橋爪大三郎氏の本

 橋爪大三郎氏の「書評のおしごと」という本をなんとなく読み返していたら、吉本隆明氏を論じた文「吉本隆明はメディアである」にこんなところがあった。「現在、資本制以外の社会システムは事実上存在せず、資本制を上回るどんなプランも提案されていない。」これが書かれたのが1986年である。最近も、大澤真幸氏も同じようなことをいっていた。この橋爪氏の本の別のところでは、「50〜60年代の左翼的熱狂から、70年〜80年代のシラケた内向へ」という文もある。わたくしは「50〜60年代の左翼的熱狂」を少しは知っている世代なので(橋爪氏とほぼ同じ世代)、その左翼的熱狂はいろいろなところに潜伏していると思っている。ポストモダンといわれる思想の一部はそうなのだろうなと思っているし、フェミニズムについても同様である。要するに、現在の体制に否!と言い続けることを、自分の一番の根底におく行き方である。
 橋爪氏はいう。確かにわたしたちの社会はまずいところだらけだ。しかし、それは資本制をささえるインフラの不備なのだ、と。とすれば、それは工学的に解決する問題なのだろうか? もはや思想の出番はないということなのだろうか?
 「わたくしは体制を変えると人間が変わる」という思想が多くの悲劇を生んできたと思ってきた人間なのだが、それにもかかわらず、「現在、資本制以外の社会システムは事実上存在せず、資本制を上回るどんなプランも提案されていない」などといわれると、なんとなく、納得できないものを感じてしまう。なぜなのだろう?

書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003

書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003