梅田望夫「ウェブ時代をゆく −いかに働き、いかに学ぶか」(9)吉田健一「埋れ木」

 
 梅田氏の「ウェブ時代をゆく」を読んで、思いだした本、連想した本をとりあげ、それとの関係から梅田氏の本の占める位置をマッピングするのも、そろそろ種切れである。グーグルのしようとしていることは情報の関連づけであろう。情報相互の位置関係を測定しようということである。お互いに似通った情報の関連をみてもあまり新しいものはえられない。なるべく関連がなさそうなもの、一見無関係にみえるもの同士の関係を探るほうが生産的なのではないかと思う。ミシンとこうもり傘である。そういうことで梅田氏の意図とは遠く離れた方向に議論がいってしまった部分も多くあったと思う。
 吉田健一の「埋れ木」(集英社 1974年)ということになれば、これは本当に「ウェブ時代をゆく」とは何の関係もない。どう考えても無理筋である。初手に端歩をつくようなものである。
 「埋れ木」は吉田氏の最後の長編小説で、よほどの健一ファンでなければ読み通せないと思われる奇妙で不思議な小説だが、これを思い出したのは、その書き出しによる。

 新聞に原稿を書いて原稿料を取ってそれで新聞社の社員でもなければ有名な文士でもなくて暮らして行くという手もある。別に難しいことではなくてそれをするのに必要なのは常識と雑学だけであるから四十、五十になるまでただうかうかとその辺を眺め廻して生きて来たのでなければこれは誰にも出来る商売である筈である。後は運だろうか。・・要するに唐松は大して苦労もしないで楽に暮して行けた。・・そういうことをして暮しを立てているのは殆ど何もすることがないのに近い。そして金に不自由はしないのである。

