その14 詩と散文

 
 先週の土曜日に朝日カルチャーセンターで荒川洋治さんの「吉本隆明の詩について」という講座をきいて、そこで吉本が「詩は価値に、散文は意味により傾斜する」ということを主張していたことを荒川氏が紹介し、しかし自分では「詩は個人の言葉、散文は社会の言葉」としたほうがしっくりくるといっていた。
 それから、このことについて少し考えているのだが、わたくしがこれに類することを最初に考えたのは、例によって、吉田健一(特にその「文学概論」)によってである。吉田のこの概論は、言語、詩、散文の順に論じ、付録として劇が付されるという構造になっている。その「言葉」の最初のほうで、すぐに言葉が意味を伝える道具なのであるかということが論じられている。意味を伝えるということならば、手真似にだってそれはできる。また一方に数学の用語ということがある。それは意味の取り違えようのないものであるが、だからこそそれは符号に置換可能である。それならば、言葉もまた意味伝達のための符号なのであるか? 「これ(数学の符号)に対して余分なものが言葉にあるならば、その余分なものが言葉の大部分なのである」、そう吉田健一はいう。
 荒川氏が紹介している吉本の議論は「言語にとって美とはなにか」で展開されているものなのだそうであるが、わたくしはこれを読んでいない。第一、タイトルが気に入らなかった。全然、文学的でないと思った。文学を数学的に論じたつまらん本であろうと思って、手にすることもしなかった。発売当時、漏れ聞こえてきた内容をきいてもつまらないものであろうと思ったし、荒川氏の講座で紹介されていた部分をきいてもとても読めた本ではないであろうとあたらめて思った。荒川氏も必ずしも「言語にとって・・」を肯定はしていないようであったが、それにかかわらずこの様な原理論は必要であるとしているようであった。しかし、原理論なら吉田健一の「文学概論」のほうがまともであるとわたくしなどは思ってしまう。ファンの心理というのはおそろしいものである。
 それで「文学概論」では言葉をその言葉本来の機能として用いたものが「文学」、その中でも、言葉のもつあらゆる機能を徹底的に濃縮して用いているのが「詩」ということになっている。それに対して、「散文」は説明するためのものであり、本来、意味を伝えるためのものである。詩はまず言葉をもとめるのに対して、散文ではまず言葉が何を指すかを第一に考える。しかしそうであっても、散文には書いたひとがいる。数学の記号は書いたひとを必要としない。それは事実(あるいは数学という学問が構成する世界)が決めるのであって、だれかが個人的に用いるものではない。
 荒川氏は、現在は言葉が単なる情報伝達の道具となってしまっていて、誰があつかっても同じ意味であり誤解される余地もない、そういうものだけが言葉とみなされていて、ある書き手が、その言葉に込めた思いのようなものがわからないと理解できない文(辞書で引いたのでは理解できない言葉を多用した文)などはあってはならないもの、本来の言葉の扱いからは逸脱したものとされていることを慨嘆し、言葉が本来持っていたはずの個人のための機能(社会生活をいとなむためにする情報伝達機能とはまったく別の機能)をとりもどすために詩の復権を!と論じていた。
 しかし、いきなり詩までいってしまうのは飛躍があると思う。言語の機能はまず考えることにあるのだから、考えることをしている文章であること、それが大事なのではないだろうか? 詩は歌うものであって、考えて作るものではない(などといってしまってはあんまりで、考えなくては作れるはずもないのであるが)。言葉が通じるということは公共性があるということであり、詩人だって誰にも通じない自分だけの言葉を用いるわけではない。
 荒川氏の講義で用いられた田村隆一の有名な詩「保谷」の冒頭
 
  保谷はいま
  秋のなかにある ぼくはいま
  悲惨のなかにある
 
 最初の「保谷はいま/ 秋のなかにある」は意味の伝達であるかもしれない。しかし、次の「ぼくはいま/ 悲惨のなかにある」はそうではない。吉本流のいいかたでは、価値の領域にある。
 荒川氏は、この詩を
 
