M・ブルックス「まだ科学で解けない13の謎」(3)

 
 第9章「死」
 死という現象自体が変則事象なのではないかという議論である。
 生命は一つのシステムなのであるから、そのシステムが破綻すれば死ぬ、それは当然である。生命を構成する構造が破壊されれば死ぬ。たとえば捕食されれば死ぬ。しかし事故にもあわず、他に食べられるということがなくても老化して死ぬ。それは変なことではないかということである。ブランディング亀というのがいて、老化もせず弱ることもないのだという。魚類や両生類や爬虫類にも老化しない種があるらしい。
 死がなぜあるかについてはいくつかの説明があるらしい。たとえば、死がなければ生命圏は過密稠密になってしまうではないかという議論がある。これは個体にではなく、群に淘汰がかかるとしなければ受け入れられない議論であるので、現代進化論の根本理論に反する。
 メダワーは、生殖を終えたあとの生命は不要なのであるから、生殖後に不利益を生じる変異は淘汰されないと考えた。そういう変異は蓄積されてくる。たとえばハンチントン舞踏病アルツハイマー病を生じる遺伝変異は淘汰されずに保存されてしまう。これらは加齢はプログラムされているという立場である。一方、加齢は細胞や組織の欠陥が少しづつつもりつもって生じてくるとする、それとは反対の立場もある。一時はこれが主流の見方となった。しかし、1988年に線虫の遺伝子をただ一個変化させるだけで寿命が65%伸びるという研究がでて、状況が変わった。ショウジョウバエでも同様の成績がえられている。さらにはマウスでも。
 有名なHeLa細胞は子宮頸癌の組織から培養されたものだが、患者の死からあと50年もずっと培養され続けている。1960初頭に正常な細胞は50回程度までしか再培養できないことが知られるようになった。これを統御しているのがテロミアという染色体の端末にある構造で、これは細胞分裂時に複製されず、分裂のたびに減っていく。これが消耗すると細胞は死にいたる。一方、癌細胞にはテロメラーゼという酵素があり、テロミアをもまた複製する。したがって癌細胞は際限なく増殖できることになる。もし、細胞がテロメラーゼを生成できれば、テロミアが短くなるのを防げることができることになる。しかし、その操作は癌をもたらす可能性が高い。
 現在はこのように、加齢が遺伝子によって統御されているという見方と、損傷の蓄積によるという二つの見解があり、どちらにもそれを否定するデータがあり、決着がついていない。
 現代生物学の見解では、“死”は真核細胞の誕生とともに生じたとされている。生物が光合成をはじめて結果生じてきた酸素はとても毒性が強い物質であったため、それが原核細胞の大量死をもたらした。深海に住む生物だけが生き残り酸素呼吸などの方法により環境に順応するようになった。真核細胞はエネルギーを産生する細菌をミトコンドリアとしてとりこんだ。それはきわめて効率のいいエネルギー生成を保障してくれたが、活性酸素という有害な副産物を産生した。この活性酸素による障害に対して進化してきたのが“性”の分化であろうと考えられている。古細菌も真正の細菌も性をもたず、老化もしない。そうだとすれば、死とは有性生殖と裏表の関係になる現象なのではないか? そうだとすれば、有性生殖のほうが生物が生き残るために必須のものなのであり、有性生殖という生き残り戦略の副産物あるいは付録として“死”があるのではないか? “死”は進化の過程での別の適応構造の副産物として生じたスパンドレルなのではないかと著者はいう。
 
