赤木智弘「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」

   双風社 2007年11月
 
 著者の赤木氏は1975年生まれであるから32歳、「論座」の今年1月号に「『丸山真男』をひっぱたきたい ― 三十一歳、フリーター。希望は、戦争」という論文を発表して注目されたひとらしい。論文のタイトルにもあるように、いわゆるフリーターとして働きながら自分のウェブサイトに意見を書いていたところを注目されたということのようである。
 一読して感じるのは、論理的な思考ができ、まとも文章を書ける能力がある著者のようなひとがなぜ組織の中に入って「正社員」として働くことができず、フリーターを続けていることになってしまっているのだろうか、ということである。氏はけっして執筆することを優先してフリーターであることを選んでいるのではない。
 氏は子どものころから社会との「ズレ」を感じていたという。小学校のころから問題児で、高校にいくころにはまったく勉強する気になれず、ほとんど不登校のようになり、なんとか卒業だけはして、北関東の地方都市から東京にでる口実として専門学校に通い、プログラミングを勉強したが、手ごたえは感じられず、そこを出て就職したが続かず、アルバイトなどで糊口をしのいでいるうちに30歳を過ぎていた、ということらしい。1998年ごろからウエブサイトを主宰し(その前身は1995年から)、日記や社会評論などを書き続けてきたという。
 二十代後半になって、そろそろどうにかしないと考えはじめた氏は、自分の持っているもの、換金できるものは文章を書くことだけではないかと考えるようになり、ジャーナリスト養成講座に通い、それをきっかけに実名で文章を発表しはじめ、他人をただ批判するのではなく、「自分のためになる考え方」をつくることを模索しはじめた、という。
 その過程で堀井憲一郎氏の「若者殺しの時代」に出会った。その本に、1983年の「anan」に「クリスマスイブはルームサービスで」という記事がでたことが紹介されている。バブルの時代である。堀井氏によれば、これが「若者からの搾取のはじまり」なのである。
 またフリーターという言葉は1987年に「フロム・エー」ではじめて使われた。それまでのプータローという言い方はあんまりだということであったのだと。赤木氏はこの造語は産業界の要請にこたえたものだという。産業界はフリーターを必要としていたのだから。しかしバブルは終わり、社会は沈んでいった。堀井氏は「すきあらば、逃げろ。一緒に沈むな。/うまく、逃げてくれ」と若者に呼びかけた。だが、赤木氏は沈んでしまった。
 フリーターとして働く限りは、オン・ザ・ジョッブ・トレーニング(OJT)が受けられない。現在の経済体制は人材をOJTで育てる意思をほとんどもたない。だからこその派遣社員であり、フリーターである。フリーターの存在はそういう経済体制の必要に由来している。そういうフリーターに自己責任だとか自立だとかいってもらっても困る。まずOJTを受ける機会をあたえてくれ、というのが著者の主張である。
 2006年に、ある代議士が「若者を農業につかせる『徴農』をすれば、ニート問題は解決する」という発言をしたのだそうである。それならば、と赤木氏はいう。徴兵もいいのではないのか? とにかく、国が仕事の場を提供するという発想は悪くないのではないかと。
