T・イーグルトン「詩をどう読むか」(1)

    岩波書店 2011年7月
 
 原題は How to Read a Poem であって、「一篇の詩の読み方」である。詩という抽象的なものを論じるのではなく、一つ一つの詩を丹念に読んでいくことをしようというわけである。イーグルトンはいう。今、文学を専攻している学生でも、自分が昔に教わったような文学批評をしているものはほとんどいない。文学批評というのは滅び行く伝承の技となりつつある。「血も涙もない抽象理論」や、「中身がからっぼの一般論」をふりかざす奴ばかりになって、精読というよき習慣が失われようとしている。
 そういうことになった責任は文学理論にあるではないか? そういうお前こそが文学理論の旗をふっているのではないか? そんな批判がくるかもしれない。しかし、そういうのは根も葉もない常套句であって、といってイーグルトンは、バフチンアドルノベンヤミンデリダ、ド・マン、クリステヴァ、バルトといった名前を挙げ、これらはみんな、ラブレーを、ブレヒトを、ボードレールを、ルソーを、プルーストを、マラルメを、バルザックを綿密周到に精読したのだぞという。どうもここに挙げられている批評家というのか思想家というのか理論家というのかの多くは苦手であって、プルグモンの「知の欺瞞」で名前があがっていた人たちが多いのではないかと思う。ほとんど読んでいないのにこういうことを言うのはいけないのだろうが、難解で何が書いてあるのかさっぱり解らない(翻訳が悪いのかもしれないが)。そういう中にあって、このイーグルトンの本は何が書いてあるのかわかる例外的な本である。
 とはいっても、イーグルトンがいうように「よりによって私のような政治志向の文学理論家から、言語表現そのものの重要性さをあらためて説き聞かされるとは、なんだか妙だと思われるかもしれない。どう見ても、句読点と政治とはまったく別物ではないか」ということがある。だが、とイーグルトンはいう。D・H・ロレンスの文章の句読法は、その独特の「有機的」な世界観、その産業資本主義批判と関係があると論証することはむずかしくないだろう、と。その通りであろうが、それは同時にソヴィエト的体制の批判とも大いに関係があるであろうとわたくしは思う。産業資本主義も社会主義もともに「近代」のものなのであって、ロレンスは「近代」全体を嫌悪したのであろうと思う。ということで、こういう書き方にもイーグルトンの政治への志向は透けてみえるのであるが・・。
 それはさておき、文学批評は複眼的であるという。一方に「文学作品の肌理や言葉への目配り」があり、他方に「これらの作品の文化的コンテクストへの注目」があるという。そこで名前が挙がってくるのが、リーヴィス、リチャーズ、エンプソンといったケンブリッジ学派であり、バフチン、アウエルバッハ、ベンヤミン、クルツィウス、ケネス・バーク、エドモンド・ウイルソン、サイードといった文学研究者なのである。後者はクルツィウスをのぞいてはちょっとは読んだことがあって(もちろん翻訳で)、いずれにも圧倒された。とにかくこういうひとたちは(その書いていることを素直に信じるならば)ギリシャ・ローマの古典は当然として、ヨーロッパで流通する言語で書かれた文学作品ならみな原語で読み通しているという感じであって、その素養というのか教養というのか知識というのかに、もう敵わないなと脱帽してしまう。わたくしのように、ギリシャ語・ラテン語はいうにおよばず、ドイツ語やフランス語もだめで英語だってちょっと複雑な文章はもうお手上げという人間は、そういうコケ脅かし?には滅法弱いのである。せめてわれわれの数代前の人間のように四書五経李白杜甫くらいは暗記していて、漢詩の一つや二つは自分でも作るというようなことであれば、それに対抗するものが何がしかはあることになるのだが、それもない。何もないのである。
 ということなので、後から出てくる名前については劣等感ばかりなのであるが、一方、前の方の「リーヴィス、リチャーズ、エンプソンといったケンブリッジ学派」というのは一つも読んでいないにもかかわらず、名前は知っている。それは、吉田健一の「文学の楽しみ」などで罵倒の対象になっているからで、どうも健一さんはケンブリッジに留学した時にケンブリッジの中の非主流派のもとで学んだらしい。わたくしは健一信者で、「文学概論」とか「文学の楽しみ」に深く帰依しているので、この本を読んでいてもどうしてもそういう吉田健一の文学論が頭に浮かんでくる。となると、以下に書くことはイーグルトンの「詩をどう読むか」についてであるとともに、「吉田健一文学論」再訪ということにもなっていくのではないかと思う。
 しかし、抽象的なことを言うのではなく、イーグルトンが具体的に詩を論じるのを見ていきたい。
 最初に取り上げられるのが、オーデンの「美術館」という詩である。
  
