の男の子に答えているように、「人間というものはね、一人になっても何かをやっていけるだけの強さっていうものを持たなくっちゃいけない」のである。
 橋本治の「宗教なんかこわくない!」から引用してみる。長い引用になる。

 私は、「就職したくない」と思っている大学生を知っている。「この会社が嫌いだから転職したい」と思っている若い会社員の存在も知っている。就職したくない学生は、なんらかの形で大学に残ろうとするし、自分の入った会社が嫌いな会社員は、もう一度大学に戻ろうとしたりする。「この会社、この仕事では“自分”というものが活かされない」と思っている人間も知っている。
 彼や彼女にとって、“仕事”というのは、“他人の需要に応えるためのもの”ではなくて、“自分を表現するためのもの”なのだ。今まで一度も“自分”というものが現実生活の中で表明されたことがなく、“仕事”という状況の中では“他人の需要に応える”ということだけが要求される。「このまんま“自分の中に眠っている自分”は、一度も日の目を見ることもなく終わってしまう・・・」と焦る気持ちも分かる。しかし、そういう彼や彼女が、果たしてそれまでの“自分”なるものを表明しようとしたことがあったのだろうか? 彼や彼女のした“苦闘”は、「自分というものを絶対に表明すまい」というような苦闘だろう。そういう人間に、そんな自分の無能な過去を振り返らずに、まともな“自己表現”なんか出来るはずはない。
 だから、そういう彼や彼女に対して、“世間”というものは、「甘ったれるんじゃないよ」という目を向ける。会社というところは、それに関しては典型的な社会だ、だから、会社というものは、“自分”というものを圧殺してしまった彼や彼女を、平気で圧殺する。会社なる社会を作っている人間たちは、“他人の需要に応える”ということだけを考えて、“自分の欲求”をまともに考えなかった人間が大部分なのだから。
 彼や彼女は、だから当然、そういう会社社会の中の人間関係が嫌いだ。がしかし、果たして彼や彼女は、本当に“人間関係”が嫌いなのだろうか? 私はそうだと思わない。
 彼や彼女は、自分を取り巻く人間関係の中に、「自分を理解してくれる人間」がいないことを知って、そうして憎んでいる。彼は彼女は、「自分たちを丸ごと愛して受け入れてくれて、そして理解してくれる上司」がいれば、それでOKなのだ。彼は彼女は、そういう人間関係に関する“さもしさ”を理解していない。彼や彼女が“愛情”に飢えていたとしても、まだ未熟で曖昧な“自分”なるものを外に出して露呈させてしまうことを恐れる彼等は、決して「自分は愛情に飢えている」などとは言わない。言わないで、ただ待っていたり、イライラジリジリしていたり、不機嫌に黙り込んでいたりする。(中略)
 会社が嫌いな若者は、実はとっても会社が好きだ。なぜかというと、彼等は会社社会に適合する人間になるような教育だけを受けているからだ。会社社会と教育機関が無意識の内に結託して、会社社会にだけ適合するような人間を作り出していると言ってもいいだろう。日本人にとって“会社”は最大の宗教で、教育は最大の洗脳だといってもいい。そして、そういう“洗脳”を受けた人間達にとって不幸なことは、現実の会社というものが、あんまりそういう人間の内実を問題にしてくれないということだ。会社にしか適合しないような教育を受けた人間を、会社というところはあんまり歓迎しない。
 景気のいい時は「なんでもいいから採用しろ!」で、景気が悪くなったら、「没個性の人間はいらない」と言う。当然のことながら、利潤追求機関であるところの会社は、有能な人間を求めている。そして、会社の言う「有能な人間」とは、会社にしか適合しないような教育をはねのけて、そこで“有能な個”を作り上げた人間のことだ。そして、当然のことながら、この“有能”は、会社という調和社会の秩序を壊さないようなものでもある。ということになると。これはとってもむずかしい。つまり、「会社の方針に反しない程度に、会社社会に対して反抗的な人間」ということにしかならないからだ。こんな不安定な条件を、人間はいつまでも持続していることが出来ない。若い人間なら、こんな条件はただ「矛盾」として斥ける。

