今日入手した本

 

耄碌寸前 (大人の本棚)

耄碌寸前 (大人の本棚)

 何だかわたくしのことを言っているようなタイトル。寸前ではなく、ただ中かもしれないが。
「昨今の文芸作品には、魂の騒乱とその後に来る深山にたたえられた湖水にも似た沈思がない。あるのはちまたの喧噪そのものである。・・人はこれらを知るために文学書をひもとくのではない。これからのがれたいためにひもとくのである。これらの無為をながめたければ、よろしく現代の無能の象徴である東京タワーに昇るべきである。」 これが書かれたのが昭和35年。
 「弱きものよ汝の名は男なり」という文では、「古来劣等感の持主はどぎもを抜く偉業をなし遂げるのである」として、男は女に劣っていると自覚しているからこそ、「その劣勢を挽回するために仕事に打ち込むのだ」とし、だから「男性から仕事を除いたとき、彼は首輪をはずされた犬のように惨めになる。彼のねうちは首輪にあったのだ」という。
 食えないおじさんである。それがとぼけて書いている。鷗外の長男にして解剖学者。けっこう解剖を真面目に論じているところがあって読者を選ぶ本かもしれない。
 
春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

 昨日の朝日新聞の読書欄で紹介されていた。これを読むと池澤氏はキリスト教に相当近いところにいるのだろうかと思う。「自分は信仰なき身」と書いてはいるが。失礼だが池澤氏わたくしにはどこか信用できないように思えるところがあるのだが(知識人の特権意識のようなものを感じることが多い)、それは氏が信仰に近いところにいて、「聖書」が示した言葉の力を見て、一般的な言葉もなにがしかの力を持つとしていることによるのだろうか?

 「耄碌・・」の解説も、昨日の書評もともに池内紀氏。


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