   Musee des Beaux Arts(Museeは最初の e の上にアクサン)
 
 About suffering they wewe never wrong
 The Old Masters : how well they understand
 Its human position; how it takes place
 While someone else is eating or opening a window or just walking dully along;
  
 最初の連のはじめの4行である。
 イーグルトンはいう。大意はかなり明快で、昔の偉大な画家たちは、人間の苦しみのちぐはぐさ、非常に大きな意味をもつように思われる激しい苦しみと、そんなことにはお構いなしに周囲で呑気に進行する日常生活との背反とについてはよく分かっていた、ということであり、これは近代人の人生が偶発的であることのアレゴリーとみることができ、物事はでたらめにぶつかり合うばかりであり、重大なものと卑小なもの、罪深いものと罪なきものが平気で隣り合っている、そういういうことを言っているのだ、と。
 だが問題はそれがどのような言葉で言われているかである、と。この詩であれば、そのさりげない開始。でありながらも、最初の they が誰を指すのかがわからないという書き方は、かすかな劇的な効果をももたらすともいう。と同時にこういう倒置は口語的なくつろいだ感じでもあるのだと(それについては日本人であるわたくしは正否がわからない)。そういう口調でいわれると、こういう見方はごく普通の判断であるとされているのであると、読む側はついつい思わされてしまいそうである、と。それならばオーデンはそうであってはいけないとしているのであろうか?
 次の4行。
  
 How, when the aged are reverently, passionately waiting
 For the miraculous birth, there always must be
 Children who did not specially want it to happen, skating
 On a pond at the edge of the wood:
 
 奇蹟的な生誕を待ちのぞむ老人たちと池でスケートに興じる子供との間の大きな落差。前半2行の格調と後半2行の散文調。
 この作がねらうのは、苦しみに対して「冷笑的」にならないでしかも「辛口」でいることのバランスであるとイーグルトンはいう。オーデンは殉教するタイプの人間ではなく、世界が大きな設計のもとにあるとも信じない人間である。感傷的になるくらいなら、むしろ薄情であると思われたいとするタイプである、と。典型的な1930年代の反ヒーロー主義。しかし、とイーグルトンはいう。非情さも度が過ぎると、かえって感傷趣味に逆戻りしかねない。オーデンはあまりに話を一般化しすぎていないか? この詩は1940年、スペイン内戦のあとのファシズムの時代に書かれているのに。その時代の体験は集団のものが体験したのではないのか?
 一般化していえば、個人の私生活と公共の世界とはまったく別物だということになるような主張をオーデンは支持しているようにみえる。苦しみは私的なできごとで、そこでは公共の言語は通用しないという方向の見方である。これは一見常識的にみえるが、間違っているのであり、その克服に近代哲学は大変な努力を払ってきたのに、とイーグルトンはいう(この近代哲学というのは具体的には何を指すのだろうか?)。「大きな物語」に疑いの目を向けている点で、これは「近代」詩である。オーデンは「誰かが会話で穏やかに人生観を披露しているのを、ふと耳にしたような口調で」で語るので、読者も「グランド・デザイン」など疑わしいという方向を信じてしまうかもしれないのだ、と。
 最初の連の最後の5行も引用しておく。
 
 They never forget
 That even the dreadful martyrdom must run its course
 Anyhow in a corner, some untidy spot
 Where the dogs go on with their doggy life and the torturer's horse
 Scraches its innocent behind on a tree.
 