 本書ではスパンドレルについてはあまりきちっとした註が付されていないが(「アーチ・壁の外側の湾曲部と、天井や枠組みのあいだにできる三角形の部分」とだけある)、これは、S・J・グールドらによる有名な(?)論文「サンマルコのスパンドレルとパングロス風のパラダイム」に由来する言葉として使われているのであろう。グールドらがいうのは、サンマルコ大聖堂の天井にある4人の伝道者の像で美しく飾られた4つの「スパンドレル」はいかにもその聖人たちの像を飾るためにつくられてように今からは思えるが、実はアーチの上にドームを据えるためには建築学的にどうしても必要になってくる空間が先にあって、たまたまその空間があったので、あとからその空間に聖者の像を描いたに過ぎないのだ、ということである。別にグールドらは建築学の議論をしようというのではない。いいたいことは、今からみると現在あるものはすべて特定の目的のために作られたと思われがちであるが、まったく別の目的に作られたものが偶然ほかのことに転用されているものも多々あるのだということで、さらに言えば、現在あるものがすべて適応の結果存在しているとする必要はないということである。直接には「社会生物学」的なものへの攻撃なのであろうが、間接的にはドーキンスらのダーウィン万能主義への反論である。
 このスパンドレル論争は結局、生物学・進化論から離れて建築学についての泥仕合に終わったようだが、非常に大きくいえば進化という見地から生物のもつさまざまな性質を説明できるかという疑問ということになるのであろう。われわれ人間のもつさまざまな性質を進化によって説明しようとする行き方には反発を感じるひとが多い。
 しかし、死とか有性生殖とかいった生物学の根本のところにまでスパンドレルを持ち出してくるのはまずいのではないだろうか? それをしてしまったら生物学が根底から崩れてしまうのではないだろうか? もっともそのように感じるのはダーウィン進化論という現代生物学のセントラルドグマを擁護したいとわたくしが思っているからなのかもしれない。それにこだわらなければ、もっと自由な見方ができるのかもしれないが、われわれはそれに代わるものをまだ何ももっていないのも事実である。
 本書で著者がいうように、物理学でニュートンの重力理論を守ろうとすることが、さまざまなこじつけ的な物質、ダーク・マターといった観察されてもいない“物質”を想定することになるのかもしれない。それと同じで生物学もダーウィン理論にこだわらなければもっと自由な発想が可能になるのかもしれない。しかし、ダーウィン理論がないと生物学を統一する原理が何もなくなり、それは単なる博物学になってしまう。生物学に目的論を持ち込まないためには、進化論が必要なのである。わたくしもまたダーウィン理論に強いこだわりをもっているのだなということを本書を読んで強く感じた。ということは目的論が嫌いということなのでもあるが。
 村上龍「歌うクジラ」は、テロミア遺伝子を修復するテロメラーゼ酵素を大量にもつ1400歳のクジラが発見されたことに発端し(しかもそのクジラは、ある限度を超えて増殖しない抑制因子ももっていて癌化を抑制する機構も同時にもっていて、活性酸素によるタンパク質やDNAの損傷を抑制するための因子をも持ち、その因子は細胞内のミトコンドリアにも作用しており、また脳にも幹細胞があり神経ニューロンをも新しく作り出す因子も持っているのだそうである。しかもその因子はただ一つの遺伝子でコードされているとされている)、それにより人間にも不老不死が実現した100年後の世界を描いている。このSW(歌うクジラ Singing Whale) 遺伝子を組み込むことにより人間も不老不死が可能になったとされている。上巻39ページのSW遺伝子の説明を読んでも、村上氏がこういったあたりの情報を実によく勉強していることがわかる。「歌うクジラ」は実際にはその不老不死がもたらす荒廃と頽廃の世界を描いていくのだが、そこでの頽廃は主として性にかかわることに起因している。村上氏がどこまで生物学的を意識して書いているのかははっきりしないが、「死」と「性」のかかわりがこの小説の主たるテーマになっている。人間が“不死”となると“性”の問題が露呈されてくる世界として100年後の世界が描かれている。次章は「セックス」(すなわち有性生殖)がテーマとなる。
 
 第10章「セックス」
 ダーウィン至上主義者のドーキンスでも、セックスの存在理由がうまく説明できないのだそうである。どう考えても無性生殖のほうが効率がよく、淘汰に生き残るのではないかということである。しかし歴史的事実としては無性生殖は現れては消え決して長続きはしていないのだそうである。とはいっても、2000年にはヒルガタワムシが無性生殖で7千万年も生きてきたことが確認されたのだそうである。
 有性生殖の利点としては、放射線などで受ける損傷を次世代に引き継がないでいけるということがあげられる。またハミルトンの「赤の女王」仮説では、生物と寄生虫の競争を乗り切るために有性生殖が進化したとされる。しかし、それらへの反論もある。最近ではセックスは生殖や遺伝よりも集団の絆形成に寄与するという説もでている。絆形成こそが生きのこりの最大の戦略であるとすれば、それに寄与する因子は進化において有利であることになる。絆というのは複数あるいは集団の問題である。現在の進化論は個体の生き残りだけを問題にする。だから従兄弟を守ることはひるがえって自分の遺伝子を次世代につなげることに寄与することになるというようなことが複雑な数学を駆使して真面目に議論される。主役は「利己的な遺伝子」なのである。
 著者はセックスの存在理由はまだはっきりしていないという。これもまたスパンドレルではないかともいう。しかし、それをいってはおしまいよ!という気がする。そんなことも説明できないようでは、生物学は学問として存在しえなくなるのではないだろうか? それでもセックスはまだ生物に厳然と存在する事実の問題ではある。最近の脳科学は「自由意思」というような哲学的?問題にも果敢に取り組んでいるらしい。モノとしての手ごたえのないない話である。ということで次のテーマは「自由意思」になる。
 

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