「大きな物語」の消滅

 最近、勝手に「朝日新聞問題ウォッチャー」をしていたので、昨日の朝日新聞の会見はとても興味深かった。ちょっと「団交」というのを思い出した。
 わたくしは戦後2年目に生まれで、中学に入ったときに60年安保、大学に入ったときに「1968年」があり、45歳ごろにソ連と東欧圏の消滅を経験した。そういう人間としての個人的な感想であり、いささかも普遍性をもつものとは考えていない。
 今回の社長の会見で、わたくしが一番面白いと思ったのは以下の部分である。
 『吉田調書のような調査報道も、慰安婦問題のような過去の歴史の負の部分に迫る報道も、すべては朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼があってこそ成り立つものです。』
 あたりまえといえばあたりまえのことを言っているようにみえるが、ここが肝なのだと思う。先月、検証記事と称するものを出したとき、ネット右翼といわれるひとたちからさまざまな罵詈雑言がでてくることは当然予想していたと思われるし、産経新聞週刊文春週刊新潮などがねちねちといやみをいってくるであろうことも想定内であったと思う。しかし、それと同時に、「確かに誤報をしたことは問題であるが、遅きに失したとはいえ今回それを認めたことを多とし、前の戦争を深く反省し、二度と戦争を繰り返してはならないという気持ちがこれらの報道の根幹にあったということを理解し、朝日新聞をあまりに過剰に叩くことで日本の良識を代表する新聞が萎縮する方向にならないことも大事である。角を矯めて牛を殺すことなかれ!」というような意見もまた澎湃としてわきあがってきて、批判の声を相殺してくれることも期待していたのだと思う。
 頭の悪いひとたちが自己のささやかなアイデンティティーをまもるために「愛国」というような愚かな砦に立てこもっている。週刊誌は売れればいいからただ面白おかしく書きたてる。しかし、草の根の多くの良識あるひとたちは大きな声はださないにしても自分の味方でいてくれるという信念をもっていたところ、いつまでたっても、そのような声がどこからもあがってこない(強固な信条を抱いているので当然そういう声をあげてしかるべき人からしかそれはあがってこなかった)、それにうろたえたのだと思う。
 ゲリラ戦というのはそれを支持する人民の海のなかでしか継続できないものである。気がついてみたら、まわりにいるのは自分たちの首をねらう竹槍をもった民ばかりだったのである。「持久戦論」などといっている場合ではないことに気づいた。無学なバカはいざしらず、まともな知識人はわれわれの味方と思っていたら、その知識人の一部が槍をもってむかってきたのである。槍を持つものはまだごく一部であるとしても、その他の知識人が自分を見る目も随分と冷たい。『朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼』はいつの間にかどこかに霧散してしまっていたのである。
 今回の会見は、誤報・誤認に対する謝罪である。しかし『朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼』が失われたとしたら、それは誤報をしたという事実からではなく、「誤報であってもいいじゃないか、われれれの今回の戦争への反省を示せるならば」という姿勢のほうからだということはいくらなんでも気がついているはずで、謝罪の口実としては事実誤認であるが、実際に表明しようとしたことは、こういう姿勢でいては皆様の支持信頼がえられないことがわかったので、これからは改めます、という転向宣言なのであると思う。
 朝日新聞が戦時中は大政翼賛で戦後マッカーサーアメリカ万歳、その後、スターリンソ連から毛沢東中国と旗標を変えてきたが、戦中は軍部の言論弾圧のためやむなくそうしたとか、占領軍の言論統制でいいたいこともいえなかったとかいうのではなく、その時々の「大きな物語」がどこにあるかという判断がそうさせたのだと思う。
 「大きな物語」というのはポストモダンのほうの言説からでてきたものだと思うけれど、彼らの文脈ではマルクス主義のことを指したのだと思われる。もっと広くは世界の成り立ちを説明できる大きな原理であるとか枠組みをさすのだろう。
