スティーヴンソン「旅は驢馬をつれて」

 
 これを読んでみようと思ってのは、たぶん「考える人」のどこかの号で誰かが称賛したいたからなのだが、今、バックナンバーを見ても見当たらないので、何かの記憶違いかもしれない。それともちろんこれが吉田健一訳ということもある。古書店から入手した昭和26年刊行の岩波文庫で読んだが、新仮名表記で、定価120円となっていた。
 スティーヴンソンがした南フランスの山岳地方での十日ほどの小旅行の記録であるが、旅行といってもスリーピングバッグでの野宿もするようなものなので、その荷物をのせる驢馬モデスティイヌとともにの旅となる。だから「驢馬をつれて」であって「驢馬に乗って」ではない。一人旅なのであるが、驢馬がいることで同行者のいる旅でもあることになり、その驢馬の描写がこの旅行記を生きいきとしたものにしている。
 1870年代、スティーヴンソンが20歳代のものであるが、都会ではもう忘れられている宗教戦争の記憶がこの山々の中では色濃く息づいていて、あるいは宗教そのものがまだ生きていて、それが本書の隠れた主題となっている。
 スティーヴンソンは宗教論をしようとしているわけではないが、そのような争いの愚かしさと恐ろしさをすでに啓蒙された人間であるスティーヴンソンは歎じるとともに、宗教が生活感情であり宗教を生きているような人々への素直な驚きの感情を失うこともない。世の中にはいろいろな人間がいるというとことであり、どの生き方が正しいというようなことはないということである。
 スティーヴンソンは一生、旅を続けた人らしい。そのような驚きを失うことがなかったからなのであろう。
 小沼丹氏の訳もでているらしい。
 

旅は驢馬をつれて 他一篇 (岩波文庫 赤 242-4)

旅は驢馬をつれて 他一篇 (岩波文庫 赤 242-4)