 「組織やコミュニティに埋没せず、「個」が精神的に自立することは」はある意味では組織からも要求されていることでもある。組織のいうことにただ従うのではなく、組織のいうことを吟味し検討し、ある場合にはそれに従わないような人間が、大組織にとってもこれからは有能な人材になってくる。知性がある人間は、もはや会社命で働くことなどはできないと梅棹氏もいっていた。しかし、それでも共同体は重い。
 アメリカが希望の国でありうるのはそのためである。「アメリカ素描」で司馬遼太郎が述べているように、「いまもむかしも、地球上のほとんどの国のひとびとは、文化で自家中毒するほどに重い気圧のなかで生きている」のであり、日本の共同体、たとえば会社社会もその「自家中毒するほどに重い気圧」の一つなのである。司馬氏もいうように文化は不合理なものであり、特殊地域的なものである。日本では、文化に無縁であろうとすると、変なやつとしてみられてしまう。「渡り職人」は日本ではおそらく、変なやつである。
 「アメリカ素描」で司馬氏は、アメリカ出発前、「アメリカは文明だけでできている国で、だから不合理で特殊なものを(つまり文化を)個々にさがしているのではないか」という仮説を述べる。それに対する答えとして、「ウェブ時代をゆく」で引用されている在日韓国人の「もしこの地球上にアメリカという人口国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐしい」という言葉がでてくる。文化がないということは清々しいことでもあるのである。と同時に、原理主義を抑制するものがないことにもなる。金儲け原理主義の人に対し、あまりに金にこだわるのはいかがなものかというブレーキが、どこからもかからないことになる。
 日本の時代小説で人気があるのは戦国時代と明治維新なのだそうである。時代の箍がゆるみ、変わり者がおのれの才覚で縦横に生きられた時代である。下克上の時代である。日本人だって息苦しいのである。自分の頭をおさえつける重しがとれてくれたらと思っている。だから、日本の文学は共同体からの「逃亡奴隷」の話を描くものばかりだった。そういう日本人からみて、アメリカは変なやつが大きな顔をして生きられる国でもある。梅田氏がアメリカという人工国家に似た「もう一つの地球」を夢見るのは、日本では変なやつが大きな顔をできる場所があまりに少ないからである。日本がまだまだ息苦しい。
 「司馬遼太郎の流儀」という本の「司馬史観にふれて」という文で鶴見俊輔は、司馬遼太郎が小説で書き続けた人は、「岐路に立って選ぶことができる、自分の意思によって生きることができる」人だったといっている。共同体の論理をどこかで踏みはずせる人であり、それが丸谷才一のいう奇人であるのかもしれない。同じ文で鶴見氏は、「知識人というのは、知ったかぶりをしない人」という定義も述べている。知識人の反対がイデオロギーでものをいうひとで、イデオロギーというのは何でも説明できてしまう。自分の頭でものを考える人は、わからないことはわからないとし、他人の考えでそれを説明してしまうことをよしとしない。
 とはいっても、組織の締めつけや重圧は日本でも次第に軽くなってきた。とにかくも人間が食えるようになってきた。司馬氏は「人間の集団について ベトナムから考える」でこう言っている。

 私の友人に、元曹長がいる。・・あるとき電車のなかで居眠りをしていてふと目をさましてむかいの列をみると、まったく目に力のない若者がおおぜいで笑いさざめているのをみて、なにか異様な感じがしたという。十年前の若者の目はこうではなかったとかれは慨嘆するのだが、かれのこのときの感受性が正確だったとしても、その若者たちについてはさほど問題ではない。
 日本は弥生式農耕が入ってきて以来、さまざまな時代を経、昭和三十年代の終りごろになってやっと飯が食える時代になった。日本人の最初の歴史的体験であり、その驚嘆すべき時代に成人して飢餓への恐怖をお伽噺としか思えない世代がやっと育ったのである。いま国家的緊張はなく、社会が要求する倫理は厳格さを欠き、キリスト教国でないために神からの緊張もない。こういう泰平の民が、二千年目にやっとできあがったのである。目に力をうしなうというのはそういうことであり、人類が崇高な理想としている泰平というのはそういうものであり、泰平のありがたさとは、いわばそういう若者を社会がもつということかとも思われる。

