山室信一「複合戦争と総力戦の断層」(1)

    人文書院 2011年1月
 
 本書は日本にとっての第一次世界大戦の影響を論じたものであるが、タイトルの複合戦争というのは、それが日本にとって対独戦争と「シベリア戦争」(いわゆるシベリア出兵を著者はこう呼ぶ)という二つの戦争と、日英間、日中間、日米間の3つの外交戦からなっていた「複合戦」であったのだという著者の視点を示している。
 そしてその基幹をなすのは日本の中国権益をいう問題であったという。第一次世界大戦は日中間では一触即発の危機をはらんだ戦争一歩手前の状態であったのであり、その危機が中国史においては民族意識の覚醒を生んで現代史の起点となったにもかかわらず、日本は第一次世界大戦の時期を空白の時期としてとらえているという意識の差を著者は問題とする。
 クラウゼヴィッツは「戦争は外交の継続である。他の手段をもってする外交以外のなにものでもない」といったが、そうであるなら外交によって戦争をくいとめることもまた可能なはずであり、外交戦とは実戦にいたらないための交渉を指す。
 従来、日本における第一次世界大戦とはドイツとの短期的戦闘である日独戦争とだけみなされてきた。それに著者は異をとなえる。著者によれば日本における第一世界大戦とは1918年8月の対独参戦から「シベリア戦争」で占領した北樺太からの撤退を終えた1925年5月までの(断続的ではあるが)10年9ヶ月におよぶほとんど大正期の大半をしめることになる。
 従来の第一次世界大戦についての見方はユーロセントリズムであったかもしれないと著者はいう。発端と主戦場がヨーロッパであり、アジアとアフリカが参戦したといってもヨーロッパの植民地であったこともあるが、なりよりもわれわれは世界の命運はひとえにヨーロッパの帰趨にかかっているという意識を持っているかもしれないから、と。しかし、それが世界大戦であったということは、20世紀の世界が緊密な相互規定性をもって動かざるをえない趨勢にあったからであり、世界が戦争という事態の下で一つとなり、あるいは世界が一つであるということが戦争という現実によって明かになったということでもある。世界を動かす主体は欧米だけにとどまらないことが明らかになったのである。
 なによりもこの大戦には、アジアでヨーロッパの植民地ではない主権国家としての日本が参戦している。しかし世界大戦であるためにはアメリカが参戦しなくてはならない。ヨーロッパでの開戦からまもなくこれを世界大戦と呼んでいた日本人がいるが、それはこれが将来日本とアメリカの戦いにつながるものとしてこれをみていたからである。当時アメリカではドイツ系移民が大きな発言力をもっていた。そうであるならばアメリカがドイツ側に立って参戦するという可能性もあったのである。そうなれば日独戦は日米戦につながる。また米中が共同して日本と戦うという見方もあった。実際には日米が実際に戦火を交えることはなかったわけであるが、第一世界大戦を通じて日米関係は険しさを増していったのであり、日本にとっての第一次世界大戦は第一次日米戦争という相貌さえもっていたといえると著者はいう。
 もし日米が対立するとすれば、日英同盟を結んでいるイギリスにとってアメリカが敵となってしまう。それを回避するために英米の接近をはかったイギリスへの不信感が日本にはあり、従来定説となっている日英同盟の情誼によってこの戦争に参戦したという参戦の理由も再考する必要があるかもしれないともいう。
 実際、ドイツに最後通牒を出すまでに一番議論されたのは、米国がどうでるかということであった。それが日米開戦につながることが危惧されていた。それは米独が提携する可能性ということもあったが、日本が対独戦争に踏み切った場合に戦場となるのは中国であり、その中国がアメリカと提携するという危惧でもあった。
 当時日本は日英同盟・日露協約・日仏協約を結んでいたわけであるから、日本がドイツと組んでイギリスやロシアやフランスと戦うという選択はなかった。が同時にこの同盟と協約ではヨーロッパ戦線で日本が戦う義務を負ったものでもなかった。当時の多くの日本人はドイツ贔屓であったので、ドイツに敵愾心を燃やす理由もなかった。したがってこの戦争にどうかかわるかは限られた政治家や軍人の判断にゆだねられることになった。それで一般の人々には自分の問題とは思えないことになった。
 日本は山東半島を戦場としたわけであるが、それについて主権国である中国、そしてイギリスやフランス、アメリカなど中国の利権に関心をもつ国々との関係はどのように判断されていたのでろうか?
 日本はイギリスからの参戦要請に応え「依頼に基づく日英同盟の情誼」によって参戦したという、受動的な行動とする見方が一方にある。またこの大戦を「東洋に対する日本の利権の確立の好機」とみたものもあった(井上馨)。
 著者はこの参戦への外交のあいだに日本とイギリスの間に対立が生まれ、これが日英同盟崩壊の端緒となったことに注目する。
 日露戦争によってロシアから継承し、1923年に変換予定となっていた旅順・大連などの租借権を永続化を計るために、日英同盟を名目に参戦すべきとするものがいた(加藤高明)。しかし、中立でいたほうが中国の利権拡張に有利とする見解もあった(海軍首脳)。したがってイギリスの意向とは関係なく参戦を準備していたものがいるのであるが、開戦のためには日英同盟による要請という形式が必要であった。しかしイギリスは、ヨーロッパでの戦争のあいだに空白状態となったアジアや太平洋方面で日本がドイツやオランダの権益を奪って勢力を拡大していくことに対しては強い警戒感をもっていた。一方、当初ドイツが優勢であった戦況をみて、参戦に反対するものもいた(高橋是清)。またドイツ国内でも、日本が日露戦争の決着をつけるため、ドイツと協力してロシアを挟み撃ちにすることへの期待もあった。
 しかし結局、日本がドイツ側につくことをおそれらイギリスが海軍の出動を要請してきた。しかし日本は山東半島にも軍事行動をおこすことは当然としていた。三国干渉における遼東半島還付に対するドイツへの復讐戦という位置づけなのであった。この大隈首相や加藤外相らによる参戦決定は元老抜きにして決定されたという点で異例のものであった。
 山県有朋らの日露同盟論をとなえる元老は戦争の行方もわからない時点で参戦することに慎重であった。
 予想以上に積極的な日本の姿勢を警戒して、イギリスは日本の参戦への態度を要請と取り消しで二転三転させた。最終的に日本に参戦を要請したあとも日本への不信感はぬぐえず、青島攻撃に英国兵も参加したのも主として監視と戦後の権益の独占を防ぐためであった。
 
