今日入手した本 谷川俊太郎 山田馨 「ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る」 (ナナロク社 2010年)

 もう10年以上前にでた本だが、まったく知らなかった。偶然、書店でみつけたもの。山田氏は岩波書店の編集者で谷川氏と個人的にも親交のあるひとらしい。
 対話で読みやすいこともあるが、面白く、飛ばし読みであるが、かなりをもう読んでしまった。

 「二十億光年の孤独」とか「ネロ」とか、谷川徹三の息子であるとか豊多摩高校卒で大学はでていないなどということは知っていたが、氏に関心を持つようになったきっかけは大江健三郎の「万延元年のフットボール」(1967年)の第8章の題が、「本当のことを云おうか」(谷川俊太郎『鳥羽』)となっているのをみたときからではないかと思う。
 そしてまた三島由紀夫がどこかの対談で(中村光夫との「対談・人間と文学」だったような気がするが見つからなかった)、この「本当のことを云おうか」というのが日本文学を駄目にしている一番根底にある文言であるといっていたのを読んだことも、さらにこの詩への関心を強くした。

 それで、鳥羽1を全文引いてみる。

何ひとつ書く事はない/ 私の肉体は陽にさらされている/ 私の妻は美しい/ 私の子供たちは健康だ// 本当の事を言おうか/ 詩人のふりはしているが/ 私は詩人ではない// 私は造られそしてここに放置されている/ 岩の間にほら太陽があんなに落ちて/ 海はかえって昏い// この白昼の静寂のほかに/ 君に告げたい事はない/ たとえ君がその国で血を流していようと/ ああこの不変の眩しさ!

 これは1965年に発表されているのだそうだけれど、1968年へと向かう日本の熱気のようなものを反映しているように思う(たとえ君がその国で血を流していようと・・・)。本書では意識的にか「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられたという「死んだ男の残したものは」といったものをふくめ、政治的メッセージの方向の詩はとりあげられていないが、この「鳥羽1」は、自分はそういう外にむかう方向の詩からは距離をおく!という宣言のようにも感じられる。(

 さて、わたくしがその後ふたたび谷川俊太郎に関心を持ったのは、氏が佐野洋子と結婚していたという話をきいた時で、本当にびっくりした。佐野さんというひとは野のひとというか、地に根をはったひとというか、肉体のひとというか、とにかくインテリの正反対のようなひとで、その反対に頭のひとであり、蒼白きインテリの代表のような谷川氏が所詮太刀打ちできるはずがないではないかと思ったので、この結婚がとても不思議だった。
 1993年刊行の「世間知知ラズ」は、冒頭に「父の死」というよくできた詩がある。しかし、大変面白い詩ではあるが、これが谷川徹三の息子という事実がなければ成立しない詩であるところが難しいだと思う。
 さて、次置かれた「世間知ラズ」が問題である。

 私はただかっこういい言葉の蝶々を追いかけただけの
 世間知らずの子ども
 その三つ児の魂は
 人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま
 百へとむかう

 おそらくこの詩を書いたころではないかと思うが、何かの雑誌で、氏が「今度のパートナーは、あなたを真人間にしてあげるってくれるんだ」というようなことを言っているのを読んで、何をやにさがっているんだと思った記憶がある。
 このパートナーとはおそらく佐野洋子さんであろうが、本気で谷川氏を真人間にしてみせると思っていたのであろうと思う。しかし「人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気」でありながら、「人を傷つけたことにも気づかぬ」ことには気がついている」という、どうにも困ったインテリである谷川氏をついに矯正できなったのだと思う。可哀そうな佐野さん!

 その佐野氏に、谷川氏との結婚の前後に書いた「クク氏の結婚、キキ夫人の幸福」というトンデモない二つの短編がある。(朝日文庫2011年)
 こういうのを読むと、もう絶対、女には男は勝てないと思う。
 三島由紀夫によれば、「男は愛についてはまだお猿さんクラスで、愛そのものの意味はわからないが、愛されていることの居心地のよさだけはわかる」のだそうであるが(「第一の性」集英社 1973年)、三度の結婚と三度の離婚が人生における最大の出来事であったらしい谷川氏は、結婚ということを非常にまじめに頭で考えていたようではあるが(一夫一婦制を信じているから結婚したというようなことをいっている「谷川俊太郎の33の質問」ちくま文庫1986年)、しかし何だか頭で考えているだけで、全身で考えているようにはわたくしにはみえないのである。
 この「33の質問」には「なぜ結婚したのですか?」の問いもあって、それに結構みな真面目に苦心惨憺して答えているのが面白いが、和田誠氏が「好きな笑い話を披露してください」という問いにこんな話を披露している。「結婚した頃は、女房を食べてしまいたいとほどかわいいと思いました。いま考えると、あの時食べておけば良かった」

 結婚というのは女の行事であって男はつねに受け身。三島の「第一の性」に北原武夫の「女は愛する存在で、男は愛される存在なんだよ」という言葉が紹介されているが、詩人というのはおそらく家にいても成り立つ仕事なので、会社にでかけた人間なら考えないようなことをついつい考えてしまうのかもしれない。

 完読したら、また何か書くかもしれない。

クク氏の結婚、キキ夫人の幸福 (朝日文庫)

クク氏の結婚、キキ夫人の幸福 (朝日文庫)