 それで「『丸山真男』をひっぱたきたい」である。これは丸山真男のいっていることが気に入らないからひっぱたきたい、ということではなく、軍隊のなかでは、中学しか出ていない一等兵が東京帝大出のエリート丸山真男をいじめることができた、ということである。現在の閉塞した状況を流動化させるためには戦争しかない、あるいは戦争と同じくらい大きな何かが現在の体制に風穴をあけてくれることしかない、ということである。自分もまた丸山真男をひっぱたける可能性のある立場に立ちたい。戦争はたしかに悲惨かもしれない。しかし、それは持つものが何かを失うからだ、自分たちは何も持っていないのだから、むしろチャンスである。戦争において死はまた平等に訪れる。持つものも持たないものも、その世界では平等である。
 この「丸山たたき」論文の基調は、バブルでいい思いをした経済成長時代を生きた世代が自分たちの既得権をまるもために、バブル崩壊以降に社会に出ざるをえなかった自分たちの世代に自分たちのつけをすべてまわしてきているのは許せないということである。
 この論文が話題になったのは、左派もまた既得権益の擁護の側にいて、正社員になっている労働者をまもることに汲々としていて、自分たちのようなフリーターのことなど少しも考えていないという主張の部分であったらしい。左派のいう「平和」とは、現状維持の別名ではないか、というのである。
 それに対し、「論座」4月号にに、佐高信福島みずほから鶴見俊輔吉本隆明にいたる錚々たる?メンバーの応答文が掲載されたらしい。それに対しての反論が6月号の「けっきょく、『自己責任』ですか」となった。
 赤木氏はいう。左派は富裕層と貧困層という対立構造を描くが、本当は富裕層と安定労働層と貧困労働層の3つがあり、左派が擁護しようとしているのは安定労働層なのではないか、と。貧困労働層は安定労働層の安全弁となっているので、安定労働層も貧困労働層の存在が必要なのではないか、と。
 本書で紹介されている応答の中で、いちばん核心をついているように思われるのは鶴見俊輔氏のもので、「赤木氏は、十五歳のとき、日本の状況に対する判断を間違えた、ということです。/自分のまわりをゆっくり見わたし、ほかの人間と比べて自分は何をしたらいいのか、小学校、中学校、高等学校と進むような道ではなく、なぜパソコンその他の情報技術を習熟させようと覚悟を決め、それに打ち込まなかったのか。そうしていれば、10年後、二五、二六歳のときには、情報技術を自在に操ることができたでしょう」というものである。それに対する赤木氏の弁明はいささか苦しい。自分は、中学のころには、PC88を買ってもらったが、結局ゲーム機になってしまった。中学をでたあと情報処理技術を教えてくれる高専にいきたかったが、英語ができない人間にはダメだと親に反対され普通高校にいった。そのあと専門学校にいったときには親にマッキントッシュを買ってもらい、プログラミングを学び、卒業後、ある会社にプログラマーとして入社したが続かなかった。まだインターネットが社会に浸透する前で、北関東の小さな街では、パソコンを使いこなすことを学べるような場所がなかったのだ、というものである。
 吉本隆明氏は、赤木氏のような不平・不満は、自分が豊かになればおしまいになってしまう性質のものだといい、赤木氏もあっさりとそれをみとめる。誰か自分に職を斡旋してくれたり、お金を貸してくれたりすれば、自分は黙るかもしれない、と。
 本書に上野千鶴子氏が中井久夫氏の言葉を引用して紹介している部分がある。「平和とは日常茶飯事が続くことである」というものである。
 赤木氏は、バブルが崩壊したときに、みんなで少しづずつ「不幸を共有」すればよかったのだ、という。しかし人間なんて強欲でバカな生きものだがらそれができないのだと。労働組合だって自分たちの賃下げを要求するわけがない。それで日本は格差社会となり、日本から平等が消えてしまった。今や日本の選挙の争点は年金問題である。これは安定労働者の金銭欲に過ぎないのではないか? 今の中高年の利益だけではないか?
