F・ピアス「水の未来 世界の川が干上がるとき あるいは人類最大の環境問題」

  日経BP社 2008年7月
    
 少し前に読んだピークオイル論もそうだったが養老孟司氏が紹介していた本。オイルが枯渇するという話は、それがいつということは議論がわかれても、それが化石燃料であるからには当然のこととして理解できるのだが、本書は水が枯渇するという話である。水の惑星である地球で、水がなくなるというのはいささかわかりにくい。
 その根本は農業が大量の水を必要とする産業であるということである。たとえば、米1キロをつくるのに、2000から5000リットルの水が、小麦1キロでは1000リットル、ジャガイモ1キロでは500リットルの水が必要なのだそうである。コーヒー1キロには2万リットルの水が必要。もちろん、綿花などの衣料の原料も大量の水を必要とする。飲料や入浴やトイレなどで必要とされる水は年間でおよそ一人あたり50トンから100トン。しかし、1年間の食べ物や衣料には1500トンから2000トンの水が必要なのだという。
 だから「仮想水」(ヴァーチャル・ウオーター)という概念があるのだそうである。1トンの小麦を輸入するということは、あわせてその生産に必要とされた1000トンの水を輸入しているのだという意味である。炭酸ガス排泄でその排泄量をとりひきするという話があるが、それに近い概念なのかもしれない。
 多くの国では、食糧を自給しようとすると、水不足におちいる。食糧を輸入することは、自国で不足する水を輸入することでもある。最大の仮想水輸出国はアメリカで、あとカナダ、オーストリア、アルゼンチン、タイなどが仮想水輸出国なのだそうである。一方、日本やEUは仮想水を大量に輸入している。水が不足しているわけではない国(たとえば日本)が仮想水を輸入していることには倫理的な問題があるという。一方、仮想水の輸入がなければ餓死する危険がある(つまり自国の水ではまったく自国の食糧生産をまかなえない)国もある。イラン、エジプト、アルジェリアなどである。
 そういうようなことはまったく知らなかった。というか、水は天から雨として降ってくると思っていたのである。あるいは農業に水をつかっても、それは土の中を通って(どこからか)ふたたび川となって循環するようなイメージであったのだと思う。しかしそのような循環は場合によっては数年から1000年くらいかけておきるものであるらしい。
 もう一つ知らなかったのが、人口の増加にもかかわらず、食糧不足にならなかった原因である「緑の革命」すなわち品種改良による高収量品種の開発は同時に、水の消費量を大幅に増やしたのだということである。高収量品種は、原種よりも生産にはるかに多くの水を必要とする場合が多いのだそうである。そのためさらに多くの水が灌漑に用いられ、そのため川があちこちで枯渇しつつある。そうすると地下水のくみ上げが増える。しかし地下水は有限である。地下水は現在のところだれの所有物でもないので、それをくみ上げることを制限できない。乱獲ならぬ乱採取がおこなわれている。
 アメリカにオガララ帯水層と呼ばれるカンザスからテキサス、オクラホマなどにまたがる広大な地下水がある。これははるか昔に雨水が地下にとじこめられたものあるが、これを利用する井戸は次々に枯れだしているという。
 いわゆる黄河断流の問題もとりあげられている。その原因についてはいろいろな説があるとしても、いづれにしても、そこで進行している事態がとんでもないことだけはわかる。地球温暖化のさまざまな影響も論じられている。ダム建設の問題もいわれる(たとえば長良川)。ダムの水面からは大量の水が蒸発し、またそこからは大量のメタンガスも排出されているのだそうである。
 アラル海という世界第4位の大きさの湖とされていたものが消失しつつあるという話は衝撃的であった。そこに流れ込む川の水を綿花栽培の灌漑につかってしまったためだそうである。この話も黄河の話も、大きな自然破壊は共産圏に多く生じている。強権を発動できる国ほどそうなりやすいらしい。ダムの建設は国家権力の発動の象徴となるらしい。
 多くの国にまたがって流れる川が争いの種となるのも当然である。上流でたくさん採取されてしまえば下流の国は困るわけである。パレスチナの紛争にも水の問題が深くかかわっているらしい。
 日本を流れる川は、ひとつの国の中で完結しているわけであるし、日本では四季を通じて平均して雨が降る。日本は恵まれている。それだからこそ水の問題は日本ではあまり実感されていない。
 本書を読めば、石油だけでなく水の問題も早晩、壁につきあたることは確実である(すでに多くの地域ではそうなっている)。それに対して提示されている対策は雨水の再利用とか点滴灌漑とか、随分と頼りない話ばかりである。
 ピークオイルの話を読んでいるときに、石油の値段があがると灌漑施設で用いる燃料のコストがあがって、農業がなりたたなくなるという話がでていた。しかし、そので灌漑に用いる水がなくなるという話はでてきていなかった。またいわゆるバイオ燃料の話も、そのバイオを産生するために多量の水を必要とするわけである。
 なんだか先行きはどこにも明かりがみえない感じである。橋本治氏の論ではないが、産業革命以来のやりかたの再検討が必要なのかもしれない。ヨルダン川の水戦争のところで、イスラエル人が固執している「西欧的なライフスタイル」というのが紹介されている。「頻繁にシャワーを浴び、スイミングプールに通い、よく手入れされた庭園をもち、緑ある公園にゆく」そういうものがないと、生存が脅かされると感じるのだそうである。われわれもまた一度獲得した「西欧的なライフスタイル」を放棄することは容易ではないであろう。不可能かもしれない。
 それでも最近、車の売れ行きが急減しているのだそうである。世界全体の景気が停滞すれば、おのずと石油の消費量は減少し、ピークオイルの到来を少しは先延ばしできるのかもしれない。しかし、景気が悪くなっても人間が食べなくなるわけではない。とすると水の消費量はなかなか減らないわけである。当面、オイルよりも水の問題のほうが深刻なのかもしれない。
 水道の栓ををひねると水がでてくるのが当たり前になっている世界があやしくなったら井戸をほれというのが橋本氏の論であった。しかし現代文明は地下水までも使いきり枯渇させるところまできてしまっているらしい。水道がでなくなったら、雨水をためるところまで戻らなければいけないらしい。現代文明は曲がり角にきているとしか思えない。
 

水の未来 世界の川が干上がるとき

水の未来 世界の川が干上がるとき