(29)2011・5・22 「一番病」
「鶴見俊輔に戦後世代が聞く」と副題された「戦争が遺したもの」(上野千鶴子と小熊英二が聞き手)で鶴見氏が「一番病」ということをいっている。
氏によれば、日本の知識人というのは同時代のイギリスあるいはアメリカ、ロシア、ドイツなどの知識人が持たなかった特権を持った(あちらの知識人はチェーホフの「桜の園」に出てくる万年学生のようなもの)。明治以後の日本では知識人は欧米の知識の体系を身につけた人間でなければならなかった。その知識を伝授する場所が一高であり、東京帝国大学であったので、そこを一番ででたような人が権力の座につけるという仕組みができた。鶴見氏によれば、こういう仕組みができたのは、日露戦争が終わった1905年ごろではないかという。明治維新から1904年までは自分で明治国家を「つくる」人たちがいた。その後は明治国家でできた体制によって、「つくられた」人たちばかりになった。つくられた人は自分で考える力ははないが、学習能力はある。
鶴見氏は具体的には父親である鶴見祐輔についていっているのだが、
勉強で一番になってきた人だから、一番になる以外の価値観をもっていない。そういう一番病の知識人が、政治家や官僚になって、日本を動かしてきたんだ。
近代化するには、こういう人間を養成することが必要だったんだ。だけど学習がうまいと、脇が甘くなっちゃうんだ。教わっていないこととか、試験に出ない範囲のことが出てきたら、そのまま溺れちゃうね。
これは司馬遼太郎が終生こだわった「明治という国家」と「昭和という国家」の違いにかかわることであるのかもしれない。
現在おきていることは、地震にしても原発の事故にしても、前例のないことであり、過去の事例から模範解答をえることが期待できない事態である。日本の現在の混乱は「一番病」の人たちが事態の収拾の矢面にたっていることに起因するのかもしれない。
テリー伊藤「お笑い大蔵省極秘情報」では(その当時の)大蔵省のトップエリートたちが、自分たちがいかに有能であるか、単なるがり勉ではなく、さまざまなできごとにもアンテナを張っている広い視野をもった人間であるかを滔々と述べ自慢しているが、ただ唯一自分たちが苦手とするものとして、前例のないこと、いまだ経験したことのないことへの対応があることを自認していた(今、本が手許にないので、記憶で書いている)。
内田樹さんも、学生の質問に答えて http://www.tatsuru.com/php/phpBB3/viewtopic.php?f=14&t=66 以下のようなことをいっている。
だからすごく受験勉強ばかりしてた奴が、大学に入っていきなり過激派になってカ―ッとやって、その後いきなり大蔵省に入っていったりするのとかいるわけじゃない。そいうのは同じなの中身的には。高校時代は偏差値を競い、大学時代は革命性を競い、その後は出世を競うという。結局常に競争して上にたって威張りたいとかね、そういう人たちにとっては全然首尾一貫している、何も変わってないよ。たっくさんいるからね。俺は日比谷高校、東大だからさ、そこでやってた奴等なんか、皆同じじゃないかよって。高校時代の秀才の実に多くが大学時代過激派の学生になって、その100パーセントがその後、中央省庁とか一流企業に入っていったからさ。こいつらにとっては政治運動も受験勉強みたいなもの。
つまり一時的にある学校の中のある空間で、非常に政治性みたいなものが高い価値がある時期があったので、ここでは革命的な事を言ってると威張れるっていって威張るわけだからさ。(中略)その時に威張れるんだったら何でもやる。(中略)とにかくその場でどういった価値観が一番自分が権力とか威信とかに近づくために有利かということだけを計算して、勉強しろって言われたら勉強するし、革命やれといわれたら革命するし、そういうタイプの人たち、すごく要領いい人たち、うまいんだ本当に。
これはかなり以前の発言であるから、管首相のことをいっているわけではないし、管首相は中央省庁とか一流企業にはいったひとではないのだけれども、市民運動家の一部(かなり?)はこういうひとであるような気がする。内田氏のいっていることは鶴見氏の「一番病」とは少しずれているのだが、受験秀才というのが人の上に立つということを最大の価値観にしているという視点であるから、結局は同じことであるのかもしれない。
今、事態の収拾に責任を負っているひとたちは、政治家も、中央省庁の人間も、東電の人たちも、保安院というところの人たちも、そのほとんどが受験戦争の勝者たちなのではないだろうか?
親父は小学校からいつも一番で来て、一高英法科の一番だったから、人間を成績ではかっちゃうんだ。だから、一高より二高が下、東大より京大が下だと思っていたんだ。
(学校という)制度のなかで百点をとるのは、先生が思っているとおりの答えをうまく察して、「はいはいっ」て手を挙げ答えた奴だ。
およそ人に頭を下げることからもっとも遠いところにいたひと、きまった制度の枠組みの中で問題を解決することをもっぱらしてきたひとが、あちこちから罵声を浴びながら、経験したことのない、前例のない、既知の答えのない問題に取り組んでいる。大変だろうなあと思う。
さまざまな情報が隠蔽されているとかいわれているけれども(わたくしもそういう印象をもつが)、それは事態がなるべく既知の答えが応用できる範囲に止まっていて欲しいという願望がそうさせているのではないかという気もしないではない。ある事態を認めたら当然その対応を問われる。その対応を勉強し準備するまでの間は、あるかもしれないこともないことにしておく(可能性はあるとは思っても絶対的な証拠がでるまでは、みとめないようにする)。印象としては後手後手である。しかし、答えが自分のどこか外にある(それは勉強すれば発見できるはずである)とするならば、先手ということはありえない。先手を打つことは「つくる」人の領域であって、「つくられた」人には荷が重すぎる。
などといろいろ書いているが、問題は、事態の収拾についてどこからか正しい答えがでてくるはずであることを期待するひとがたくさんいることのほうにもあることは間違いない。明治の近代化の時点で、知識人は正しい答えが西欧からあたえられると思ったわけであるが、その知識人から(あるいはどこか上のほうから、学校で一番をとったひとから、官僚から)正しい答えがあたえられることを当然としてひとがまた多くいたからこそ、その知識人神話は機能したわけである。
本当は1905年以来の体制は、敗戦の時に更新される可能性があった。しかし、鶴見氏は「結局のところは敗戦は、ちょっとひび割れをつくった程度だなって感じがする。マッカーサーの占領と日本の復興が、またひび割れを直してしまったという気がするんですよ」という。何しろ「拝啓 マッカーサー元帥様」である。つねにどこかに自分たちを指導してくれる強い人がいるという多くのひとの信念は簡単には揺らがないのである。
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