(21)2011・4・28「池田清彦さんの本」

 
 池田清彦さんの「激変する核エネルギー環境」」を読んでいる。
 池田さんは養老孟司さんのお友達というか虫仲間で、奥本大三郎さんなどとともに昆虫命というようなひとである。要するに変わった人である。本職は生物学者のはずで、構造主義進化論などというのを提唱している。しかしわたくしは構造主義というのがどうも駄目で、「構造主義進化論の冒険」という本も読んだ記憶があるが内容はまったく覚えていない。内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」もしっかりと椅子に座って読んだにもかかわらず、やはり構造主義って何?というのがよくわからなかった。腑に落ちる感じがしないのである。頭だけの理屈じゃないかという気がして仕方がない。腹の底で解ったという気がしない。理屈というのは3日も立つとおぼろげになり、一週間で霞のようになり、ひと月もすれば跡形なく消えてしまう。池田氏にはタイトルは忘れたがリバタリアニズムを称揚したような本もあって、こちらの方がまだしも共感できたような記憶がある。
 この「激変する・・」は2008年に刊行された「ほんとうのエネルギー問題」に「はじめに」と「序章」をくわえて内容を平易に書き直したというものらしい。ということで今日的な観点からすると「はじめに」と「序章」だけ読めばいいのかもしれない。
 それで「はじめに」であるが、池田氏は多くのひとが原発のバックアップ電源をもっとしっかりとしておくべきであったといっているが、その裏には日本人のゼロリスク信仰があったのではないかといっている。推進派は絶対安全だと言い張り、反対派は絶対に危険がと主張する。推進派はゼロリスクでなければダメだと言い張る反対派の手前、科学的な検証もせずに、絶対安全だと言い張っていたのではないか。なぜなら少しでも弱みを見せると絶対安全ではないだろうと言われるから、と。これは反対派からいっても同じで、原発は危険である。だから対策をもっと強化せよ、とはいわないけである。いえば原発を肯定してしまうことになる。
 池田氏は絶対反対とか絶対反対とかは政治もしくは宗教であって科学ではない、という。しかし過去をふりかえっても詮なきことであるといって池田氏はここで議論を打ち切る。もしもこれから議論が政治もしくは宗教から科学へと移行していくのであれば、池田氏がそうするのもわかる。だが、科学が宗教もしくは政治から手をきることができるのかというのが一番の問題で、たとえば現在の科学の研究の一部はとんでもなく金がかかる。莫大な研究費がなければ何もできない。その研究費を差配しているのが政治であるとすれば、政治から独立した科学研究というのがありうるのだろうかということになる。たとえば、地球温暖化というのは原発推進派が自分に有利であるからといって持ち出してきた大して根拠のない主張なのであるから、原発がこうなった以上、二酸化炭素のことなど気にせずに、しばらくは火力発電でいくしかないと池田氏はいう。
 この二酸化炭素問題、地球温暖化の問題についてはリドレーの「繁栄」でもまだ正邪がはっきりしていない問題であるとされていた。地球温暖化の主張は原発推進派に有利であるということと地球温暖化説の正邪とは独立の問題であるはずのであるが、原発推進派はいままでいい加減なことをいってきた→地球温暖化説は原発推進派に有利である→だから地球温暖化説は誤りである、という三段論法は科学とは無縁なものである。ムラーの「今この世界を生きているあなたのためのサイエンス」では、地球温暖化説は数々の嘘の証拠から主張されているが、それでも温暖化説は間違いであることにはならないという立場に立っている。もちろんムラーが原発推進派であるから、そういうのだという主張はあるだろうし、事実そうであるとも思うのだが、問題は地球温暖化が事実としてあり、それが化石燃料の消費によって生じているということの正否ということのほうにあるはずである。
 わたくし自身は、政治もしくは宗教としての議論ではなく科学としての議論がこれからおこなわれていくだろうかということについてははなはだ懐疑的である。放射線被曝によって癌が生じることについて、被曝線量の閾値があるかどうかということについてさえ議論が一致していない。一致していないのであれば、どの程度のリスクが許容されるかという価値判断が、どの仮説を採用するかについての判断に影響してしまう。たとえば、池田氏は「直線閾値なし仮説」を採用しているようである。近藤宗平氏の本では、「直線閾値なし仮説」を否定する議論が結局発癌メカニズムについての議論へと移ってしまっていた。おそらく発癌メカニズムにはいくつかの説があるはずであり、そのどれもいまだ仮説であって、どれか一つですべてを説明できるというものではないはずである。そうであるならば、「直線閾値なし仮説」が正しいかどうかさえ確定できるはずがない。ある癌ではそれがなりたち、別の癌ではそうではないということさえあるかもしれない。それを発癌率という言葉でくくっても意味ある議論にはならないかもしれない。しかし、放射線曝露の安全性の問題は結局は発癌の問題に帰着してしまい、「放射線にはできる限り被曝しないほうがいい」「しかしわれわれは自然界に存在する放射線をつねに浴びている」「だが、それでさえ少ないほうがいいので、自然界に存在しているから安全という議論はおかしい」「とはいっても、事故による放射線への暴露でそれがさらにあがるのは、避けることが可能な被曝なのだから避けるようにすべき」「それでは、20%のリスクが21%になるのもか?」「然り、その1%の上昇は避けることが可能なのだから避けるべき」・・・永遠に議論が交わらない。