 本当だろうか? 吉田健一の小説はある意味ではみなお伽話というかユートピア小説だからそれでいいのかもしれないが、本当にそんなことをしていては運が悪ければホームレスではないだろうか? 事実、宰相吉田茂の御曹司健一は乞食をしていたという伝説さえある。しかし「運がよけりゃ」ほとんど何もしないで、金に不自由なく暮らしていけるというのである。それで「こう書いて来ると唐松が言わば隠者の生活をしている人間という風な印象を与えるのではないかという気がする」という。本当にそうである。
 この書き出しが何か肩すかしの印象をあたえるのは、仕事というものにほとんど何の価値もおいていないように読めるからである。梅田氏の論じる仕事が Beruf であるのに対して、吉田氏の仕事は Job である。何をしてもいいではないか、金が入ってきて、生きていけさえすれば! 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」(太宰治ヴィヨンの妻」)というような感じである。
 この小説に田口という新聞社の記者がでてくるのだが、新聞記者のくせに、「田口にも唐松もそういう新聞の記事で言えることがお座なりの域を出ないことを知っていて今日の日本、或は寧ろ東京では余り本当のことを書けば新聞社に整理部というものがあってこれを整理する。・・田口にとっては日本のような貧乏国にしては大資本を抱えた新聞社がそういうお座なりで紙面を埋めてこれは世界でも類稀な数の読者がそれを読んで商売になり、それで軍隊ならば、二、三連隊に相当する人数が暮して行けるのが面白かった。或はそれで結構なのだった。それと昔の瓦版売りが辻占同様の方法で瓦版を作って売って歩いて暮したのとどう違うのか。・・田口はなりわいという言葉に味があると思っていた。」 自分の仕事の意義などまったく認めていないのである。「歩いていたら道に穴が空いていた。危ないから埋める」などという高尚な話ではなく、全然やって意味あることとは思えないが、それでもそれを欲しがるひとがいるから提供する。それで商売がなりたつのならいいではないか、という姿勢である。
 「定本 落日抄」(小澤書店 1976年)収載の文章で、吉田氏は東京新聞の文化部の部長であった樫村實という人のことを書いている。そこに「樫村さんはどういふことをしたといふやうな人間ではない。その方面からすれば樫村さん程度の人間は幾らでもゐる筈であるが仕事を普通にやつて極めて平凡に生きてそれで人を惹かずにゐないといふことは一般に考へられてゐるのと別な種類の充実がそこにあることを示してゐる。それは刻刻の充実とでもいふことだらうか」と書いている。この田口という記者の像は、幾分かはこの樫村氏から発想されたのではないかと思う。
 なにをしたかではなくて、どんなひとがであるかが大事なのである。四十、五十になるまでただうかうかとその辺を眺め廻すような生き方をしていない人間であるならば、つまりひとかどの人間であるならば生きていける社会、それを吉田健一は文明社会と呼んだ。「文明はその性質からして優雅と同義語であるがその優雅は人間の振舞ひにあり・・優雅の観念が一つの常識になつて受け入れられてゐる人間の集団を見る時に我々はそれを文明と呼ぶ。・・十八世紀のヨオロツパといふのは優れた精神の持主であれば一人前に暮せることが保障されてゐたやうな時代だつた。(「ヨオロツパの人間」新潮社 1973年)」
 その優れた精神の持主がたとえばヒュームであり、ヴォルテールである。もちろん、ヒュームもヴォルテールも大きな仕事をした。しかしヒュームは le bon David として歓迎されたのであり、ヴォルテールもなによりも機知ある文通相手として尊重された。彼らは社交界で、サロンで歓迎された。サロンでは身分ではなく、機知と知識と諧謔をもつものが尊敬された。
 渡部昇一氏は「日本史から見た日本人」(産業能率大学出版局 1973年)で「日本人は和歌の前で平等」という説を述べている。ユダヤキリスト教圏では「神の前において平等」、ローマでは「法の前において平等」、日本では和歌の前において平等、というのである。万葉集には上は天皇から下は農民、兵士、乞食にいたるまでの歌が収められている。日本ではすぐれた歌を詠める人間は身分に関係なく尊敬されるのだと。
 身分とか社会的地位とかとは別の価値が支配する世界というと、遊郭もまた想起される。粋/野暮の価値観が身分を超越する世界というのは後世が作った神話なのかもしれないが。
 梅田氏の思いえがくのも、学歴とか所属する会社の大小などとは関係なく、優れたソース・コードの書けるひとが尊敬され、生きていけるような世界である。「優れた精神の持主であれば一人前に暮せることが保障されてゐたやうな時代」のかわりに「優れたコードをかく技量の持主であれば一人前に暮せることが保障される時代」である。あるいは「優れた精神の持主であれば、かりに一人前に暮せることは保障されてはいなくても、少なくとも一目はおかれるような時代」である。よい歌を詠むひとが尊重されるように。要するに、固定した組織社会の枠組みの外に存在する、リアルの世界とはまったく違った価値基準をもつ世界である。
 大きな組織と小さな組織の違いとは何なのだろうか? 山本七平氏がどこかで、ある銀座の老舗の息子が後を継がずに、ある大会社のサラリーマンになったということを書いていた。それは欧米などでは理解できないであろうが、日本でならすんなりと理解される事態である、と。あきらかに収入も少なく、自己の裁量範囲もほとんどない会社員などになぜなるのか? それは日本では銀座の老舗の若旦那であるよりも、たとえば大三菱の社員であるほうが身分が上だからであるという。大会社に所属する人間は自分が何者であるかを証明する必要がない。しかし名もない会社の人間は、それだけでは何者でもない。自分が何者であるかは、自分で証明しなくてはならない。少なくともある時代の日本人が、受験競争に明け暮れたのは、それが大きな仕事をしたいとか、安定した生活をしたいということよりも、名刺に誰でも知っている会社の名前を刷りたいということが大きかったのではないだろうか。
 「ウエブ時代をゆく」は日本向けの本であり、日本の固定してしまった社会を揺り動かすことを企図している。かりに、ウェブの世界、ブログの世界が、もう一つの地球上に新しい「サロン」「社交界」を作れりあげたとしよう。問題はその世界の広さなのだろうと思う。わたくしは本書を読むまで松本行弘というひとを知らなかった。世界のオープンソース・コミュニティにおいて、日本人として最も尊敬されている人物なのだそうだが、オープンソース・コミュニティ以外ではあまり知られていないのではないだろうか? 世界で3人しか読むひとのいない論文の世界とは少し違うかもしれないが、それでも閉じた世界であると思う。
 日本の固定した社会を揺り動かすためには、古い地球に住んでいるひとにも届く名前がウェブ社会からでてくる必要があると思う。そうでないと古い地球に住む人間が安心してしまって自分を変えなければいけないとはこれっぽちも思わないかもしれない。松本氏を頂点とするウェブの世界の人たちを梅田氏が代弁した「ウェブ時代をゆく」を読んで、感激し志をたてて既成社会の路線とは異なる道を果敢に歩んでいく若いひとがこれからでてくるであろう。問題は既成の社会にすでに組み込まれてしまっている人が、このままではいけないと思うだろうか、ということである。それがよくわからない。
 

埋れ木 (1974年)

埋れ木 (1974年)

日本史から見た日本人―アイデンティティの日本史 (1973年)

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