山口昌男さん

 山口昌男氏がなくなったらしい。氏を「さん」と呼ぶような関係ではまったくないが、わたくしが中学でか高校でか氏に日本史を習ったことがあるということでそう書かせてもらう。
 氏がまだ無名の時代で、その授業の内容もまったく覚えていないのだが、白土三平の漫画について、「この人いまに有名になるよ」などといったり、手塚治虫からの年賀状か何かを見せてくれたりしたことがあり、漫画に関心があるひとなのかなと見当違いのことを思っていた。
 今から思うと、その片鱗がみえていたのかもしれないのは、マレビト論のようなことを語っていたことがあったように記憶しているし、民族のもつ神話の重要性のようなことも言っていたように思う。
 大学に入り、高校時代の仲間とあったときに「山口先生、有名になってきているね」というような話題が出たことがあったが、その時も氏がどんな方面で有名になってきているのかも知らなかった。
 そのうちに文化人類学者・山口昌男としてあちこちで名前を見るようになった。氏の著作で初めて読んだのが何であったかはもう覚えていないが、決定的に打ちのめされたのが「本の神話学」、特にその中の「20世紀後半の知的起源」と「ユダヤ人の知的情熱」である(わたくしの持っているのは「中公文庫」で、昭和53年1月再版となっている)。なんでこんなにいろいろなことを知っているのだろうと、ただただ感嘆した。この本でピーター・ゲイの名前も知ったし、その「ワイマール文化」という本も知った。ワールブルグ研究所もここで初めて知った。カッシラーとかパノフスキー、ゴンブリッジなども名前もそうだったと思う。図像学などという言葉を知ったのもこの本でだったと思う。怖いなと思ったのは「ワイマール文化」の邦訳の間違いなどに容赦のない指摘をしていた点で、学問の世界は厳しいと感じた。
 ツヴァイクの「昨日の世界」を知ったのもたぶんここでだったと思う。バフチンとそのロシア・フォルマニズムとかも、そうだったと記憶している。とにかくヨーロッパの知性というのはその頂点にいる人々の能力たるや半端なものではないこと、そしてそれらと張り合っていこうとしている知性が日本にもいることをこの本は教えてくれた。
 読んだのは30歳くらいであるはずだが、その頃は「知」という言葉には抵抗を感じていた。何を偉そうな、と思っていた。山口氏のこの本を読んで、「知」という言葉を使っても許されるひとがいるのだなと初めて納得できたように記憶している。
 

本の神話学 (中公文庫 M 60)

本の神話学 (中公文庫 M 60)