 I131などの被曝が甲状腺癌をおこすことはよく知られているが、これは甲状腺癌のなかでもとても予後のよい乳頭癌がほとんどであるとされている。これと甲状腺癌のなかでもきわめて予後が悪い(というか多くの悪性腫瘍のなかでももっとも予後が悪い)未分化癌が同じ発癌メカニズムで説明できるのだろうか? 共通なのは癌(あるいは甲状腺癌)という名前だけであって、それらはまったく別の病気である。しかし今議論されているのは放射線被曝→発癌という非常に大雑把な議論であって、とても科学的な議論になるようなものではないと思われる。現在わかっていることは、放射線被曝が細胞のDNAを断裂させるということ、DNAの断裂は将来の発癌に結びつく可能性があるということであって、断裂したDNAの自己修正能力がどの程度のものであるのか(わずかな傷なら完全に修復してしまう←→わずかな傷でも発癌につながることがある)から先は意見の一致がない。
 わたくしは個人的には、現在の福島の状況は原発内あるいは至近距離にいるひとでなければ、タバコ、大気汚染、栄養不良、自己決定権のない職場環境といったさまざまな環境に存在する健康障害因子にまた一つ因子が加わった程度のものであるように思えるのだが、これだけタバコを極端に嫌うひとがあり、強迫的に運動しているとしか思えないひとも多数いる状況を考えるなら、そのような因子の増加は絶対に許せないと思うひとがいるのも仕方がないことのように思える。
 中井久夫氏は関東大震災のころにくらべてわれわれは成熟したという。しかし、関東大震災のころにはタバコを極端にきらう人、強迫的に健康を追い求めるひともあまりいなかったのではないかと思う。今にくらべたら栄養が極端に悪く、その栄養不良が感染症への抵抗を奪い結核などを蔓延させた。そして現在われわれが享受している生活は経済の発展がもたらしたものであり、それによりエネルギーを多く消費できるようになったことによる。中井氏は「世界は核抜きでは心理的にも経済的にやれなくなっているようだ」という。
 今回はとにかくも事故がおきてしまった。原発が絶対安全ではないことがわかり、また生じうるリクスがどの程度のものであるかも(まだ進展が予断を許さないとしても)ある程度は明らかになってきている。絶対に事故はおきないという議論も、事故がおきたら日本は(あるいは世界は?)破滅であるというような議論もともに正しいものではないことが明白になった。少しは以前よりは生産的な議論が可能になっていくのかもしれない。
 人間は愚かな存在であり、同時に少しづつは賢くなっていくこともできる存在である。中井久夫氏が関東大震災の時よりもわれわれは成熟してきているというには、たとえば、今回は水死体の撮影を自粛しているというようなことである。関東大震災当時は、死体の写真を売ってあるくものがいた。それに比べると現在のわれわれははるかにシンパシーという感情を備えるようになってきている。ちっとも変っていない部分もあるが、少しはましになってきている部分もあるということであろう。人間は天使であるという議論も悪魔であるという議論もともに間違いであるということである。
 いつの間にか池田氏の本のことがどこかにいってしまったが、以前に書かれた部分にもいろいろと興味深い記載がある。以下いくつか。
 原発の寿命は60年くらいなのだそうである。廃炉にするのは大変な作業らしいということは今回の事故をきっかけにわれわれも知るようになった。廃炉にすると大量の原子ゴミがでる。1970年あたりからはじまった原発の建設ラッシュから考えると2030年ごろにはそれを処分することを考えなければいけないが、その目途はたっていないらしい。
 使用済みの燃料はガラス固化して保存するのだそうだが、それが無害化するまで100万年かかるのだそうである。2006年のエネルギー白書によれば、4万本のガラス固化燃料の処理費を3兆円と試算しているのだそうである。しかもこの3兆円はわれわれは払う電気代に上乗せされるようになっているのだそうである。知れば知るほど大変な世界である。わたくしなどは今回の事故であわてて原発のことをにわか勉強をはじめた大勢の一人であるが、池田氏などは以前から着々と勉強をしているようである。ただの変人というだけのひとではないようである。
 

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