与那覇潤「繰り返されたルネサンス期の狂乱」(「Voice」令和3年2月号」

 与那覇潤さんが、雑誌「Voice」2月号に、「繰り返されたルネサンス期の狂乱」という稿を寄せている。
氏はいう。2020年最大のテーマは「知性の敗北」であった。私たちがこの知の惨状を乗り越えるために必要なのは、無責任な「未来図のプレゼン」との決別である。このままでは、2020年は後世には「知性」への信頼を完全に崩壊させた一年として記憶されるだろう、という。
 1957年にはアジア風邪のパンデミックで200万人、1968年の香港風邪のパンデミックでは100万人の死者がでている。そういう事実があるにもかかわらず(現在までのところ新型コロナウイルスでの死者は昨年末までで150万人超)、1918年のスペイン風邪(死者1億人)とのみ比較して危険性を誇張して日本のメディアは過剰対応を煽った。
 特に目新しいことではないはずの今回の新型コロナウイルス感染パンデミックがもたらした衝撃は、近代以降長く続いてきた「先進国神話」が崩れたことにあるという。自由と人権を尊重するはずの欧州諸国が再三ロックダウンを強行したにもかかわらず、膨大な死者を出したのと対照的に、中国や周辺の途上国では相対的に軽微な被害ですんでいる。

 昨年以来、専門家はさまざまな提言をしてきているが、専門家への信頼は失われていくばかりである。アメリカでは敗北したとはいえ、トランプ氏があれだけの票を集めた。

 さて与那覇氏の本論のタイトルは「繰り返されたルネサンス期の狂乱」となっている。なぜここにルネッサンスがでてくるのか? それは本論が大きく依拠しているのが中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」(1979年)であるからである。
 中井氏によれば、ルネッサンスあるいは大航海時代以前にグローバル化していたのはモンゴル帝国や中国やイスラムとその商人達であって、ヨーロッパは後進地域であった。それが逆転する契機となったのが「アメリカ大陸の発見」だった。新大陸の銀が空前の資本力を欧州にもたらすが、それは同時に社会を流動化させた。胡散臭い「ルネサンス官僚」がパトロン達に様々な勝ち抜き策を提示した。
 その提言がうまくいかないときは、それを邪魔する裏切りもの、さらには悪魔がいるからだとした。それが魔女狩りのルーツとなったと中井氏はいっている。それと同時に当時のヨーロッパ人よりはるかに豊かな知識をもっていたイスラム教徒やユダヤ人も排斥されていった。

 与那覇氏は、このルネッサンス期の混乱が目下の世界情勢に似ているという。「私だけが解決策を知っている」と自称する《有識者》が跋扈し、移民排斥やレイシズムの機運が高まって、学者や知識人が存在感を失っていく。その典型、現代における胡散臭い「ルネサンス官僚」がたとえばトランプ政権のバノン氏であるという。
 現在進行している変動の根にあり、ルネッサンス期の「アメリカ大陸の発見」に相当するものが「中国の発見」であると与那覇氏はいう。「世界の工場」でありなおかつ「世界最大の消費市場」というフロンティアの発見である。中国には前近代的な零細企業から、ファーウェイのような欧米並みのモダンな企業、さらにはもっと進んだIT産業までがすべてそろっており、中国に注文すれば、世界最安値で何でも手にはいることになった。だが、西欧では当然デフレという弊害が出現し、製造業は衰退して、あとには口先ばかりの虚業家だけが残ることになった。
 しかし、歴史をそういう大きな目で見通すマクロヒストリーは日本ではきわめて脆弱である。そのため陰謀論が跳梁跋扈することになる。
あることを予言し、その通りになれば、自分のおかげ」、ならなければ「俺のいうことをきかない国民のせい」といった知性の片鱗もない議論がまかり通っている。
 今、知性の行使がきわめて悲惨な状況に陥っていることを自覚すること、われわれはそこから出発するしかないと与那覇氏はいう。