 病気の可愛い子供は募金を集めることができる。しかし「可愛くない」自分たち年長フリーターはそれもできない。すでに社会の中に入れている人間が、自分たちフリーターにほんのわずかな「親切心」や「思いやり」といったものを示してくれること、出発点はそこにしかないのではないか、と氏は結論する。
 
 本書を読んで感じるのが著者のバブルへのこだわりである。さかんに「バブルを崩壊させた責任」という言葉がでてくる。バブルというのは崩壊してみないとバブルであったことがわからないものではないかと思うけれども、それをうまく維持して永遠に(少なくとも現在まで)続けることも可能であったのだろうか? それに失敗した誰かが現在の日本の不幸の責任をとるべきなのであろうか? そのときの土地の値上がり傾向が現在まで続いているとすれば、正社員でさえ(という言い方は変であるのかもしれない、バブルが続いていたとすれば、あらゆる大学卒がすべて就職できることはいうまでもなく、とんでもない売り手市場になっているであろうから、終身雇用などということはありえなくなり、転職につぐ転職、あるいはそもそも就職しない生き方が普通で、一週間働いて、一月休みというような生活になっているであろう。だから退職金などというものは過去の遺物と化しているであろうが)、退職金で一坪も買えないというような土地の値段になっていたのではないだろうか。
 だからバブルが永遠に続くなどということはありえないのであるが、現在のアメリカのサブプライムなんとかというのもまたバブルの崩壊なのであろう。しかし崩壊するまではアメリカは永遠の成長局面に入っているなどと多くのひとが真面目な顔でいっていた。世界の景気はアメリカ人の無駄使いによって支えられていたのであろうから、これからどうなるのだろうか?
 バブルの頃、一番の無駄金をもっていると思われて消費のターゲットにされたのが若者、とくに若い女性である。もっとも若い女性は自分で稼ぐのではなく、男に貢がせることをもって善しとしたのであるが、「アッシーくん」とか「みつぐくん」などというとんでもない言葉があった。
 堀井氏の「クリスマス・イヴ」で思い出したのだが、バブルの当時、若い男たちは、春ごろには、ホテルのクリスマスイヴの宿泊を予約し(当然、通常の宿泊より高い)、あとは延々とアルバイトで金を稼ぎ、宿泊代とプレゼント代を用意した。それができない男は相手にされなかったのである。なんとも不思議なのは、若い女のほうでも自分には男にそうしてもらう権利が当然あると心底信じるようになっていたことで、男が汗水たらして懸命にプレゼント代を稼ぐことになんら同情を示さなかったのである。
 男はどんな男であっても、大会社に就職できて当然と思っていたし、女はどんな女であっても、男から貢がれて当然と思っていたわけである。バブルというのはそういうものなのだろう。実態のない水ぶくれである。
 だからバブル時代になにかこれはおかしいと感じていたひとも多いはずで、バブルの崩壊を歓迎したひともまた多かったのではないかと思う。わたくしの印象では、バブルが崩壊したあとも、何らかの介入(たとえば国が何かにじゃぶじゃぶとお金をつぎ込むことなど)で簡単に、ちょっと腰折れした景気を上昇方向にふたたびむかわせることができると多くのひとが信じていて、それでは困るから、なにもするな! 景気が悪いままにしておけ! しばらくバブル熱がさめるのを待て!と思っていたのではないだろうか? そのあとに失われた10年が続くなどとはほとんどひとが夢にも思っていなかった。ちょっとした景気のなかだるみ程度に感じていた。
 本書で既得権益ということがいわれる。それでおもいだすのが構造改革論が(といっても江田三郎のではなくて、小泉改革などの方)いつも既得権益との対立という観点から語られてきたことである。すでにもう必要がなくなっている斜陽部門の企業がおのれをまもることに汲々として人を囲い込んでしまっているから本当に人を必要としている産業(たとえばIT産業)に労働力が供給されない、それが景気が回復しない原因である、といった方向の議論がさかんにされていたように思う。
 その代表選手であった木村剛氏の本などを引っ張り出してきて読んでみると(たとえば2002年に出版された「退場宣告」)、いわれているのは「フェアネス」と「ジャスティス」である、公正と正義、とっくに破綻した企業(大銀行など)が国の支援で生き延びる、なんという不公平と道義のなさ! そういうものが生き延びてしまい退場しないから、本当ならこれから日本で成長するはずの企業に水がまかれず枯れてしまう、という論である。5年前の木村氏の本を今よんで思うのは、このころはまだ景気の回復とか再成長ということがどこかで信じられていたのだな、ということである。
