この
クンデラの本は、以前「小説の精神」として刊行されたものとほぼ同じものらしい。
クンデラというひとはヨーロッパの擁護者という気がするのだが、そのヨーロッパとは以下のような文脈のなかであらわれる。「近年、人々は十八世紀を酷評する習慣を身につけ、こんな決まり文句に到達するようになりました。ロシア的
全体主義の不幸は、ヨーロッパ、とりわけ啓蒙の世紀の
無神論的合理主義、理性の万能にたいする信仰の産物だというものです。私は
ヴォルテールを
強制収容所の責任者とする人々と論争する資格があるとは感じませんが、逆に次のように言う資格ならじぶんにあると感じています。すなわち、十八世紀はただルソー、
ヴォルテール、
ドルバックの世紀ではなく、また(とりわけ、ではないにしても!)フィールディング、スターン、
ゲーテ、
ラクロの世紀でもあるのだ、と。」
クンデラは小説家であり、
吉田健一は小説を馬鹿にしていたひとではあるが、それでも、ここで
クンデラが言っていることは、
吉田健一が「ヨオロツパの世紀末」で言っていたことと深く重なるのだろうと思う。強張っていない、硬直していないヨーロッパ、
クンデラが
ラブレーの「アジェラスト」(この本の訳では「苦虫族」)という言葉を用いて説明する、「アジェラスト」ではない、笑いのある、ユーモアのセンスのあるヨーロッパへの讃歌。
日高さんが
脳梗塞で闘病中であるというのは知らなかった。去年の11月25日(
憂国忌!)に倒れたらしい。それも重度の
脳梗塞でいまだに入院中で、左脳の梗塞で当然言語についても大きな障害を起こしながらも、不屈の(としかいいようがない)努力で言語をとりもどし、本書を執筆したということらしい。わたくしも右利きで左脳のほとんどがやられる
脳梗塞をおこしながら、言語が保たれたかたを知っている。脳というはまだまだわかっていないことばかりなのであろう。
まだチラッとしか読んでいないが、「医師やスタッフとの定例個別診断説明会には、顧問弁護団に同席してもらっている」と書いてある。この人、「奴隷根性」などというのとは真逆のひとなのである。こういう人が入院したら病院側は大変であろうが、学ぶこともまたとても多いだろうと思われる。日垣さんという方、以前の著書の印象では行動派、戦う人であって、敵にまわしたらかなわんだろうなという感じであったが、どういう状況になっても屈しないひと、また努力するひとである。最後のほうに麻痺側の右手で、かながようやく書けるようになる場面がある。作業療法士のひとが一緒に泣いている。