ディオバンの問題と日本人間ドック学会の発表

 
 ディオバン製造会社であるノヴァルティス・ファーマ社の社長の交代が報道されている。ディオバンの問題と白血病治療薬の問題によるもので、ドイツ人の新社長が「日本の従業員は他国と比べて医師を優先する傾向がある。患者優先の方向に文化を変えなければならない」といったということが報道されている。
 今度のような問題が日本に限られた問題であるとはいえないように思うが、製薬会社という営利を目的とする企業が利益の最大化のために行動することはある意味では当然のことであるはずであるとしても、日本においては利益の最大化をめざすための一番いい方法が医師を優先することになっているために、結果としてそのようなことになっているのではないかと思う。だから新社長がいっているようなノヴァルティス社の企業文化を変えるというような方向では必ずしも問題は解決せず、もっと日本全体(少なくとも日本の医療の世界)の文化が変わらないと問題は解決しないように思う。
 それで日本の医療の文化の問題とは、医者(の少なくとも一部)が製薬会社にたかって当然と思っていることである。看護師さんも検査技師のひとも放射線技師のひともそんなことを考えているひとはいない。薬の処方はもっぱら医師の権限であるから当然といえば当然なのであるが、医者は医療の世界では階層のトップにいると思っているので、トップにはトップとしての特権があると思っているのだが、それでも医者は自分では弱い一個人と考えているのである。一方、製薬会社は巨大企業である(これは事実)。そうであるなら巨大企業のおこぼれにあずかっても罰はあたるまい、という意識なのではないかと思う。これは多くのひとが福利厚生は国の義務であって、弱い個人は国という巨大な財布に期待できるはずと考えているのとパラレルなのではないかと思う。
 要するに(一部の?)医者は製薬会社を一種の福祉団体のように思っているのではないかと思う。だから国からの研究助成が充分でないとすれば、巨大企業(ある意味では国のようなものでもある)が自分達の研究を援助してくれることは半ば当然のことなのであって、「臨床研究」という名目で資金援助してくれることは大変ありがたいことではあるが、製薬会社という公器でもある存在の「ノブレス・オブリージュ」のようなものという感じもあるのではないかと思う。
 そして営利企業である製薬会社が何の目的もなくお金をだしてくるはずもないから、そこは魚心あれば水心、以心伝心、自ずと落ち着くべきところに落ち着くということになっているように思う。そのようにしているうちに医者の世界と製薬会社の世界が一つの共同体を形成するようになり、金の動きは、その共同体内部での「役得」あるいは「交際費」のような感じとなり、金銭感覚が麻痺してくるのではないだろうか? 小室直樹氏が「危機の構造」でいう「ツケを回す思想」である。小室氏は日本では「法は士大夫にのぼらず」という感覚があるという。
 昨今話題の小保方さんと理研の問題にしても、あるところまで上りつめたひとは何をやっても許されるというような感じが理研のトップ層にはあり、そのなかにうまく取り入って自分も士大夫の仲間入りができたと思っていたにもかかわらず、問題が明らかになると、「きみはまだ士大夫にはなれていないよ。身分が違うよ。うえのひとには許されることでも、きみの場合は駄目」といわれて、「それはないでしょう」と抵抗しているという構造が騒動の根っこにはあるのではないかと思う(もちろん、それだけではないが)。
 もう一つ、今日のニュースで日本人間ドック学会が従来からの正常か否かの基準を大幅にゆるめることを提言したという記事があった。ドックを受けたかたのなかで完全に健康状態とおもわれるひとについて、データを集めたところ、その検査値は従来は異常とされていたものと相当オーヴァーラップしていたというのである。なかでも酷いのがLDLコレステロールで従来であれば完全に治療域とされていた数値が問題ない範囲とされている。
 従来の人間ドックでの正常値はさまざまな専門分野の学会が示す指針にしたがって決められていた。そして、それぞれの専門学会は、受診者が現在健康であるか否かではなく、将来の健康に問題が生じる危険があるか否かによって正常値を設定していると主張しているので、今回の人間ドック学会の主張(現在、健康であるが否かについての判断)とはそもそも何を正常と考えるかについての判断の基準からして異なっている。当然、さまざまな反論がでてくるであろう。
 わたくし個人は従来からの健康診断での判定はあまりに基準がきびしいのではないかと感じていたので、今日の報道をみて大いなる援軍がきた感じである。しかしわれわれが目にするさまざまな治療指針のもとになっている治療の有効性についてのデータを充分に分析するだけの能力がこちらにはないので、完全にそれを無視するほどの勇気もない。ただディオバンの問題をめぐる高血圧学会の動きなどを見ていると何だかなあと思う部分も多く、製薬会社との共同体化の毒が随分と回っているきているのではないかと邪推したくなる場面も多い。人間ドック学会には製薬会社からの「臨床研究」費があまりいっていないのかもしれない。
 ともあれ、これから出るであろう多くの反論などの動向をみていきたいと思うが、今回の人間ドック学会の発表によれば、わたくしはめでたく「肥満」ではなく「正常」ということになった。欣快の至りである。