 赤木氏のいっていることは表面的にだけ見れば、木村氏とパラレルである。既得権益者(団塊の世代あるいはすでに役割を終えた大企業)が自分たち(バブル崩壊後の若者あるいは新しく起業しようというもの)の行く手を阻んでいる。そこをどけ!退場せよ!ということである。しかし木村氏が俺たちにまかせれば日本を立て直してみせるとでもいうような熱気にあふれているのに対して、赤木氏はなんとか三度三度、飯が食える状態になりたいというだけなのである。赤木氏からはアニマル・スピリットが決定的に失われている。赤木氏の世代の「行き場のなさ」の感じは実に深刻なのだと思う。
 最初に書いた赤木氏ほどの能力のひとがなぜ「正社員」になれないのだろうという疑問への答えの少なくとも一部は、このアニマル・スピリット、血気の欠如ということにあるのかなと思う。血気をまったく欠く人は会社という組織ではうまくあつかえないのである。
 赤木氏は、希望は戦争!というのだが、戦争でなくても「バブルの再来」であってもいいわけである。しかし、氏は「バブルの再来」などありえないと思っている。まだ、戦争のほうがありうると思っている。
 竹内靖雄氏の「衰亡の経済学」によれば、日本の戦後は資本主義ではなく社会主義だった。市場経済と資本主義を完全には否定しない社会主義であったのだという。そこでは「人はその能力に応じて働き、その必要に応じて与えられる」という共産主義の理想が実現されていたのだが、それが可能であったのは、戦後、資本主義が奇跡的な好調を維持して成長を続けたおかげなのであり、それを社会主義の手法で再分配できたからなのだという。
 しかし社会主義(あるいはその集大成である福祉国家)は成長期にだけ許される特別な贅沢なので、成長がおわり老化の段階を迎えると、もはや不可能になるのだと竹内氏はいう。人がなぜ社会主義を支持するかといえば、それは人間が利己的動物だからである。持たざるものはみんなのものを自分のものにしたいと思う。人間は利己的であるがゆえに、他人が利他的であることを期待するのだ、と。それよりも自分の利益は自分でつかもうとする利己主義者(資本主義の信奉者)のほうがまだ増しではないか、と。
 政府にできることは、税金をとるか借金をするかして、人々にそれを分配することだけである。しかし、それは社会主義である。資本主義において政府のやることは、ゲームのルールを整備し、反則を摘発すること、やむをえない事情で自力で生きていけない人々を救済すること、だけであるという。ここらへん木村剛氏とも共通する。
 竹内氏は、日本人は30年前(1970年ごろ)にハングリー精神をなくしたという。現在、学生に蔓延している「やる気のなさ」は大変なものである、という。
 高度成長というのは1950年〜70年の約20年をさす。高度成長が終わるあたりで日本人はハングリー精神をなくしたということのようである。「人間の集団について」で司馬遼太郎がいっていた「日本は弥生式農耕が入ってきて以来、さまざまな時代を経、昭和三十年代の終りごろになってやっと飯が食える時代になった。日本人の最初の歴史的体験であり、その驚嘆すべき時代に成人して飢餓への恐怖をお伽噺としか思えない世代がやっと育ったのである」ということであり、「こういう泰平の民が、二千年目にやっとできあがったのである。目に力をうしなうというのはそういうことであり、人類が崇高な理想としている泰平というのはそういうものであり、泰平のありがたさとは、いわばそういう若者を社会がもつということかとも思われる」である、ということである。
 昭和30年代の終わり1965年ごろに、日本の若者は目に力をうしなったと司馬氏はいう。ようやく飢えの恐怖から開放されたことによってである。そして今、赤木氏はいう。親に寄生してかろうじて生きている自分は、親が死んだら飢え死にするか首をつるしかない、と。ふたたび飢えの恐怖がはじまったのであろうか? しかし赤木氏には他人を押しのけてでも生きていこうというハングリー精神は感じられない。
 赤木氏は主夫になりたい!という。それなのに、男で第三号被保険者は1%もいないと嘆くのだが、主夫にこだわるからいけないので、たとえば「ひも」という生きかたもあるわけである。そんなのはプライドが許さないのかもしれないが、飢えたらプライドどころではないのではないかと思う。
 赤木氏の考える仕事というのは、「正社員」とフリーターしかないようにみえるのが、とても不思議である。「ひも」だって乞食だっていろいろと生きかたはあるわけである。飢えたら、だれか知っているひとのところにいって、何の理由もいわずに、食べ物をください、あるいはお金をください、という手もある。これは相当な迫力があるのではないかと思う。お金が余っているひとというのはまだまだいるのであるから、迫力に負けて食べ物やお金をくれるひとも少しはいるのではないかと思う。
 生きることは恥ずかしいことではない。「ひも」や乞食がみじめであるのなら、パトロンを募るという手もある。昔の大学者など多くはパトロンが養っていたのではないだろうか? パトロンのなり手がない世知辛い世の中になってからは、パトロンの役割を大学がしている。何の役にもたたない学問をやっている人間に給料を出すというのは、パトロン役そのものである。あるいは出版社がパトロン役になっている場合もあるのかもしれない。平凡社林達夫パトロンだったのではないだろうか?
