渡辺京二「細部にやどる夢」(2)ツルゲーネフ

 
 昨日の記事を書いた後、「そんなもの読んでいないものね」ということでスキップしていた「トゥルゲーネフ今昔」を何気なく読み出したら、面白くてそのまま読んでしまった。35ページほどの本書のなかでは長いほうの文である。
 「戦前ひろく読まれていて、今日では見向きもされなくなった作家といえば、何といってもトゥルゲーネフに指を屈するのではあるまいか」と渡辺氏はいう。もっとも2006年の丸谷才一鹿島茂三浦雅士、三氏による「文学全集を立ちあげる」(2006年)でも「猟人日記」は収載しようということになっているから、まったく見向きもされなくなっているというわけではないかもしれない。しかし昨日の記事でも述べた昭和31年刊の新潮文庫の巻末の案内ではツルゲーネフ(以下、わたくしはこの表記でいく)が8冊ある。「父と子」「猟人日記」「けむり」「処女地」「春の水」「貴族の巣」「片恋・ファウスト」「はつ恋」である。そして、恋は戀の字。
 なんで一冊も読んでいないのに、この文が面白かったのかというと、わたくしの中学・高校の頃の読書につきまとっていたある雰囲気のようなものを、そういえばそうだったのだなあと思い出せたからである。今でもトルストイは読まれているのだろうが、それは「戦争と平和」とか「アンナ・カレーニナ」などであって、「人生論」とか「我ら何を為すべきか」とかあるいは「イワンの馬鹿」とかはもうほとんど読むひとはいないのではないだろうか? そしてそれと関係するのだろうが、晩年のトルストイ思想に影響された武者小路実篤の「新しき村」あるいは一般に白樺派という運動体?ももはや一顧だにされないのではないだろうか?
 しかしまだわたくしの中学から高校にかけて(1960年から65年くらい)にはそれらはまったく力を失っていたというわけではなかったと思う。それと関係するものとして思い出すのがもはや死語であるだろう「インテリゲンチャ」ということばで、現在では「インテリ」という言葉さえほどんど使われないだろうから、かろうじて「知識人」という言葉が残っているくらいだろうか? しかしわたくしの中学から高校にかけてはインテリゲンチャという言葉が死んではいなくて、その言葉を体現している小説としてツルゲーネフのたとえば「父と子」などは読まなくてはいけないのだろうなと思っていながら、怠惰のため読まずに終わってしまったということなのである。そして、また渡辺京二というひとは、いかにもそのインテリゲンチャという言葉を彷彿とされるひとなのだなあと思ったわけである。
 渡辺氏はいう。「一九世紀の後半、折から紹介され始めたロシアの小説に、当時のフランスの作家たちは驚倒したと伝えられる。ロシアの作家たちが宇宙における人間の存在意義や、ロシアという国が直面する歴史的課題について思い悩む人物を主人公にしていたからだ。彼らの考えでは、小説とはもっと小さな事柄を扱うものだった。」 しかし、そういう小さな事柄で結構面白い小説が書けたのは、「資本主義社会が作りだす複雑で変化に富む局面のなかで、自分の成功や幸福を確保しようとするいとなみが、リスクをともなうスリリングなドラマだったからだ。」 ところがロシアには、そういう変化に富んだ社会が存在しなかった。いたのは極端にいえば貴族と農奴だけ。貴族はすることがない。出来ることは議論だけ。たとえ空語であろうとも。だから、貴族がでてくる小説は、議論、議論、議論になる。ツルゲーネフに先行するものとして、プーシキンの「オネーギン」がある。オネーギンもまた空語のひとである。
 今日、「私たちがプーシキンツルゲーネフの小説を読んでなにか切実なものを感じるとするなら、それは口舌の徒たるおのれのいかがわしさについての日頃の自覚があるからではなかろうか」と渡辺氏はいう。しかしバーニンというひとによれば、「このような感覚はロシアのインテリゲンツィアに特有なもの」である。バーニンは「インテリゲンツィアは西洋の知識人とは異なる」といっている。「フランスの作家は供給者であって、公衆に対してよりよい作品を提供する義務以外のものを持たず、彼の私生活が問われることはない。それは大工の道徳性が低いからといって、彼の作ったテーブルが退廃していると評するのと同様奇怪で馬鹿げたことである。」 だが「このような精神の態度を、一九世紀ロシアの主要作家はほとんど一人残らずきわめて激烈に拒否した。」 「人間は分割されない統一的人格であり、このようなインテリゲンツィアの概念は西欧の芸術観・人生観の激しい衝撃をあたえた」とバーリンはいっているのだそうである。
 それを受けて、渡辺氏は「日本において西欧的な意味での知識人は成立せず、知識人とはロシア的概念におけるインテリゲンツィアにほかならなかったことをいまさら説く必要はあるまい」という。このような知識人の形態は昨今ようやく解体されたばかりと氏はいうが、「口舌の徒をいやしむ感覚は日本古来のものであった」のであり、「口先にのぼる抽象的思弁と、生活において現われる人格形象とのさけめに関する感覚は、おそらく人間の存在形態にまつわる永遠の問題に属するのだろう」とする。
 わたくしが中学から高校にかけて抱いていたインテリゲンチャのイメージは「無用のひと」「役立たずのひと」というもので、これがすなわち「口舌の徒」ということになるのであろうが、社会に接点をもてていないひととか、そこから浮いているひとというような感じであった。それを裏返すと、現場のひと、実地のひとへのひけめにもなるわけで、1960年代でいえば労働者への劣等感である。その当時、左の方へいったひとの少なからずが、そのような意識に導かれていたのではないだろうか?
 60年安保がわたくしの中学1年のときだから、わたくしの中学・高校時代には進歩的文化人というものがすでに数多く輩出していわけで、彼らは劣等感というようなものには縁がなかったであろうが、しかし、[インテリゲンチャ−劣等感=進歩的文化人]などということになると、さらにひどいことになることもあったのかもしれない。劣等感というには、ポジティブな感情では決してないであろうが、ある種の抑制をもたらすという利点はあるかもしれない。
 そして、もう一つ、インテリゲンチャは男であるということがある。それで「娘の本気の前に暴露される知識人男性の無能」というのはツルゲーネフの作品で「何度も変奏される主題である」ことになり、「“強い女”と“弱い男”の組み合わせは彼の生涯にわたるオブセッション」ということになり、「悪女につかまって可憐で誠実な恋人を見捨てる」というのもまたツルゲーネフオブセッションということになる。つまり、これは“女”のほうが現場の存在であり、地に足がついているが、“男”は口先だけで中身がなく地に足がついていないということの変奏でもあるのだろう。
 中井久夫氏が「ヨーロッパの指導的知識人のなかには今なお「無垢なる少女の神話」ともいうべきものが残っている。特にドイツではそのような観念の伝統がある。ヨーロッパの青年たちは、しばしばこの神話のために成熟した成年に達することができなかったり、通過儀礼のように、少女を踏み台にして成年に達し、罪責観をもつ」といっているのと、このツルゲーネフオブセッションはどこかで通じるものがあるように思うのだが、ドイツとロシアはどこか通じるところがあり、一方、ドイツとフランスは随分と異なるということなのだろうか? 知識人のタイプとしてロシアとドイツは似ているのだろうか?
 
 以上は、プーシキンツルゲーネフもまったく読んでいない人間の感想であるので、全然、見当外れかもしれない。
 

細部にやどる夢―私と西洋文学

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西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)

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