  保谷はいま
  秋のなかにある
  ぼくはいま
  悲惨のなかにある
 
 としたのでは、大きく失われてしまうものがあるとしていた。後者であれば、意味と価値が独立して別のものとして存在しているように見えてしまうが、前者ではそれが一体化し、意味と価値が混然としたものになる。「保谷はいま/ 秋のなかにある」という部分でさえ、価値の領域にもちこまれる。このような行分けの仕方は詩の技巧に属するのだが、この詩で用いられている言葉、「保谷はいま秋のなかにある。ぼくはいま悲惨のなかにある。」は、どう行分けしてもかわるわけではない。では何か変わるのか? 語り口が変わる。語り口があるということは、それを語っている個人がいるということである。荒川氏がいっていたのは、われわれが文章から語り口を感じ取る能力、個人を感じ取る能力がどんどんと失われてきており、公共性のある情報を伝達するものとしての言葉しか重要でないとするようになってきているということである。だからこの詩でいえば、「保谷はいま秋のなかになる」というのは重要な情報であるが、「ぼくはいま悲惨のなかにある」という部分は、そんなことはあなたの個人的な問題でしょ、わたしには関係のない話!ということになってしまう。とすれば、詩がよまれなくなるのも当然である。
 しかし、こういう例は何も詩を持ち出してくるまでもないので、内田樹氏が「村上春樹にご用心」でしていた、太宰治の「桜桃」の冒頭「子供より親が大事、と思いたい。/ 子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。」をフランス語に翻訳し、それを日本語に戻した例、「両親は子供に優先する、というふうに私は思いたい。/ 古代の哲学者たちのように、まず子どものことを考えるべきだ、と私も思ってはみたけれど、そうもゆかない。両親は子どもよりも傷つきやすいのだから。」というのは太宰の原文の意味だけを伝えるもので、たとえば原文の「何」という言葉の持つニュアンスはどこかに消し飛んでいってしまっている。吉田健一のいっているように言葉のなかで意味のもつ要素はごく一部なのだから、語り口もまた言葉のうちなのである。散文もまた単なる情報伝達をめざすものから(それは数学の記号に還元しうるのかもしれないし、地図として示せるものかもしれない)、書いている人間の身ぶり手ぶりから、顔つき、さらには逡巡から決断までもがみえるものまでもがある。
 しかし荒川氏は、最近、一部詩人の間で流行している自作詩朗読の自己陶酔のいやらしさということもいっていた。誰が関係ない他人の身ぶり手振りや逡巡のそぶりなどをみたいだろうか? 散文を書く場合には、まず自分のなかにもう一人の自分がいてそれを批評する。書き手としての自分以外に読み手としての自分がいる。そのような読み手さえ必要としない文、それが単なる情報伝達のみを目的とした文である。あるいは読み手が不在の文、それが自己陶酔の文である。
 少しでも考えることをして書かれる文であれば、自分のなかにもう一人の読み手がいなくては書けるものではない。だから、吉本隆明が散文は意味、詩は価値などといっていたというのがよくわからないので、少しでも読むに値する文章であれば、(吉本のいう)価値がかかわらないはずがない。それならば荒川氏がいう散文は社会の言葉、詩は個人の言葉というのはどうだろうか? 個人の言葉で書かれた散文などいくらでもあるはずである(それは散文詩?)。おそらく荒川氏のいいたいことは、人間の生活には社会生活である部分と個人としての生の部分があり、その個人の生から生じる言葉の極北にあるのが詩であるというようなことなのであろう。わからないでもないが、何も詩でなくてもいいのではという気がする。符牒としての言葉、辞書にあるような意味だけで言葉がつづられた文ではなく、他で置き換え不能な、まさにその言葉でなければいけないような文、それを詩と呼ぶということであれば、わからないでもないのだが。
 人間の歴史を考えれば、詩がまず先にあって、散文が後からでてきたことは明白なのだから、散文の領域が拡大していき、詩の領域はどんどんと狭くなっていくのは当然のことかもしれない。わたくしにはクラシック音楽というのが19世紀にピークを迎えたのと同様に、詩もすでにある時期にピークを過ぎてしまったのではないかという気がしている。そして過去に詩がもっていた機能をその内にふくんだ散文はまだ細々とは書かれてはいるが、それすらも何のことやらと思うひとがどんどんと増えてきているのかもしれない。だが、そういうひとに詩を読ませることが可能なのだろうかと思う。ちょっと複雑な散文さえ敬遠するひとに詩を読ませても、何の反応も返ってこないような気がする。
 荒川氏は「散文は「異常な」ものである」という(「詩と言葉」)。そうなのかもしれないが、ひとは歴史が下るにつれて、〈一挙に解る〉詩的な理解から、〈分析的な〉散文的理解へと堕落?してきたわけである。動物としては明らかに異常なやりかたなのであるが、人間はそのやりかたで今を作ってきたわけである。そのような理解の仕方は本当の危機に直面した時には何の役にも立たないであろうが、それでももう元に戻ることはできないだろうと思うのである。
 

文学概論 (講談社文芸文庫)

文学概論 (講談社文芸文庫)

詩とことば (岩波現代文庫)

詩とことば (岩波現代文庫)