 赤木氏が、物書きとして生きていきたいというのもパトロン希求の変形であるように思う。問題は氏が、こういう方向の言論には需要があるからそれを提供しようという方向ではなく、自分のいいたいことを書いてそれが仕事として成立しないかと考えているように見える点である。そういうやりかたは、アマチュアのままで言論の世界で生きていけないかといっているように見える。
 日本では高度成長の終わりからバブルのころにかけて、アマチュアでも生きられる、むしろアマチュアとして生きることが格好いい時代というのが存在していたのだと思う。しかしバブル崩壊のあと、アマチュアでは生きられない、プロでない人間にとっては生きるのに厳しい時代となってしまった。赤木氏のいうOJTとはプロとしての職業人の教育であり、フリーターとは仕事のアマチュアなのである。
 「衰亡の経済学」で竹内氏は、サラリーマン(赤木氏のいう「正社員」)は今後消滅するといい、サラリーマンは、1)独立してあるいは企業を操縦してカネ儲けの仕事をする本来のビジネスマン、2)市場で自分の専門的な能力を売って仕事をする職業人(従来の渡り職人?)、3)市場の需要に応じて、誰でもできる仕事を低賃金でするフリーターに近い存在、の3つに分解していくという。高度成長期からバブルまでは、1)から3)までがすべて会社内に「正社員」として存在していた。なにしろ「お茶汲み」などという仕事も正社員であって、その本来の仕事は「正社員」のお嫁さんになることだった。専業主婦予備軍であり、結婚する前から会社は専業主婦を雇っていたようなものである。そのような贅沢は成長期にしか許されないものであったと竹内氏がいうのは説得的である。
 成長期に「正社員」という地位を獲得したが、そのしている仕事は現代ならフリーターといわれる人々がしている仕事とそれほどかわらない内容であるような人たちが、自分たちの既得権を守るために、赤木氏たちフリーターを正社員化することを拒み、フリーターのままで留めおこうとしている、というのが赤木氏の主張である。赤木氏によれば、3)の存在であっても、「正社員」になれれば、OJTを経て、2)の職業人にはなれていたことになる。しかし、竹内氏は「正社員」ではあっても、3)のままでいたひとが成長期にはたくさんいた、と主張している。
 会社にはスタッフとラインという概念が昔からある。竹内氏がいうのは、これからの組織はスタッフだけいればいいので、ラインには3)の存在を、そのときそのときで充てればいい、ということであるように思う。そうであれば、3)の存在はいつまでたっても2)にはなれない。
 竹内氏は、日本はもはや老年期に入ったのだから、そうなるのは仕方がないという。そして多くの日本の「正社員」たちもそう感じているが、何とか自分たちだけは逃げ切ろうとしていて、事実、団塊の世代はなんとか逃げ切りに成功したのかもしれない。だから今度はまた年金でも、自分たちが生きているうちはなんとかそれをもらって逃げ切ろうとしているように思える。
 団塊の世代が年金についても逃げ切れるのか、逃げ切る前に年金制度が崩壊してしまうのか、それはまだわからないけれども、赤木氏がそういう態度を許せないというのはよく理解できる。そして日本の左派(たとえば社民党)も組織労働者の味方なのであるから、赤木氏からみてそれもまた既得権擁護派とみえるのは当然である。社会主義派であるならば、年金減額とか、給与減額ということを唱えなければ筋が通らないはずなのである。だから赤木氏がいっていることは正しい。正しいけれども、その「正しい」ことは成長期という例外的なときにだけできた贅沢なのだと竹内氏はいうのである。
