林達夫「共産主義的人間」

 
 中公文庫の昭和48年(1973年)刊行。カバーもなくなっているし、背表紙もこわれかかっており、酸性紙のためかページもだいぶ黄ばんでいるが、何回も読んだ形跡がある。
 わたくしの記憶では、これが林氏の本を読んだ最初なのだけれども、書架にある筑摩叢書の「歴史の暮方」は1968年の刊行となっているから、あるいはこれが最初なのかもしれない。しかし、あまり読んだ形跡がない。「歴史の暮方」は買ったが読んでいなくて、この文庫がでた時に、あらためて本当に読んだのかもしれない。この筑摩叢書の「歴史の暮方」は単行本の「歴史の暮方」と「共産主義的人間」をあわせて収載したものだから、この中公文庫の内容を完全に収めているが、この文庫本の目玉は庄司薫による解説であろう。その他、岩波文庫の「林達夫評論集」(1982年初版だが、わたくしの持っているのは2006年の第16刷)ももっているし、あろうことか「林達夫著作集」までもっている。別巻までいれて全7巻だが、第5巻だけ欠けている。これも買って失くしてしまったのか、これだけ買いそびれたののかもう覚えていない。こういうものは書棚に収めると安心してしまうもので、あまり読んだ記憶がない。それで林氏の本で繰り返し読んだのは、この文庫本である。
 これを思い出したのは四方田犬彦氏の「先生とわたし」を読んでいて、先生の由良君美林達夫のことを崇拝していたことを書いているところで、林氏を「知の悦びの人として、今日に至るまでつとに神格化されている」と書きながら、「林の戦時下における写真雑誌の編集経歴が明るみに出た現在、もし由良君美が生きていれば感想を聞いてみたいという気持ちが、わたしにはある」とする。この「戦時下における写真雑誌の編集経歴」というのがわたくしにはわからないのだが、戦時下「拉芬陀」一編をのぞいて沈黙をまもった良心の人という伝説に反して、実は戦意高揚のための雑誌にかかわっていたというようなことなのであろうか? まあ確かに、生身の人間を神格化すると碌なことはないと思うが、それでもこの「共産主義的人間」に収められた数編はやはり大したものであると思う。
 たとえば「邪教問答」。そこにおけるキリスト教もまたその初期において、世人から邪教とみられていたのだという指摘。その当時の教養ある人からは「ヨハネ福音書」の冒頭は「はじめに言葉があったんし・・・その言葉が神さまだんし」といった無知蒙昧なひとの言葉使いに聞こえただろうと。これは丸谷才一氏の聖書の翻訳批判とは別の方向からの興味ある指摘である。われわれ人類が現在地球の上で偉そうな顔をしているのは、はるか昔に地球に隕石が衝突したという偶然のためらしいが、キリスト教が今日まで残っているいるのも、それと同じくらいの偶然の産物なのであろう。
 また、表題の「共産主義的人間」で指摘されているその当時のソヴィエトの実態。子供たちは「ソヴェートのあらゆるものが世界で最良、最善であるものと教えられている。」 まあ、それはいいようなものだが、問題は過去においてもロシア人は西暦1300年以来、ほとんどすべての価値ある発明発見をしてきたのだ教育されているのだ、という指摘である。ラジオの発明も、蒸気機関の発明も、ペニシリンの発見も、飛行機の発明も、電球の発明もすべてロシア人による。さらに質量保存の法則の発見も、世界の未知の島々や陸地を発見したのもすべてロシア人なのである。それに対して、衛星国ではそのナショナリズム愛国心を抹殺しようとしている、と。さらに西欧の物理学、特に量子力学(たとえば「不確定原理」)を神秘主義的と批判していることも紹介されている。解説で庄司薫氏が指摘しているように重要なのはこれが書かれた日付で、この「共産主義的人間」は1951年に書かれている。まだスターリンが生きている時代である。
 「新しき幕明き」も記憶に残っている。これは1950年に書かれている。つまり、まだ占領中である。「その五年間最も驚くべきことの一つは、日本の問題は Occupied Japan 問題であるという一番明瞭な、一番肝腎な点を伏せた政治や文化に関する言動が圧倒的に風靡していたことである。この Occupied 抜きの Japan 論議ほど間の抜けた、ふざけたものはない」と書く。
 ところでこの「新しき幕明き」には「私はあの八月十五日全面降伏の報をきいたとき、文字通り滂沱として涙をとどめ得なかった」とあり、「戦争に敗れるということの暗い恐ろしさを、世界史の生きた先例の数々は私に前もって教えてくれていた」として、「あの八月十五日の晩、私はドーデの『月曜物語』のなかにある「最後の授業」を読んでそこでまたこんどは嗚咽したことを思い出す」とあった。これはアルザス・ロレーヌ地方が普仏戦争の結果ドイツに併合され、明日からフランス語からドイツ語に授業が変わることを強いられるという話で、戦争に敗れるということの悲惨の例として挙げられていたわけで、なにげなく読みすごしていた。
 ところがだいぶ後に、篠沢秀夫氏の「フランス文学講義 2」を読んでいて仰天した。アルザス・ロレーヌ地方は本来はドイツ文化圏なのであるが、17世紀から18世紀にかけてナポレオン戦争などの結果、フランス圏に無理やり組み込まれていただけなのだそうで、そこの人々は普段はドイツ語を話していて、フランス語は学校の授業で習うだけなのだ、と。「ドーデの『最後の授業』という短編を読んだことがある人がいると思いますが、明日から、一切ドイツ語になってしまうので、フランス語の授業はこれが最後の日という光景ですね。そうすると、村の人たちがみんな出てきて、もっと勉強しておけばよかったなんて嘆くとか、子供たちも、今日はばかに静かだったなんて、感動的なものですが、あれも非常にドーデの文名を高めたけど、ドーデは、南フランスの人間ですね。アルザスのことはよく知らないんで、まるで子供たちが、自分が話したことのない言葉を明日から教えられるような感じですね。(中略)ところが、アルザスの場合は違うんですね。あの連中は、家に帰れば、ドイツ語を話しているんです。毎日、あの時代には。フランス語をどこで習ってたかというと、学校で習ってただけなんですね。だから、今度学校で習うのをよすだけなんです、アルザスでは。ですから、あれは大変話が違うんですが、しかし、このようにして一般のフランス人にはそんなことわかりませんから、あれを読むと、みんな滂沱として涙を流すわけですね。」 篠沢氏がこの学習院大学での授業で「新しき幕開き」をどの程度意識して講義していたのかはわからないが、「滂沱として涙を流す」なんて書いているところをみると、意識しているのではないかと思う。
 この「フランス文学講義」シリーズは、小林秀雄がいかにフランス語ができなかったかとか、いろりろと偶像破壊的なこともしているのだが、ここのところを読んだときも衝撃だった。碩学などといっても何でも知っているわけではないのだな、という当たり前のことを改めて感じた。やはり神格化はよくないのである。
 ところで、庄司薫氏の「白鳥の歌なんか聞こえない」に「知の巨人」みたいなひとがでてくるが、庄司氏がイメージしていたのは林氏なのではないかと思うが、どうなのだろうか?
 

篠沢フランス文学講義 2

篠沢フランス文学講義 2