 戦時中の日本の八紘一宇などというのは世界からはまったく問題にもされていなかったであろうが、日本の内部においては強力な「大きな物語」であった。そのあとにはマッカーサーアメリカの民主主義が「大きな物語」となった。しかし、その物語の柱となった「もう二度と戦争をしません」を指導したアメリカが朝鮮で戦争をし、東側と対立するようになってしまった。マルクス主義の描く「大きな物語」では、東側は平和勢力であり、西側は戦争勢力なので、それで今度はその物語でいくことにした。しかし、東側は崩壊してしまった。もはや「大きな物語」はありえないとポストモダンの側はいっていたが、その「物語」を捨てることはできなかった。新聞がオピニオンリーダーであるためには、オピニオンをリードするための物差し(大きな物語)がどうしても必要となるからである。今回の会見は、(はっきりそうとはいわなかったとしても)われわれが信じていた「物語」はもはや日本では信じるひとが多くないことに気づきました。出直します!ということだったのだと思う。
 しかし、その「物語」は西欧の一定数の知識人のあいだではまだ信奉されているかもしれないので、おそらくは多様であるであろう朝日新聞社内の一部の意見は「日本では(残念ながら)劣勢であるが、世界の標準からみればまだまだわれわれの主張は正しい!」という線でがんばって抵抗を続けるのではないかと思う。
 問題は朝日新聞を攻撃しているひとの多くが、『「大きな物語」の時代は終わった!』ではなく、『お前の物語は間違っている! こちらの物語が正しい!』という路線にいることである。朝日のひとたちにとっては、『「大きな物語」は終わった!』ならまだ許せるが、批判派の奉じる「物語」は自分たちの奉じてきた「物語」よりはるかに粗雑で稚拙で穴だらけで、少しでも頭があるものには到底受容に耐えないような代物であり、そんなものに屈するくらいなら死んだほうがましとしか思えない。そもそも朝日を批判するひとたちの一部は、論理より感情、理論より情感という方向で、「こちらの体には熱い血が流れているが、お前はまるで冷血動物だ!」といった論法なので、議論さえ成立しないのかもしれない。「西洋近代」の論理によって「日本人の血」の感情に抵抗していこうとするひとが、これからも朝日新聞の一角には残るのだろうと思う。
 しかし、多数は「今現在、最大公約数的に受け入れられている見解はどのようなものか」ということを基準に、それとあまり背馳しない情報を全体の動向を少しづつ先取りして提供していくという方向に移行していくのではないかと思う。おそらく、最後まで受け入れることがないだろうと思われるのは、世界には多様な意見があり、それぞれの真偽正邪は永遠に決定することはできないというような方向である。そうなってしまえば、新聞の機能は純粋に報道することだけになって、それについて見解を述べる根拠が失われてしまう。そもそも何が大事な情報で読者に提供すべきものであり、何はそうする価値がないかを判断する基準さえも失われてしまう。
 「天声人語」は Vox populi vox dei の訳なのだそうで、民の声は神の声というような意味らしい。朝日新聞は自分は神の声をきく能力があり、それを民に伝えるのが自分の使命と思っていたのだが、いつのまにか神の声がきこえてこなくなってしまっていたのに気づき、これからは民の声をきいてそれを神の声としていく方向に転換をはかっていくのかなと思う。しかし、それはどこかに「正しい声」があるという前提があってでてくる話である。ただ多様な意見だけがあって、それのどれが正しいかを決める「神」がいないとするとどうなってしまうのだろう?
 わたくしは全共闘運動を知っている世代で、そこで「俺は神の声をきいている、民はこの俺についてついてくればいい」と偉そうな顔をしていた「進歩的文化人」といわれるひとたちがずたずたにされ、石もて追われていくのを見た。なんだか今、その再現をみているようである。違うのは石を投げているのがかつては、もっと左であることを自称していたのに対し、今度は右を自称するひとということである。今の朝日新聞のトップのほうにいるひとたちは、その進歩的文化人の悲劇(喜劇)を実際にみていた世代なのではないかと思う。今の状態をどう考えているのだろう。
 内田樹さんがあるところでこんなことをいっていた。
 『すごく受験勉強ばかりしてた奴が、大学に入っていきなり過激派になってカ―ッとやって、その後いきなり大蔵省に入っていったりするのとかいるわけじゃない。そいうのは同じなの中身的には。高校時代は偏差値を競い、大学時代は革命性を競い、その後は出世を競うという。結局常に競争して上にたって威張りたいとかね、そういう人たちにとっては全然首尾一貫している、何も変わってないよ。たっくさんいるからね。俺は日比谷高校、東大だからさ、そこでやってた奴等なんか、皆同じじゃないかよって。高校時代の秀才の実に多くが大学時代過激派の学生になって、その100パーセントがその後、中央省庁とか一流企業に入っていったからさ。こいつらにとっては政治運動も受験勉強みたいなもの。