池田信夫 与那覇潤 「長い江戸時代のおわり 「まぐれあたりの平和」を失う日本の未来」(6)(最終)第6章 提言 日本の未来も「長期楽観」で (ビジネス社 2022年8月)

 池田:日本学術会議が掲げてきた「大学は軍事研究禁止」の中心は東大。
 ウクライナ戦争で憲法学者も出る幕がなくなった。
 英語では「平和主義」とは「戦わないで降伏する」という意味。かつて森嶋通夫氏が唱えたことがある。相手にされなかったが。
 与那覇:平成にはあらゆる困難な問題が先送りされた 
 池田:平成期の問題は企業が貯蓄して投資しなかったこと。
 これからの日本の問題は「就職氷河期世代」の老後問題。
 与那覇:目標は、「貯蓄しなくとも暮らせる社会を作る」こと
 池田:フィナンシャル・タイムズの東京支局長が平成の長期不況で日本人がすごく悲惨な暮らしをしているかと思って来日したら、街は清潔で、電車も時間通り来る。全然悲惨ではなかった。こういうGDPに現れない日本の豊かさを維持することを目標として、「個人が貯蓄せずに、稼いだを全部消費に回しても、暮らすのに困らない社会」を考える手はあるかも。
 与那覇:例えば日本で不動産購入というとまず中古の住宅は考えない。新築である。
 池田:住宅以外でもライドシェアも脱炭素化に最良。
 与那覇原発の再稼働も問題だが、自分が一番気にするのは外国人労働者の問題。彼ら抜きでは我々のライフラインはもはや保てない。欧州でも移民労働力の問題は大問題になっているが、日本の左翼は江戸時代主義者だから、この問題に腰が引けている。
 池田:欧米から学ぶべきことは、現地語を理解しない移民が「外国出身者だけ」でコミュニティを作ってしまうこと。トランプの背景にあるのもヒスパニックの問題。カタコトの日本語では駄目。日本人と一緒に日常生活ができるレベルの日本語習得を条件にすべき。
 与那覇:もはや中国人は日本を目指していない。現在、来日する外国人労働者ベトナム人が主。
 池田:問題は彼らが母国から親族をよびよせて、日本の保険制度に「ただ乗り」してしまうこと。ミルトン・フリードマンは「自由な移民と福祉国家は両立しない」といった。
 人手不足なのになぜ賃金あがらないのか?については見解が一致しない。一つ、影木s賃金が安いから。「正規雇用者以外は低賃金でいい」という日本型雇用のため。
 北欧型の国家は労働者を守っても企業は救済しない。企業がつぶれても労働者の他の企業への再雇用には国家も組合も全面的に協力する。日本の企業別組合とは違う。
 日本の根本的な問題は「エグジットできない閉じた社会だ」ということに尽きる。
 与那覇:日本ほど「無為にだらだらしにくい社会」はない。「いまは失業して、一時的に組合の世話になっています」という欧州には普通いるひとがいない。あるいは宗族という巨大親族体系がある中国なら「ぶらぶらして金持ちの親戚に依存しています」とか、もまた。
 「だらだらしていて、なにが悪い」という感覚を社会に根付かせることが大事かも。
 「高度成長期」が「長い江戸時代の終わり」となったが、それがグローバル化には進まなかった。地方からのニュー・カマーは「世の中は騙し合い」「人を見たら泥棒と思え」という考えの人から同化を拒まれた。
 池田:立憲民主党共産党はいまだに「鎖国志向」。
 与那覇:令和の日本の課題は「高齢化」と「人口減少」。半ば冗談ですが、私は日本の人口減少社会の理想像は「国際養老院」かなと思うことがある。治安がよく、旅行がしやすく、地方ごとに個性ある食文化があり、都市では世界各国のグルメが食べられる。そういう国で余生を送りたいと思う外国人にどんどん資産を持ち込んで引っ越してもらえばいい。「老後は日本で楽しく」が世界で、憧れられる夢になったら面白い。

 最後の与那覇氏の話は大変面白いと思ったが、問題は言葉だと思う。高齢者がいい年になって日本語を習得することはまず無理だと思う。そうすると英語でのコミュニケーションになると思うが、日本人が英語でのコミュニケーションが近々可能となえるか疑問である。わたくしなど中高で、「お前たちは英語は読めればいい。一生、英語を話すことなどない」といわれて育ったので、読むことだってあやしいが、英語でコンミュニケーションなどとても、とても、である。まあピジン・イングリッシュでもいのだろうが、本当のコミュにケーションにはならないだろう。
 日本がいまのままでのいいのだ、ということが続いてきたがゆえにわれわれの英語の能力も一向に向上してこなかったのだろうが、これからの日本人が生き残るためには英語が必須と考えて、必死に頑張るひとがどれくらいいるだろうか? グローバル化ということで日本の大企業でも公的な会議は英語でというところもあるらしい。一度、そういう場に立ち会ったことがあるが、日本人だけの会でたどたどしい英語で会議しているというのは、実に滑稽というか悲惨というか何ともいえないものであった。国際学会でも日本人の発表はたどたどしい英語ですぐわかるけれども、発表自体はスクリーンに内容が示されるからいいけれども、問題はその後の質疑応答で、質問者の早口の英語がマイクを通すとまったくわからない。日本の学会のように「ただ今の発表まことに感銘いたしました。ただ一点だけお伺いしたいのですが・・」みたいな前振りはなく、いきなり「あなたは昨年の〇〇氏の論文を読んだか?」みたいにはじまるので多くの日本人演者が立ち往生する。

 さて、「ウクライナ戦争で憲法学者も出る幕がなくなった。」
 本当に昨今のテレビを見ていると、憲法を守れなどという学者さんはお呼びではないようで、代わりにでてくるのは、「このミサイルの射程は〇〇で」といった話と「おれがウクライナの司令官だったら、ここを攻める」といった話である。本当に変わったと思う。
 これからの日本の問題は「就職氷河期世代」の老後問題というのはその通りだと思うのだけれども、わたくしの子供などまさにその世代で本当にどうなるのだろう。「だらだらしていて、なにが悪い」という感覚を持つほどずぶとくはないようだし。「日本の根本的な問題は「エグジットできない閉じた社会だ」」であるとしてもはじめから「閉じた社会」には入れなかったので、その周辺を転々としているようであるが・・。

 昔、短期間フィリピンにいったとき、現地に住む日本のひとから、老後はフィリピンに住むのがいいですよ、ここにはまだ敬老精神が残っていますから、といわれた。ただし、だれかを雇うと一族郎党が、みんなそのひとをたよっておしよせてくるのが問題ですが、といっていた。

 外国人労働者の問題:この問題について上野千鶴子さんがどこかで、日本人は移民の扱いが苦手だから、受け入れないほうがいいおいうようなことを言っていたので驚いたことがある。あの上野さんにしてと思った。わからないものである。

 さて、これで終わりであるが、「長い江戸時代」ということについて、もっと正面から論じている本かと思ったので、それがちょっと期待はずれではあった。