 おそらく今の日本のおかしさの元凶は、もはや日本が高度成長を再現することなどありえないとみんな思っていながら、高度成長期に誰かが約束した社会主義的政策は維持するべきであるという信念もまた棄てられないことにある。経済学の原則は資源は有限でありフリーランチなどはありえないということなのだそうであるが、資源が雲のなかから湧いてきて、みなただ飯が食べられるのではないかという幻想がなかなか消えさらない。
 そういうことを考えると画期的に滅茶苦茶な提案をしているのが、最近刊行された橋本治の「日本の行く道」(集英社新書 2007年12月)である。なにしろ、みんな一緒になかよく貧乏になりましょう、というのである。福島みずほだってそんなことはいうまいというような暴論である。
 橋本氏が問題にするには自立である。現在の日本は格差社会といわれるが、本当は「あるレベルからはずれたら、もう生きていきにくくなる」という「隔差社会」であるという。「あるレベルからはずれた人間達なんか知らない」というオール・オア・ナッシングの世界であり、そこでは下の層では実生活上の孤立がおきているという。高度成長以前の日本社会も格差社会で、貧乏人と金持ちの差は歴然とあった。しかし、貧乏人には貧乏人の仕事がちゃんとあった。
 今は「貧乏人」という概念がない。「みんな平等」を前提にしているのに、ある人には仕事がなく、働いてもずっと貧乏で、その人たちを「ワーキング・プア」と呼ぶ。一時的に貧乏なだけで貧乏人ではないとでもいうように。その人たちは放置されていて、「貧乏人」という名前さえあたえられない。「格差」を前提にしている社会であれば、貧しくてもそれなりに生きていける。
 「自分は安心だ」と思っている人だけが「格差社会」というのであるが、それは日本でまだ「自助努力」というものが信じられているからである。だから、「自分でなんとかすることが出来なくなった人」は「自助努力が足りない」とされる。すなわち「自己責任」である。そこにないものは「思いやり」である。その原因は自立というものへの誤解である。「自立したい」と思えば自立できるわけではない、それなのに「自立する」といった人間は放っといてもいいのだ、と思ってしまう。「あんたは“自立”と言った。だからあんたには自己責任が発生している。もうこっちには関係ないからね」という論理である。
 「自立」が日本でいわれるようになったのは1970年代の女性運動からである。男は「自立、自立って、うるせーな、そんなにしたけりゃ、さっさと自立すればいいだろ」と言い、女は売り言葉に買い言葉で、「するわよ!」といった。それで「私は自立を宣言した=私の自立は実現した」となってしまった。
 女は男に自立といっても通じなかった。しかし母親=子供間では使用可能であった。めんどくさい世話をやかせる子供たちへの説教、「自立しなさい!」である。「自分のことは自分でしなさい!」⇒「自立しなさい!」へ。
 「自立しなさい!」はたやすく「あなたにはなにも教えない」に転化してしまう。さらには「あなたにはなにもしてあげない」にも。自立するためにはいろいろとその前にできるようになっていなければいけないことがある、それは教えなければならない、ということがどこかに飛んでしまったのである。
 なにも教えられず、なにもできないけれど大人になったものを橋本氏は「促成栽培の大人」という。「自立しなさい!」は「大人になりなさい!」でもあるのだが、子供が「自立します」といったらもう大人なのである。「自立」と言う言葉が使われる前は「自主性を尊重する」だった。それもまた「お前のことなんか知らん」に多分になっていたのだが。
