石原慎太郎氏が都知事に選ばれて何やらしゃべっていた。その言動をみているとこのひとはみんなが一緒になって何かをすることが好きな人なのだろうなと思う(それを指導するのは自分を想定しているのであろうが)。毛沢東語録を手に天安門広場に集まる群衆とか、首領様を讃えるマスゲームだとか、ハイルヒトラーと叫ぶ人たちとか。共通の何かためにの集まる人たちが好きなのである。嫌いなのは、自分勝手に好きなことをしているひと、何より自分が大事でひとのことなど知らないよというひと。氏がいう「我欲」というのはそのことなのであろう。
もちろん、そういう考えがあっていい。しかしわからないのが氏が同時に小説家でもあるということである。小説というのは西欧近代の形式で個人の個人による個人のためのものである。ラシュディの言葉を借りれば(加藤典洋氏の「ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ」で紹介されていたもの)、「ぬるま湯につかった平和」「安逸な日常生活」といった普通の生活のうちにあるものに与するものであり、ただの自由、日常生活のうちに生きる、「公の場でのキス、ベーコンサンド、意見の対立、最新流行のファション、文学作品、寛大さ、飲み水、世界の資源の公平な分配、映画、音楽、思想の自由、美、愛」といったささいでありふれた自由の側に立ち、大義としての自由、正義としての自由に反対する。ミニスカートとダンス・パーティの味方なのである。「太陽の季節」は読んでいないが、石原氏はかつてはそちら側のひとだったのではないだろうか。ラシュディによれば「原理主義」に対抗するものがミニスカートなのである。
石原氏はいまやクンデラ(「小説の精神」)のいうアジェラスト(笑わぬ者、ユーモアのセンスのない者)になっているのだと思う。クンデラによれば、小説家とアジェラストの和解は不可能なのであるが。
加藤氏の文章は9・11に際して書かれている。

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