わたくしがまだ若いころと今

 わたくしがまだ若いころ、女性は25歳までに結婚しないと行き遅れであるといわれて婚期を逸したとされていた。寿退社という言葉があった。要するに女性は社会・会社の戦力であるとはみなされていなかった。
 わたくしの医学部の同期生で女性は10人(1割)にも満たなかったのではないだろうか? ある外科の医局ではいままで一人の女性も入局させていなかった。その後は流石に女性も入局させるようになってきたが、今度は(暗に?)メスを握らせないようにしているという噂が聞こえてきた。
 いまでは男女の雇用は平等でなければいけないことになっているが、昔の雇用習慣の名残か会社構成員構成比ではまだまだ男性が圧倒的に多い。いまでも入社式のテレビ報道では男性がまだまだ多いのではないだろうか?
 ある女性の産婦人科医がいっていたが、夜、患者の急変などで呼び出されると、「行かないで」と泣き叫ぶ子供を蹴飛ばしてドアを閉めて家を出てくるのだそうである。その間、ご主人は知らん顔?
 男女雇用の平等ということが言われるようになった。わたくしにわからないのが、もしそのような男女平等の社会が実現し、父親と母親が平等に育児に関わるようになった時、子供が父親と母親に平等になつくようになるだろうか?ということである。あらゆる動物において、子供を産むのが牝にしか出来ないのは当然であるとして、育児もまた牝の役割であるということになっているようである。牝が子供を育て雄が食べ物を集めてくる。
 男女雇用平等ということは、生物学的な差異を人間においては社会的な制度のよって乗り越えることが出来るかという大問題への挑戦なのだと思う。
 昔どこかで聞いた話で、女性の君主が政治をバリバリとやっていたが結婚し子どもができると、政治などというつまらないことをなぜしていたのだろう、育児のほうが何倍も楽しいのに!といったというのがある。もちろんこれは男がでっちあげた話なのであろうが。
 昔からのおとぎ話には「どこからか王子様が」というものがとても多い。シンデレラ等々・・。ハーレクイン・ロマンスももそう。これを書いているのも男? そのような社会で女性が男性と伍して活躍していくということは男性の何倍もの努力を要するはずである。
 昔どこかで聞いた話だが、「今度きみはどこへ転勤してもらうことになった」というような辞令は、上長から「今日ちょっと飲まないか?」と誘われた席で聴かされるのだそうで、会社の公式の場で初めてきいたということは一回もないのだそうである。
 日本は会社という公式の場と酒の席という非公式の場の二つの場があるということが男女雇用平等の実現を難しくしているのではないかと思う。
 「俺の目をみろ。何にもいうな。黙って俺について来い!」などというのは男同士の間でしか言われないものだと思う。将来は「わたしの目をみて何にもいわないで。黙ってわたしについて来て!」という時代が来るのだろうか?
 日本の会社は基本的にやくざの世界なのではないだろうか? やくざの世界もいずれ「男女雇用平等」で男女半々になるのだろうか? やくざの世界は「男女雇用平等法」が適応されるような公的な世界ではなく私的団体であるので男女平等というようなことは問題にはならないのだろうか? むかし「ゴッドファーザー」という映画があったが、いづれ「ゴッドマーザー」という映画もできるのだろうか?
 日本の会社がまだまだ終身雇用の色彩が強いのは、就職が「一宿一飯の恩義」とか「盃を交わす」というようなこととどこかで結びついているからではないだろうか? そして女性は「一宿一飯の恩義」とか「盃を交わす」とかという言葉にはピンとこない存在ではないかと思う。とすれば、終身雇用を壊していくのも女性なのかもしれない。
 日本の会社が本音では「一宿一飯の恩義」とか「盃を交わす」という意識を持つことを構成員に求めていることが終身雇用ということなのではないだろうか? 就職するときには、就職にかんするたくさんの書類がかわされるはずであるが、そんなものを読んだことのあるひとはほとんどいないそうである。わたくしの場合は「きみ、いつから来られる? じゃあ〇月☓日から」だけだったような気がする。その日、事務のかたが沢山の書き物をもってきたと思うが、読んだ記憶はまったくない。
 病院勤めをはじめてしばらくして、あるひとから「会社員になったのだから転勤もあるんだろ?」といわれ、えっと思い、病院長に転勤もあるんですか?とききにいったら、「そんなこと、もっと偉くならなきゃないよ」といわれて安心した記憶がある。世間知らずというのも困ったものである。