 これで約三分の一であるが、とりあえずいったんここで。
 本書を読んでみたのは、片山杜秀氏の「未完のファシズム」を読んで非常に面白かったためである。あまりに話がうまいので本当かしらと思うところもあったのと、そもそも第一次世界大戦への日本のかかわりについてあまりに知識が乏しいことを痛感したこともあって、「日本にとっての第一次世界大戦」という副題をもつ本書を見てみることとした。
 何よりも、本書を読んで感じるのは、われわれが事実として知っていて、当たり前だと思ってしまっていることも、当時、渦中にいた人間にとっては少しも当たり前ではないというひどく単純なことである。われわれは第一次世界大戦アメリカがどちらについたかを知っている。またどちかが勝ったかも知っている。しかし戦争がはじまった当時には、それがいつ終わるのか(大部分の人間はすぐに終わると思っていたらしい)、どちらが勝つかはわからなかったのであり、アメリカがドイツ側で参戦する可能性だってないわけではなかったなどという記述を読むとただただ驚いてしまう。
 片山氏の「未完のファシズム」は一言でいえば(いってはいけないのだとは思うが)、日本の軍人はもの凄くよく第一世界大戦を研究した。あまりによく勉強したがゆえに今後の大戦争には日本は絶対に勝てないことがわかり、それがゆえに合理的に狂っていったとでもいうようなものである。そもそも第一次世界大戦になる前からよく勉強していたのであって、だから青島の戦いでも歩兵による突撃ではなく、砲撃によってあらかた決着をつけておいてから、歩兵は後始末にいく戦いをした。これからは火力による戦闘が勝敗を決める時代となることを見ぬいていたのだ、と。
 「(1914年)夏、第一次世界大戦が勃発し、日本は直ちに日英同盟の誼から連合国側に加わり、ドイツの東アジアに於ける根拠地、山東半島の青島攻略に乗り出します」というのが片山氏の記述なのだが、そんな簡単なものではないぞということを山室氏はいうわけである。片山氏の本ではイギリスとの誼から青島を攻撃したが、せっかくだから火力の威力を試す場として使ってみましたという乗りなのであるが、山室氏の本によれば、この青島要塞攻撃に参加した日本軍は1万6千8百人ほどで、戦死者394名、負傷者1439人(イギリス軍は戦死者12名、負傷が61人)。一方、ドイツ側は戦死者210名、負傷者550人となっている。日本側のほうが犠牲者が多い。なかなか砲撃で大勢を決しておいてあとは歩兵が占領にだけいったという簡単なものではないのかもしれない。また片山氏の本では青島攻撃開始までに時間がかかったのは主として大砲陣地の構築に時間がかかったためという書きかたであるが、山室氏によれば、山東鉄道占領を優先したこと(本来の日英同盟の誼からはずれた行動を優先させた)とイギリス陸軍との合流や連絡が円滑に進まなかったことなども大きな理由であるとされている。
 片山氏は思想史研究家という肩書きである。一方、山室氏は専門は法政思想連鎖史となっている。どちらも広い意味での歴史の研究家なのであろうが、山室氏の方が歴史の研究者、片山氏のほうが思想の研究家という印象が強い。片山氏のほうが大きな絵を描くひとで、その絵は魅力的ではあるが、細部にはいろいろと漏れてしまう部分があり、それを山室氏がいろいろと指摘している。では山室氏が大きな絵を描くことがないのかといえば、決してそういうわけではなく、日本にとっての第一次世界大戦はヨーロッパでの戦闘以上に長期にわたるものであったという視点などきわめて大胆な仮説を提示している。それらについては稿をあたらめる。
 

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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