 梅棹氏がいう、ようやく行きつくところまで行ったということかもしれない。ニーチェなら、こういう人たちをこそ末人といったであろう。だが、こういう目の力を失った若者もふたたび目を輝かせてバブルという坂の上の雲を追いかけるようになり、そのため晩年の司馬氏は日本に深く絶望するようになっていったように思われる。
 「食べる・寝る・祈る・愛するといった生存を続けるための諸行為からなる素朴な暮らしを続ける」(「人間の集団について」)ことは人間には難しいのかもしれない。人間にはさまざまな業、欲望があるのだから。いくら充分に食べられるようになっても人間は満足しないらしい。
 (司馬氏は学歴社会では落ちこぼれで、数学がまるでだめなひとだったらしい。今ならウェブ・リテラシー社会での落ちこぼれになるかもしれない。それとも、グーグルを駆使して効率的に資料を収集し分類していただろうか?)
 関川夏央「戦中派天才老人 山田風太郎」で山田風太郎はこんなことを言っている。

 たまに女房についてスーパーに行く。外出嫌いのくせに食料品売場を見るのは楽しみなんだ。あふれんばかりに並んだ食品を、懐手して眺めながら、この風景を戦争で死んだ連中に見せたら、彼ら気が狂うだろうなあ、と思っている。

 これだけ食べられるようになったのだから、食っていけるようになったのだから、もういいではないかというようにはなかなかなれないようなのである。
 吉田満はこんなことを書いている(「戦没学生の遺産」)。

 私はいまでも、ときおり奇妙な幻覚にとらわれることがある。それは、彼ら戦没学徒兵の亡霊が、戦後二十四年をへた日本の上を、いま繁栄の頂点にある日本の街を、さ迷い歩いている光景である。死者がいまわのきわに残した執念は容易に消えないものだし、特に気性のはげしい若者の宿願は、どこまでもその望みをとげようとする。彼らが身を以って守ろうとした“いじらしい子供たち”は今どのように成人したのか。日本の“清らかさ、高さ、尊さ、美しさ”は、戦後の世界にどんな花を咲かせたのか。それを見とどけなければ、彼らは死んでも氏にきれないはずである。

 たとえ食べ物があふれていても、そこには清らかさも高さも尊さも美しさも何もないではないかというのである。三島由紀夫の自決前の演説を想起させる。
 山田氏の感慨も、吉田氏の慨嘆も、今の若者にはまったく無縁のものであろう。食べ物はあふれていてあたりまえなのであるし、太平洋戦争などはるか昔の遠い過去のできごとなのであろう。物心ついたときにはコンピュータはあたりまえの道具として身の回りにあったはずである。しかし、それでも今の若者の多くは閉塞感にとらわれていると梅田氏は感じている。
 村上春樹との対談の後書きで、河合隼雄はこんなことを書いている。

 現在の青年は元気がないとか、学生がおとなしすぎるなどという嘆きを年輩の人から聞かされることが多い。確かに、そのように感じられるのも事実である。しかし。これは別に現在になって若者の質が急に低下したわけではない。かつて考えられていたような「反抗する青年」というイメージが、いまは通用しなくなっただけのことである。
 現代の青年に覆いかぶさっている重荷は、簡単にその内容を捉えにくいものであるし、何かに対する反抗などという形で、すぐに表現できるようなものではない。

 問題はいまの若者がなににコミットしていいのかがわからなくなっている状況にあることなのだという。梅田氏も本書で、一つのコミットの仕方を提示しているわけである。
 この対談は1995年におこなわれたものだが、河合氏は「いまの若者たちもやっぱりデタッチメントの気分は非常に強いですよね。コミットするやつは、極端に言えば、バカだと、そのぐらいの感じがあるんじゃないでしょうか」と言っている。「日本の場合は、どうしてもコミットしだすと、みんなベタベタになるというところがあるのです、一丸になってしまうという。/全体にベタベタにコミットしているやつが立派なやつで、自分の個人のアイディアでなんとかしようとするやつは、それは異端になってしまうでしょう」とも。だから「ウェブ時代をゆく」で、「人生をうずめている人」が評価されていることについては、わたくしは何となく違和感を感じる。いくら好きであっても、その人が幸福であっても、どこかおかしいように思う。そのひとは好きでやっているのだから、ほめてあげることもないのではないかと思う、というのは変な感性だろうか?
 また河合氏は、

 現在の若者のすべきことのひとつの見本として、村上さんのして来られたことを考えることができます。体制の裏がえしの反抗ではなく、「ほんとど何もないところに、自分の手でなんとか道を拓いて、僕なりの文学スタイル、生活スタイルを築き上げて」いくこと。そこから新しいものが生まれるし、それは図式的に考えた反抗へのコミットメントが、頭だけのことで線香花火的に消えていくのに対して、「自分なりのスタイル」を築くために、自分全体をあげてコミットメントをしなくてはならなくなる。そしてそこから自分の「作品」が生み出される。
 この「作品」というのは、何も芸術作品のみを言っているのではなく、その生き方そのものが「作品」と考えるのです。わたしはこんな点で、現在の若者たちに大いに期待しているのです。

