長谷川眞理子 「進化生物学への道 ドリトル先生から利己的遺伝子へ」
[岩波書店 2006年1月26日 初版]
進化生物学者である長谷川氏の自伝である。「グーテンベルクの道」というシリーズの一冊で、読んできた本を材料に自分の歩みを語る形になっている。
とりあげられているのは、さまざまな図鑑類、ロフティング「ドリトル先生航海記」、ローレンツ「ソロモンの指輪」、グドール「森の隣人」、ドーキンス「利己的な遺伝子」、ダーウイン「人間の進化と性淘汰」であり、最後の章が現在の状況への考察となっている。
氏は動物が好きで東京大学理学部生物学科人類学教室に進んだということだが、その時読んだローレンツの著作によって、その当時の主流であった遺伝子主体のミクロな生物学からマクロの生物学への興味が引き戻されたという。
わたくしも、おそらく長谷川氏と同じころなのだろうと思うが、ローレンツの「攻撃」とか「ソロモンの指輪」とかを読んでとても興奮したのを覚えている。「刷り込み」とか「生得的解発機構」といったことを知って本当にびっくりした。同じころ読んだユクスキュルの「生物から見た世界」などとあわせて、生物というものへの見方が一変した。そして何よりもびっくりしたのが、ローレンツらが動物の行動を観察するなどというおよそ学問手法からいえば過去の遺物のように思えるやりかたで研究することでノーベル賞をもらったことであった。研究室で試験管をふるのだけが研究ではないのだ、ということを思ったことをよく覚えている。
あとからでてくる「利己的な遺伝子」などともあわせ、このころの動物行動学あるいはその周辺の日本への紹介は日高敏隆氏が孤軍奮闘でしていた印象があり、ローレンツの本もグールドの本もみな日高氏の翻訳紹介で読んだような記憶がある。ドーキンスの「利己的な遺伝子」は最初「生物=生存機械論」という題名で翻訳されたときに読んでいる。長谷川氏によれば、この題名で翻訳されたときには何の反応もなかったということであるから、比較的早く読んだほうなのかもしれない。このころ関心があったのは子育てということで、「刷り込み」とか「生得的解発機構」などが衝撃であったのは、それが子育てにかんすることで、まことに機械的であるように見えた点であったのだと思う。ついでにいえばその頃、精神分析学の本もさかんに読んだが、それも同じく子育てへの関心からであった。
「森の隣人」はわたくしは読んでいない。
「利己的な遺伝子」のところの記述で面白いのは、長谷川氏が博士課程2年の時、ニホンザルでの社会行動にかんする論文を書き、たまたま日本を訪れていたチンパンジーの言語能力研究(サラなど)で有名なプレマックに見せたところ、観察事実は面白いが考察は完全に間違っているといわれ衝撃をうけるところである。時代遅れの群淘汰理論で考察していて、それでは駄目だ、遺伝子淘汰理論で考察すべきと指摘される。それで遺伝子淘汰を勉強するテキストとして「利己的な遺伝子」を紹介されたというのである。生物学を専門に研究している学者でも、淘汰について時代遅れの考えをもっているひとがその当時にはたくさんいたらしい(特に東大では)。
長谷川氏は現在、人文系の学生に科学を教える仕事をしているらしい。それではじめて科学者でないひとが科学をどうみているか、いかに科学について知らないか、また逆に科学者がいかに社会を知らないかを実感するようになったという。
最後の章で、人間の心理や行動に進化がどのように影響しているかについて、進化生物学が考察すべきであるのは「意思決定アルゴニズム」ではないかということをいっている。たとえば、高等数学の能力がなぜ人間に進化したかを問うことは無意味であるが、数学の基礎につながるような問題解決能力とはどのようなもので、それがどういう理由でわれわれに適応的であったかを問うことは可能であるし、それが進化生物学の役割であるという。
何が大事であるかを決めるのは論理だけではなく感情も密接にかかわっており、感情系の働きこそが、人間の進化史の中で形成された適応的アルゴリズムなのではないだろうか、という。この点が決定的に重要な論点であると思う。もしも、それが正しければ、われわれのあらゆることにおいて感情が決定的に重要であることになるからで、理性的動物という人間規定に再検討を迫るものだからである。
とはいっても、これは人間が本能に規定されているということではさらさらない。感情というのはいたって人間的なものであるから(とはいっても、チンパンジーなどには明確にみられるらしい。あるいは、犬にも猫にもあるのだろうか? 牛や馬には?)、むしろこれは人文科学と自然科学を結びつけるものでさえあるかもしれない。
この本を読んでも感じるのは、長谷川氏は日本人だなあというである。自分がある時点でこういうことを知らなかったということを、いともあっけらかんと書いている。西欧競争社会の人間は、そんな自分の弱点を曝すようなことはなかなかしないだろうと思う。
誰が書いていたのだったか、西欧の学者は誰でも知っていることを、自分がだけが知っていることのように話すし、日本人の学者はその人しか知らないことでも、こんなことはみな知っているはずだと思ってなかなか言わないのだそうである。こうなると進化による説明は無理で、文化により説明することになるのだろうが・・・。
進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)
- 作者: 長谷川眞理子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/01/26
- メディア: 単行本
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