今日入手した本

新しいチェロ奏法―身体に優しいチェロ演奏のために

新しいチェロ奏法―身体に優しいチェロ演奏のために

 昨日に続いてこんな本である。これも古本。
 演奏家に身体障害はつきものなのだそうで、なかでも弦楽器奏者に多く、特にチェロとコントラバスの奏者に目立つのだそうである。つまり弦楽器演奏というのは身体的に相当な無理をしているということで、本書はいかに身体的に無理なくチェロを弾くかということについていろいろと論じたものである。
 わたくしのような超初心者からみると、現在推奨されている弓の持ち方というのはいかにも不自然である。本書によれば、そのようなことになったのは、時代が進むにつれて大きな音をだすことへの要求が高まり、そのためにバロックのころに使われていたのよりも、もっと強い弓が必要になったためなのだそうである。同時にチェロ自体も変わり、駒は高くなり、弦の張りも強くなったのだそうである。もっと弦の張りが弱ければ、左手の指先が今ほどは痛くならないのだろうなと思う。つまり現在のチェロの教科書で前提にされているのは、大きな演奏会場で大オーケストラを背後においてそれに対抗して負けない音を出せるようにするにはどうしたらいいのかのということなのかもしれない。それは大部分のチェロ学習者にとっては一生縁のない話である。そうであるなら、小さな部屋で少人数の仲間と音楽を楽しむというためには別のやりかたでもいいのかもしれない。とはいっても楽器自体が大きな音を出すことへの志向によってバロックのころのものとは変わってきてしまっているのであれば、なかなかそうもいかないのかもしれないが。
 P・トルトゥリエというひとの「現代チェロ奏法」という本にこんなことが書いてあった。「パブロ・カザルスがまだ若い学生時代に、不自然な練習を強いられたことについて、ときどき不満を述べたことがあったが、それがカザルスにとって害になったかどうかは疑わしい。逆に、もしカザルスがそうした練習をしなかったなら、あれほどのチェロのテクニックをマスターできなかったかもしれないともいえるのである。」 たしかにそうともいえる。結果論である。われわれはカザルスが大演奏家になったことを知っている。しかし若いころの不自然な練習によってどこかに障害を残すことになり演奏家になることができなかった第二のカザルスがどこかにいたかもしれないのである。確かシューマンは小指の強化のための無茶な訓練をしていて指を駄目にしてピアニストになることを断念さぜるをえなくなり、作曲家になったはずである。われわれにとってはそのほうがよかったのかもしれない。しかしシューマンには作曲という能力があったからよかった。そういう能力がなく、演奏家になろうとしてどこかに損傷をおこして演奏家になれなかったというのではただの悲劇である。
 昨日のレイトの本でも、われわれの目的は音楽的に弾くこときれいな音を出すことであって、練習曲を征服すること自体ではないということがいわれていた。しかし、練習曲を征服していくうちに、きれいな音がだせるようになり音楽的に弾くことができるようになると通常は考えられているのであろうが・・。