 私的なものと公共的なもの(それが政治に繋がるのであるが)は決して断絶しているのではなく繋がっているというのがイーグルトンの言わんとするところであり、詩は私的なものではなく、詩人が生きている時代に否応なく左右されるということである(上部構造は下部構造により決定される?)。だからこそ、「文学批評は、人間を人間たらしめている媒体である言語の厚みと複雑さに鋭く反応する」ことによって、「それ独自の対象に専念するというだけで、文化全体の運命に対して根源的な影響を及ぼすことができる」ことになる。つまり、文学研究・文学批評が政治的活動でもあることになる。ここで言われていることは言語というのは特別なものだから、文学というのもまた特別なものであるということである。
 さて、ここから話がレトリックに移る。古代ギリシャからローマの時代において弁論術は政治上の目的を達成するための不可欠なものだった。しかし、中世になると公共圏と書斎が切り離された。レトリックという語は、大げさ、ほら吹き、二枚舌という色彩をまとってくる。啓蒙主義はレトリックの権威主義を警戒した。
 それに対してロマン主義が雪辱した。ここでもレトリックは嫌われるが、それに対するものは啓蒙主義の合理的探求や公平な学問研究ではなく、「人の心の真実」なのであった。弁論術というのが当然説得する相手を前提にしているのに対して、ロマン主義は詩の聴衆の存在さえ疑った。詩人は闇に歌う一羽の鶯であるのかもしれなかった。公共という語は軽蔑されるようになり、商業や科学や政治と対立するものとして詩が考えられるようになった。「文学」が生まれ、「詩」が誕生した。「詩」は文学の代名詞となった。ロマン主義の詩は公共世界を離れるようになった。離れているからこそ、公共圏の批判をできるという微妙な立ち位置において。だが、それはだんだんと客間に引っ込むようになり、私営化されるようになった。公共的なジャンルである小説とは敵対するようになり、詩の領分は個人の感情だけとなった。
 その後、エリオットたちは、「近代」とは孤独で不安な時代なのであり、その表現形式として詩がもっとも優れているとするようになった。私的であるがゆえに公共的という逆説である。さて、デリダやド・マンなどは、従来の見方を倒置し、合理主義といわれているものこそ、レトリックに汚染されているとした。合理主義的見方が主張する真実などというものがまったくの偽りであることを最大限に示すものが詩であるとされた。詩は「言語一般が真実でないという真実」を示すものとなった。
 だが、学者や批評家のほとんどは「ポスト政治的」になった。だとすると、文学批評は二重の意味で危機にあることになる。文学についての感受性が鈍くなっているくせに、自分の社会的・政治的責任は自覚しないのである。政治的探求はカルチャラル・スタデーズの仕事とされた。それなのに個々の文学作品を細やかに読むこともできない。
 だとするととイーグルトンは高らかに宣言する。急進的な文学批評のスローガンは明らかである。「古代に向かって前進!」である。
 フーコーデリダやリリオダールは「人間の死」ということをいったが、これはブルジョアの死、中産階級の死ということであり、教養といわれたものもブルジョアの特権なのであった。そんなものは尊重するには及ばないという議論もあり、それには一理あるが、教養の死によって、何かが失われたことは確かなのである。合理主義という冷静だが血の気の薄い浅薄な見方と、非合理主義という魅力的ではあるが危険でもある見方のどちらにもいかない第三の道を行かなくてはいけない、というのがイーグルトンのいわんとすることなのである。イーグルトンにいわせれば、自分の見方以外のものは合理主義に傾きすぎているか、非合理主義にはまり過ぎているかのどちらかということになる。イーグルトンの著書を読んで往々感じられる、俺が一番頭がよく、自分以外はみんな馬鹿!というような口調は、それは読者を自分の見方へ誘い込むための「レトリック」でもあるのだろうが、すべてのものは合理主義すぎるか非合理的すぎるかということになるのであり、「宗教とは何か」でドーキンスが虚仮にされていたのは、彼が浅薄な合理主義者としか思えないということであり、「ポストモダニズムの幻想」が書かれるのは、ポストモダンの思想家があまりに非合理主義に傾いているようにみえるからである。だから「知の欺瞞」をかざしてポストモダンの思想家を攻撃するドーキンスポストモダン思想がでてくる思想的な基盤さえ理解できない馬鹿なのであり、一方、「知の欺瞞」での批判に目をつぶり、ひたすらポストモダン思想を擁護する方向に走るものたちは、近代において啓蒙主義や合理主義の果たした役割も理解できない馬鹿ということになる。要するに、みんな馬鹿ということになる。しかし、とにかくも政治志向を標榜する人間がすべての人間を敵にまわしてしまっていいのだろうかという疑問は感じる。自分のまわりの「教養」人にはもう期待はできないが、それでもそれに汚染されていない純粋無垢な読者がどこかにいてそれに期待するということなのだろうか?
 イーグルトンの書くものを読むのは、それが批判する嫌ったらしい「教養」人だけなのではないかという気がする。純粋無垢な読者はどこかの森のそばの池でスケートをしているのではないだろうか?
 本書での「美術館」の訳にちょっと読みにくいと思うところがあったので、試訳してみた。

   美術館 

 苦しみのことで彼らが間違ったことは一度もなかった。
 昔の巨匠たちは、苦しみがわれわれにとってどんなものであるのかを
 よく知っていた。誰かが苦しんでいる時にも、その傍らには
 知らん顔で 食事をしたり、窓を開けたり、のそのそ歩くものが いつもいたのだし、
 敬虔な顔をした年寄りたちが、奇蹟の運んでくる命の誕生を
 熱烈に待望していても
 子供たちはそれには無関心で、森のそばの池で
 スケートをして遊んでいる
 そんなことを、片ときも忘れたことはなかったのだ。
 荘厳な殉教といっても
 世の片隅のつまらないところ、
 犬が犬の生き方で生き、拷問執行人の馬が
 何も考えずに尻を木にこすりつけている、そんなところでおこなわれてきたのだから。
 

詩をどう読むか

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文学の楽しみ (講談社文芸文庫)

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