今日入手した本
- 作者: 眞嶋亜有
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/07/09
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (10件) を見る
この本は著者にとっての最初の単著であるらしい。まだ最初の内村鑑三のところを読んだだけであるが、いろいろとわたくしの知らなかったことが紹介されている。おもしろそうである。
ただ著者の肩に力が入りすぎているのか、少々文章が硬く、微妙に日本語としてどうかなと思うところもある。たとえば「まえがき」の「身体は目に見える自己である。・・そのため、自他ともに圧倒的な影響力を持ち続けてきた。」 「自他ともに」は「認める」とワンセットで成句として用いるのが普通なのではないだろうか? ここは「自分にとっても他人にとっても、圧倒的な影響力を持つものであり続けてきた」とでもするほうがすわりがいいのではないかと思う。そのようなところが散見する。
それから「あとがき」の末尾、「最後に両親に感謝を述べたい。・・このような最愛の両親とめぐりあえた最大の幸福に感謝し、筆を擱きたい。」 どうもこういうのが苦手である。正直にいうと蕁麻疹がでそうな感じになる。いろいろな本のあとがきによくある「最後に、この本の執筆中、黙々と私を支えてくれた妻の○○子に大きな感謝の意を表して筆を擱きたい」というようなのもみんな駄目で、本を書くというのは公的なことだから、資料を提供してくれた人や編集者に謝意を表するのは少しも問題はないが、家庭内という私的なことを、本という公的な場に持ち込むのはいかがなものかという気がどうしてもしてしまう。孫の写真を誰彼となく見せたがる人に感じる違和感に近い何かだろうか? それに「最愛の両親とめぐりあえた最大の幸福」というのも日本語としてどこかおかしい気がする。
膨大な引用文献から見ても、非常に多くの資料を渉猟した力作であることは間違いなく、最近の日本の一部のひとが中国の人や韓国の人にしめす感情の背後にあるものを考えてみる上でも貴重な視点を提供するものであるのだろうと思う。
読み通すつもりであるが、もう少し刈り込んでコンパクトにできたのではないかという気もする。400頁弱と叢書としては相当に大部の本である。
現代史への試み 喪失の時代 - 唐木順三コレクションI (中公選書)
- 作者: 唐木順三,粕谷一希
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/06/07
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
フロイトとユング――精神分析運動とヨーロッパ知識社会 (岩波現代文庫)
- 作者: 上山安敏
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/09/17
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (5件) を見る
- 作者: 三浦展
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2014/09/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (4件) を見る
子供のころは家の前の道路は砂利道で、それがいつのまにか舗装され、石炭で走っていた?ドアがなくチェーンだけのバス(それにはバスガールというのがのっていて切符を売っていた)にも、いつかドアがつき、ガソリンで走るようになった。ワンマンバスというのをはじめて見たのは高校時代で、奈良に旅行にいったときであったが、どうやって乗るのかわからなかった。などと懐古懐旧をするようになったら人間もうそろそろ終わりなのかもしれないが、著者もちょっと読んだところではかなり懐古的である。わたくしより10歳は若いひとなのだけれど、そういう時代になってきたのだろうか?