今日入手した本

 

ぼくの生物学講義―人間を知る手がかり

ぼくの生物学講義―人間を知る手がかり

世界を、こんなふうに見てごらん

世界を、こんなふうに見てごらん

 わたくしが若いころに読んだ生物学関係の啓蒙書の過半は日高氏による翻訳だったような気がする。ローレンツもモリスもドーキンスもユキュスキュルもアテンボローも・・。そして人間は動物であるという当たり前のことも、日高氏(と吉田健一氏)から学んだような気がする。欧米の生物学者は(あのドーキンスでさえも)キリスト教の伝統の影響をぬぐえていないように思うが、日高氏の生物学にはまるでそういうところがない。いまちらちらと読んでいて、チョムスキーの言語論を「主語と述語に分けるということが、人間の言語のいちばんの特徴であることに気づいた」というようにいっていることろがあって、なるほどと思った(もっともこれはアーサー・ケストラーによる説明らしいけれども)。
 

東京大学で世界文学を学ぶ

東京大学で世界文学を学ぶ

 辻原氏は小説家であると思うけれども、氏の作はまだ一つも読んだことがない。小説をよまずに小説についての論ばかりを読んでいるのは困ったものであると思うが、仕方がない。なかなか小説を読む時間がない・・。最初のほうに杉本秀太郎氏の「ヨーロッパの文学は、音楽とともに19世紀に大きな達成をみて、そのあと砕片の処理にあけくれるいたましい世がやってきた」というような簡潔な19世紀・20世紀文学概観が引用されていて、なるほどと思った。偉大で野蛮なヨーロッパ19世紀! 現代音楽も現代の文学も何とも栄養不良である。
 吉田健一氏について、「近代小説について、日本人の中で最もよく理解していた人」というような部分があってうれしくなった。もう少し時間がとれるようになったらヨーロッパの小説をもう一度読み返してみようかなとも思う。しかし、たとえばドストエフスキーは19歳までに読み終えていないといけないのだそうである。「カラマゾフ・・」を50歳すぎて初めて読んだわたくしとしては、そのようなことを言われても困るが・・。氏の選ぶ海外の長編小説ベスト5は「戦争と平和」「赤と黒」「アンナ・カレーニナ」「死の家の記録」「感情教育」なのだそうである。「死の家の記録」以外はなんとか読んでいる。
 本書を読んでいて感じたのは、小説を書くにもとにかくいろいろと勉強しなければいけない時代になっているのだなあということである。それと辻原氏はとにかく小説が好きなのだなあということも。
 タイトルは何となく変である。辻原氏が東大で学んだのではなく、東大で講義したのである。学生さんとともに世界文学を勉強したというような意味なのだろうか。「学ぶ」の主語がわからない。