つまり一時的にある学校の中のある空間で、非常に政治性みたいなものが高い価値がある時期があったので、ここでは革命的な事を言ってると威張れるっていって威張るわけだからさ。こいつら北朝鮮に生まれてたら絶対その高校まで勉強してて、その後、何か金日成大学とか行って将軍様万歳とかいうのを言う奴等だ。その時に威張れるんだったら何でもやる。スターリン時代のソ連市民とか、毛沢東文化大革命期の中国市民とか、北朝鮮市民とかいうのと同じ顔つきだよ、あまり考えてないというさ。とにかくその場でどういった価値観が一番自分が権力とか威信とかに近づくために有利かということだけを計算して、勉強しろって言われたら勉強するし、革命やれといわれたら革命するし、そういうタイプの人たち、すごく要領いい人たち、うまいんだ本当に。俺みたいな不良な人がその後左翼運動に関わるというのは、高校時代不良だったからっていうので分かるんだけどもさ。高校時代優秀な秀才で、俺みたいな奴を「しっしっ不良学生は近くに寄るな」って言ってた奴が、「しっしっプチブル学生はこっちに来るな」ってさ。「えー!、変!」っていうさ。すごく変だった。だからさっきも言ったけど、実はあまり変わってないんだよ。そんなに人間変わらないから。変わってるように見えてても、変わってる表面の下の所に一貫したものがあるんですよ。』( http://www.tatsuru.com/php/phpBB3/viewtopic.php?f=14&t=66
 今、朝日新聞を攻撃している人たちは、「正義は我にあり!」と思っているように見える。朝日新聞も「正義は我にあり!」といってきた。それがあまりに偉そうで尊大であったので、さまざまなミスが露呈してきた途端に一斉攻撃を受けている。しかし、わたくしは「自己が正義に属することを主張することによって、他を批判するのは間違いで、相手が間違っていることは少しも自分が正しいことを証明しない。ひとは正義が何かを知ることのできない有限の能力しか持たない小さな存在であるので、可能なことは個々の主張のあいだでの議論のみである」と思っているので、どうも朝日批判の論をみていると居心地が悪い。
 その批判自体はまことにもっともであると思うのだが、批判しているひとたちがその批判はそのまま自分の論にも適応される可能性があるのではないか? 自分が批判している論理によって、自分のしている論もまた批判される可能性があるのではないか?、という点にほとんど思いをいたしていないように見えることが不思議でもあり、こわくもある。自分は多数派である、よって自分は正しいという論がいやなのである。
 林達夫は「共産主義的人間」で「私は政治について人から宣伝されることも人に宣伝することも好まない。どぎつい政治的宣伝は、たといその中に幾分の正しさを含んでいる際にも私にとってはやりきれない心理的攻撃である。・・これは何よりも人々を激情的風土−「嵐の如き」という共産主義者の好きな形容詞をそれに冠してもよい−のなかに置いて、或る緊急な政治的目的へ向かって突進させ、しかも人々がこのダイナミックの参加者ないしは輝かしい公共的偉業の分担者であるという感覚、いわば情緒的融即にひたらせる点に特徴がある」といっている。
 なんだかいやな激情的風土が形成されつつあるように思えてならない。「危機の構造」で小室直樹が中立の権利ということをいっている。しかし激情的風土は中立であることを認めない。お前はどっちの側だ、という単純な二分法の世界になってしまう。
 「大きな物語」がなくなったのは自分にとって住みやすいいい時代になってきたと思っていたら、またぞろ「大きな物語」が復活してくるのかと思うとなんだか憂鬱である。
 「なんぢの敵を愛せよ、なんぢ自身の徳を完成するために―ひとたびこの矛盾に気づくや、チェーホフの心は執拗にその矛盾に固執した」という文が福田恆存の「チェーホフ」にある。今回の問題の根底にあるのは本当はこのことなのではないかと思う。「チェーホフが敵としてゐたものが明かになった―自己完成、良心、クリスト教道徳、そしてその背後にひそむ選民意識と自我意識」(同)。選民意識は空気を濁らせる。「あなたはりつぱな教養もおありで、とても潔白で、一本気で、ちやんとした主義をおもちですけれども、それがみんな、あなたのいらつしやるところ、どこへでもところきらはず、一種むつとする空気や圧迫感を、なにかひとをとても気まづくさせるやうな、見さげるやうなものをもつていく結果になるのですわ。」(同) たしかに朝日新聞は「一種むつとする空気や圧迫感」をわれわれの世界にもたらしていたように思う。それを批判する人たちは、「美しい日本の心」がそれを浄めるのだというのかもしれない。しかし激情的風土というのもまた空気を汚してしまうのではないかと思う。