谷沢永一「人間通」と最近のマスコミの報道の姿勢
大分古い本だが、谷沢永一氏に「人間通」という本がある。1995年に新潮選書として刊行され、2008年に増補版が刊行されている。
わたくしは「まごころ」などというものをいまだに信じている古い人間なので、ここで谷沢氏が述べている様々な日本で生きるためのノウハウやテクニックの効用を今一つ信じることができない。氏はいう。「人間が最終的に欲することは『世に理解されること』である。「理解され認められれば」誰でも勇躍して励む、と。では誰に「理解され認められたい」のか? 自分に指示を与える人間であり、また同僚なのだそうである。能力はあるのに不遇な人がいる。そういう人をみると親友がいないことが多いと谷沢氏はいう。
自負心と野心は紙一重なのであるが、その野心を隠してくれるのが「可愛げ」なのだそうである。とはいっても可愛げは天性のものなのかもしれない。でも誰でも目指せるのもある。それが律儀、と。
さて以下が本題にかかわるのだが、谷沢氏は「一夫一婦制は外に代替案がないため存続している建て前に過ぎない」という。だから、当然のこととして、不倫は人類の歴史において常にみられてきた。そうであれば、性の問題を口実に人を叩き落す醜い嫉妬心もまた人類史で常にみられてきた。
昔々、北村透谷が「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり」とかいったらしい。こういう恋愛至上主義が近代日本の多くの男女を苦しめたと谷沢氏はいう。
さらに氏はいう。人間はいつも僻んでいて、他人がうまくやっているのが許せない。だから、政治家も経営者も芸能人も、世の有名人は、性的放縦が見つかると、集中砲火を受けることを避けることはできない、と。
最近のマスコミの報道をみているとつくづくそうなのだと思う。
さて以下は、山崎正和氏の戯曲「おう エロイーズ!」(新潮社 1972)からの引用。
《ときに、1118年。この年はまた、人間の心の歴史にとって記念すべき年だったといえるかもしれない。なぜなら人類はこのアベラ―ルとエロイーズによって、初めて純粋な男女の愛というものを知ったと考えられるからである。・・・これを口実にしてひとは社会に叛き、親子を裏切り、ときに夫婦のきずなを断ってなお良心の咎めを免れる。この不思議な言葉を人類が知ったのが、思えば1118年であった。》
さらにこの戯曲の中でエロイーズはこんなことも言う。《正しいことなら、誰でもが一緒にするわ。まちがいを一緒に犯すふたりこそ、本当に特別なふたりなのじゃないかしら。》
女のひとにこんなことを言われたら怖い。男はこんなことは言わないと思う。恋愛においては積極的なのは常に女。男は受け身、というのがわたくしの持つ偏見であるが、女は個人の関係に生きている。男は社会関係の中で生きている。だからそうなるのだと思っている。しかし、女もまた社会関係の中で生きる時代になってくると、恋愛なんかつまらないと感じ出すのだろうか? 「いやな渡世だなあ!」というのは座頭市だったか?
この方面のことについては、権威である吉行淳之介氏の「春夏秋冬 女は怖い なんにもわるいことしないのに」(光文社 1989)もご参照下さい。怖い話が満載です。(古い本だからもう入手不可能かもしれないが・・、と思い、今しらべたら、光文社知恵の森文庫から出ていた。kindleで読めるらしい。
いつのまにか、谷沢永一さんがどこかにいってしまった。多謝。