 自立の最大の問題点は「自分で自分をなんとかする」だけが問題になって「他人との関係をどうするか」がおろそかになってしまうことである。だから他人との関係が苦手なひとが大量生産される。どうしたらいいのか? まずスタートはその人たちを責めないということからはじめるべきである、と橋本氏はいう。
 スタートはそこなのであるが、橋本氏が提示するゴールとしての対処法は「産業革命以前の段階に世界を戻せばいい」というとんでもないものである。日本の現実をみればまったく展望はない。展望のないことばかりを見ていると気が滅入って精神衛生上よくない、だから滅茶苦茶なことでも考えないければならない、と。そしていくらなんでもとんでもない原案から修正した妥協点として提示されるのが「1960年代の前半に世界を戻せ」というものである。これさえも充分に滅茶苦茶ではあるのだが。
 以上を少しまとめてみる。竹内氏は日本の現状を仕方のないもの、こうでしかありえないものであるという。社会主義とか福祉社会などいうのは歴史のある時期に僥倖としてたまたま実現できた例外なのであり、その成長という例外の時期をおわったあとはもう今のような行き方しかないのだという。それに対しては、ふたたび高度成長あるいはバブルの再現があればいいではないかという方向の反論があるであろうし、もうひとつの方向として、既得権者から貧しいものへの所得の徹底的な転移という方向もあるであろう。どちらの方向にもそれを主導するのが誰かというもうひとつの問題が付帯する。国あるいはお上がそれをおこなうのか、それともそうでない誰かなのか、である。
 ある時期の構造改革論は、(既得権者を保護している)国の規制を撤廃すれば、経済はふたたび活性化するというものであった。最近の議論はそういう勇ましいものではなくて、規制を撤廃しないと他の世界に負けてしまう、というもっと消極的なものであるように思う。生き残りのために必要という方向である。
 国の規制は既得権者の保護であると同時に弱者保護でもあったので(成長期にのみ可能であった贅沢と竹内氏はいうのであろうが)、規制撤廃とは弱者保護の撤廃であり、自己努力、自己責任の強調という世界にむかうことでもあった。
 竹内氏がいうように、もはや資本主義という行き方以外にはなく、そこでは「格差」がさけられないのだとしたら、村上龍氏(「13歳のハローワーク」)や梅田望夫氏(「ウェブ時代をゆく」)がいうようにまず自分が生き残るように努力せよという方向がでてくる。全員が生き残れる世界でないのならば、生き残る側の入るようにせよということである。
 本当に、現在の行き方しかないのであろうか? 竹内氏は「経済思想の巨人たち」のヒュームの項で、「およそ人間は無節操で利に走りやすい悪人であり、人間の行動には私利私欲以外の目的はないと想定しなければならない。いかなる統治システムもこの考えにもとづいてつくられるべきである」とするヒュームの論を紹介している。社会主義あるいは福祉国家は最低限の利他主義を前提にしないと成立しないのかもしれない。同書でいわれているように、ヒュームはいたって他人に寛大な好人物、卑劣なことや悪意なることは決してできない人間であったのであるが。しかしヒュームは自分以外の人間もまた自分と同じとは思わなかったわけである。
 またフォースターは「寛容の精神」で「われわれは、じつは、直接知っている相手でなければ愛せないのです。」それ以外にできることは「寛容」つまり我慢することだけなのです、といっている。愛せなくても、寛容の精神があれば、福祉的なものは成立するのだろうか? 