 ともいっている。これは梅田氏の「けものみち」をゆくこととほとんど同じことをいっているように思える。要するに、今までいわれていた既成の生き方以外に選択肢がないわけではない、ということが示せればいいのだと思う。
 ここで河合氏がいっていることで面白いのは、英語の「個」とは individual だが、日本で問題になる「個性」というのはそれとは違うという指摘である。英語においては人間は個体としてすでにばらばらなのであるが、日本ではなにもなければ集団のなかにいる人間が、意思的・意識的に努めた結果、「個」になるのである。
 この対談で、村上春樹は、小説を書くということは、自己治療的な側面があるといっている。何かいいたいことがあるから書くのではなく、自分の中にどのようなメッセージがあるかを探し出すために小説を書いているような気がすると。多くの人にとってブログを書くということは自己治療的な側面を持つのではないかと思う。だから誰も読まなくてもそれでも意味があるわけである。わたくしにしても、ここでいろいろと書いているうちに、そういえば今書いていることは、昔読んだあれと関係があるのではと思いつくことが多々ある。自分のなかの情報の再配線がおこなわれるわけである。誰の役に立たなくても自分の役にはたっている。
 またこんな対話もある。

 河合:日本人の場合は、異性を通じて自分の世界を広めるということを、もうすっかりやめてしまうというのもあるんですね。細かいことを調べて学者になっているとかね。エロスが違う方に向いているのです。エロスを女性に向けるというのは、相手は生きているからなかなか大変ですけれども、エロスを、たとえば、古文書に向けてもいいわけです・・。
 村上:あるいは会社で一生懸命働くとか。
 河合:そうそう。生きた人間でないものにエロスを向けている人はすごく多いですよ。

 オープンソースを書くことが生きがいで、そこに「人生をうずめている人」はなんとなくエロスの方向がそちらに向いている嫌疑なしとはいえないような気がする。別にそれが悪いということではないのだが・・。「村上:朝起きて、会社へ行って、仕事して、帰ってくるというのは、ある種の才能なわけですね。河合:才能ですよ。」ということがあるわけだから、「人生をうずめる人」ばかりでも困るわけである。
 そして村上春樹いわく、「いまの若い人がぜんぜん根性がないといって怒る人がいるけれども、もしそうだとしても、それはいい悪いの問題ではなくて、そうならざるをえなかったからなっているのだと思うんです。彼らが自分で選んでそうなったわけじゃなくて、そうなるべく選ばれたんだから、良い悪いという基準では考えられらない」ということなのであり、「深く病んでいる人は世界の病いを病んでいる」と河合氏もいうのであるから、若者の問題の根はとても深いことになる。
 「ウェブ進化論」では、ウェブ時代が既成社会(リアル社会)を根底から覆すパワーを秘めたものととらえられていたように思う。しかし「ウェブ時代をゆく」においては、リアル社会とは別の場所に、もう一つの地球をつくるという方に力点が置かれている。それがネット社会のほうへと逃げるという方向ではないのかというのが微かに感じる疑問である。それよりももっと大きな疑問は、ウェブ・リテラシーといった方向に親和性をもたない若者はどうしたらいいのだろうかということである。そのことに梅田氏が見解をもつ義務は少しもないけれでも、今までの学歴に代わって今度はウェブ・リテラシーということなら(そのように読む若者もいるではないだろうか?)、一部の若者以外はあまり鼓舞しないかもしれない。
 もちろん、一人でも二人でも本書を読んで、既成社会よりもはるかにウェブ社会に親和性をもつ若者がリアル社会で沈没してしまうことなく、もう一つの地球の中で花開くことができれば、梅田氏がこの本を書いた目的は達せられたことになる。
 しかし、既成社会に安住している人にも、そんなことをしていると明日はないぞというという方向のメッセージも同時に発信して欲しかったというのが、わたくしの無いものねだりの感想である。今の社会は病んでいるのであるから、そこで安住している人というはいささか困るのである。少しは不安になってもらいたい。

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

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村上春樹、河合隼雄に会いにいく

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