堀井憲一郎「1971年の悪霊」(4)

 第8章は「毛沢東文化大革命」を支持していたころ」と題され、「文化大革命」が論じられる。
 わたくしが文化大革命というと思い出すのは、若者たちが自分たちが糾弾する人間に変な帽子を被せて胸に罪状を書いた紙をつけさせて引きまわしている光景と、天安門広場の前で多くの若者たちが赤い「毛沢東語録」を手に手にかざして結集している姿、そして川端康成石川淳安部公房三島由紀夫の四名による「文化大革命に関する声明」である。
 最初の引き回しのような光景から感じたのは、これはリンチなのだなということである。つまり法というものがとっくに機能しなくなっている情景である。天安門広場の群衆から連想したのはナチスドイツ時代にハイル・ヒトラーと叫ぶ群衆であり、北朝鮮で以前におこなわれていた千里馬運動といったのだと記憶しているマス・ゲームである。
 「文化大革命に関する声明」は後の「文学者の反核声明」のときにも感じた「そんなこと言ってどうなるの?」という違和感である。この声明では「学問芸術の自由の圧殺」などということを言っていたが、彼の地では「学問芸術の自由」などというプチブル的価値などは一顧だにしていないことは明らかであると思われたので、そんな安全地帯からの声明が卵一個を投げつけるほどの効果があるとも思えなかった。
この「文化大革命」は現在ではそれを否定的にみる見解が圧倒的多数であると思われるが、それが現在進行形であった当時は特に左側の人たちからは期待をもって熱い視線でみられていたように思う。一時、日本の言論界においてマルクス主義の方向の言論が圧倒的に多数派であったが、それはマルクス主義を立国の原理とすると称する国が実際にソヴィエトという形で存在していたことが極めて大きかったと思う。それは彼方の未来にある理想ではなく、すでに地上で現実のものとなっていたわけである。しかしどうもソヴィエトの方面からきこえてくることには変な話が多くなってきていた。左側のひとが多く当時の文化大革命に期待をよせたのは、そこにすでにソヴィエトでは失われつつあるようにみえる社会主義の理想への追求という姿が熱く見えるように思われたからなのであろう。
堀井氏もいうように「毛沢東は生涯、プロレタリアの味方となり、極左運動を続けようとしていた」のであり、真剣に「中国を、労働者のための国にしようとした」のであろう。永久革命である。
現在では文化大革命は、餓死者が数千万に及んだといわれ大躍進運動の失敗により権力の座を追われた毛沢東がふたたび権力の座に返り咲こうとしておこしたものということが通説になっていると思うが、何のために返り咲こうとしたかといえば、中国を労働者の国にしたいからなのである。そしてその理想の実現のためには数千万の人が死ぬことも厭わないわけであるから、フランス革命の昔から理想を追い求めるひとほど始末に負えないものはないことになる。
堀井氏は、この毛沢東の姿勢が当時の多くの若者をひきつけたという。当時の若者もまた現状を閉塞的と感じていてとにかく破壊したかったから。「我が身をなげうって貧しいもののために戦う」というロマンティシズムが受けた。
このあたりはちょっと異論があるのだが、「我が身をなげうって貧しいもののために戦う」というロマンティシズム、というのがあったのはむしろ六全協あたりまではないのだろうか? 少なくとも、わたくしが渦中にいた1968年前後の印象では、《ひとのため》という姿勢は、そこには《自分がない!》として否定される傾向にあったと思う。だからこそ《自己否定》という言葉が流行した。わたくしは小林秀雄の《ラッキョウの皮むき》などという言葉をすでに知っていて、自己分析とか自己省察といった方向の不毛といった方向の議論にも親しんでいたので、この《自己否定》論には特に魅力を感じなかったが、周囲を見ていると、これは相当な威力を持っているように見えた。だから下放などというのもその文脈で捉えられていたのではないだろうか? 民青系のひとたちがえらく嫌われていたのも、彼らは上(日本共産党)からの命令に従うだけで自分で考えていない!というのが一番大きかったのではないだろうか?
永久革命論というのは、永久に現状を肯定しないということである。永久の自己否定である。それが魅力的だったのではないだろうか?

最終章の第9章は「左翼思想はどこでついていけなくなったか」という題で、堀井氏の個人的な日本の政治へのかかわりというか、その時々でどの政党に共感をよせてきたかが述べられている。わたくしより約10歳下である堀井とではわたくしは随分と違うということを感じる。それはまた別に述べる。
 

1971年の悪霊 (角川新書)

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中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

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新装版 されどわれらが日々 (文春文庫)

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