今日入手した本

蔵書の苦しみ (光文社新書)

蔵書の苦しみ (光文社新書)

 あとがきに「本が増え過ぎて困る」というぼやきは、しょせん色事における「惚気」のようなもの」とある。「悪いオンナに引っかかっちゃってねえ」などというのを本気で悩みとして聞く者はいない、と。そういうものであろう。
 昔、昔、渡部昇一氏の「知的生活の方法」を読んで以来、氏の「身銭を切る」「無理をしてでも本を買う」という薦めにしがたってきた。爾来うん十年、こちらも本の整理がどうにもならなくなってきた。本を読む楽しみの一つは、ある本を読んでいて「あッ、これはあの本と関係があるな!」と思える瞬間を経験することで、ある本とあの本が一見関係ないようにみえる場合ほど、その喜びが大きい。〈関係〉というのも曰く言いがたい、言語化がしづらいようなものであるほどいいので、ひょっとするとこれに気がついているひとはあまり多くはないのではないかなどを思うとわくわくする。天が下新しきことはなしで、実際にはそんなことはないのだが、そうやって自分なりの書物の間の関係地図を描いていくことが読書の喜びの大きな部分をなすのではないかと思う。
 しかしその自己流のユーレカ!は、いわくいいがたい感触のようなものなのだから、それを確認するためにはすぐに「あの本」を読みたい。そうでないとその幽霊のような感覚はいまにも消えてしまいそうである。それができるためには手元に本があることが必要というのが渡部氏が無理をしてでも本を買って手元においておけと推奨している理由であった。だが、そのためには自分のライブラリーが整理されていて、すぐに本は探せなければならない。しかし蔵書が増えてくるとそれが幾何級数的に困難になってくる。本棚が何カ所にもわかれ、本棚には2重に本が詰め込まれ、後ろの本の背表紙はまったく見えないというのではどうしようもない。というようなことを常日頃感じているので、このような本があるとついつい買ってしまう。
 などというのも、もちろん「惚気」話、「自慢」話にきこえるであろうことは十分に承知しているつもり。で、本書にも書いてあるように、まとめてある機会に大胆な処分をすることが必要なのであろうが、本を売りにいくと異様に買値が安いのである。ということでなかなか踏ん切りがつかない。