 橋本治がいっている《60年代前半に(先進)世界を戻せ》という暴論は、正社員の給与水準を下げて貧困労働層にまわせという赤木氏の主張の世界版である。しかしフォースターはいう。「ポルトガルで暮している人が、まったく知らないペルーの人を愛しなさいなどというのはバカげた話で、非現実的で危険です。」 縁もゆかりもない人に、自分の利益を譲れるものだろうか? 橋本氏はこのままいくと地球は破裂してしまうぞ。という。本当にそうなのであろうが、それでも今の動きはとまらないのではないだろうか? 梅棹忠夫氏のいう人間の“業”のために、人間の抑えがたい“要求”のために。梅棹氏は地球の破滅を回避するための方法として、せめて「なるべく無用なことをしろ、役に立つことはするな!」という。
 以上の話はわたしの仕事と直接関係している。医療は福祉の大きな構成要素のひとつである。現在の高齢少子化化が進行するなかで、今後、医療経済体制を現在のままで持続していくことがきわめて困難であることは一目瞭然である。どうしたらいいのだろうか? 提供する医療レベルを下げればいいのだろうか? しかし、医療の体制を1960年代前半に戻すならば、MRもなくCTもなく、超音波もほとんど実用性を欠き、H2阻害剤も、Ca拮抗剤もない世界である。知ってしまったあとで、知る前に戻すということは絶対にできない。実は医療にかかる費用を押しあげているのは、高齢少子化よりも、有効であるがとんでもなく費用がかかる医療技術の進歩なのである。今まで診断がつかなかった病気が診断できりようになり、治療できなかった病気が治療できるようになったことが、医療費高騰の最大の原因である。医療の世界は、生活保護と同じで最低限の医療レベルを保障すればあとは金持ちの道楽の世界といったものとは根本的に異なる。付属するアメニティの部分に差がつくのであれば、誰でも納得できるであろうと思う。しかし、医療の根幹の部分に貧富によって差ができるということに納得できるひとはほとんどいないだろう。しかし最高レベルの医療をすべてのひとに提供していこうとすれば医療費が際限なく増加し、すぐにも制度が破綻してしまうこともまた明白なのでる。たとえば、最近使用が開始されたアバスティンという薬がある、進行した大腸癌の化学療法剤であるが、べらぼうに高い薬である。平均3ヶ月の延命効果があるといわれている。とにかくこの薬があることをわれわれは知ってしまった。知ってしまって、ある人に使用してある人に使用しないということはできるだろうか?
 インターネットだって携帯電話だって、それを知ってしまったあとで知らない世界に戻ることは不可能である。知ってしまうということは決定的なことであり、知りたいというのは人間の“業”でもある。
 赤木氏は、今の日本をどのようにしたいという方向は一切提示しない。ただ壊したい、という。わたくしが一番わからないのが、橋本氏の「日本の行く道」というタイトルに明確に表れているような、《日本を国という単位でその方向を考える》ということがこれからも可能なのだろうかということである。国という単位で可能な行動はもはや戦争だけというようなことはないだろうか? 国民国家という単位がどの程度これからも機能していくのだろうか、ということが根源的な疑問である。役人が国の方向を決めてみんなを引っ張っていくというようなことがもはや可能であるとは思えない。そうかといって誰が指導するわけでもなく、日本がある方向にまとまって動いていくことがおきるとも思えない。
 赤木氏が現在おちいっている状況を変えることができるとすれば、それはどのようなことによってなのであろうか? 赤木氏は自分の努力でどうなるというものではないと主張する。赤木氏と橋本氏の主張に共通するのは「思いやり」である。とにかくも、まず共感あるいは同感ということなのであろうか。
 共感がおきるためにまず必要なことは、知ることである。そういう状況があることを知ることが出発点である。啓蒙である。この赤木氏の本が話題になったということは、その情報がそもそもほとんど発信されてこなかったということなのであろう。橋本氏がいうように隔離されて存在そのものがほとんど無視されてきて、その無力感から情報を発信するというエネルギーさえ出てこなかったのかもしれない。そうであるなら、建設的でない方向にではあっても、とにかく情報が発信されたということである。スタートラインには立てたということなのかもしれない。
 

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

日本の行く道 (集英社新書 423C)

日本の行く道 (集英社新書 423C)