 与那覇氏がここで参照して議論のバックボーンとした中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」はとにかくとんでもない本である。
みすず書房版の「西欧精神医学背景史」の「あとがき」に中井氏が、「(執筆時)私は一種の物狂いの状態であったにちがいない」とあるのは掛け値なしに本当のことなのではないかと思う。
 わたくしがこの中井氏の本で一番印象に残っているが「森」と「平野」の対立という見取り図である。「森に二十歩はいれば(権力から)完全に自由であった。」
 あるいはまた西欧知識人を支配する「無垢なる少女の神話」の話。(「野ばら」「ファウスト」・・)
 つまりわれわれが知っている(あるいは親しいものとして感じている)西欧は「西欧の平野」の明るい部分だけなのであって、「森」の奥の暗い部分ではないのでないかということである。たとえば、わたくしにはハイデガーという人がどうしても平野の人とは思えない。森のひとである。
 啓蒙主義というのは典型的な平野の思想なのではないかと思うが、「浪漫主義」というのはそれでは「森の思想」であるといえるのだろうか? あるいはアポロンディオニューソスという問題。

 わたくしはポパーの信者なので、未来を予想することは不可能であると思っている。あることを予想して、それが違っていれば、その事実を受け入れて考えを修正すればいい。ポパーフロイトの思想を、あるいはマルクスの思想を、どのようなことがおきようとすべて自説が正しいとできてしまうという点で科学ではないとしている。
 マルクスの予言は間違ったし、ケインズもまた自分の孫の世代になったら経済問題などはなくなっているだろうというようなことをいっていたらしい。

 現在日本の医療供給体制の不備がさまざまに批判されているけれども、昨年のイタリアもそうだったが、これからの少子高齢化の進行に対応するために(要するに税収が先細りになる未来に備えて)、病床配置を計画してきた結果が今であり、新型コロナウイルス感染が広がることなどだれも予想をしていなかったわけだから、そして1~2年というような短時間で病床の配置を大きく変えることなど不可能なのであるから、現在、なんでこうなった、責任者をだせというようなことを言っても、意味がないのではないかと思う。
 あらゆることには対策があるはずだ、それができていないとすれば誰かの怠慢であり、その人を糾弾しなくてはいけないのだという考え方自体が問題なのだと思うけれど、それは一般的ではないらしい。
 わたくしは20歳を過ぎてからは一貫して西欧の明るい部分、啓蒙の西欧の信者であり続けてきたけれども、まさかそろそろ後期高齢者になろうとする今になって、「暗い西欧」が跋扈する時代に遭遇するだろうなどということは予想さえしていなかった。
これが一時的なものなのか、長期にわたる変化の開始期にたまたま遭遇しているのかはわからない。いずれにしても、もともと積極的に発言するとかは性に合わない人間なので、今まで通りで通すしかないのだが。

Voice 2021年2月号

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  • 発売日: 2021/01/19
  • メディア: Kindle
西欧精神医学背景史 【新装版】

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身内と余所者

 
 今のアメリカの騒擾を見ていると、わたくしのような団塊の世代には既視感があって、どうしても60年安保のことを思い出してしまう。その時にも、全学連を中心とした人たちは国会敷地内に入り込んだはずである(議事堂内にははいらなかった。入れなかった?)。その乱入をきっかけに、それまで学生たちの運動を心情的に応援しているようにみえたマスコミは掌を返すように「議会制度を守れ」などというようになった。

 もっと最近では68年の騒動である。学生たちは、線路に敷きつめられた石をとっては機動隊に投げていた。パリでも同じようなことがおこなわれていた。これまた、マスコミは心情的にそれを応援していた。

 両者の背景には《前衛》という思想、目覚めた少数者が世を動かしていくべきという考えがあった。(今でも、日本共産党の月刊の機関紙は「前衛」というタイトルであるはずである。)
 目覚めた学生・労働者たちは、地域のしがらみでいつも自民党に投票しているような意識の低いひとたちとは自分達は根本的に違い、深くものを考える人間なのだから、その自分達の考えや行動は当然尊重されるべきであるという思いがそこには存在してした。つまり、議会主義などというのは一向に尊重はされていなかった。

 わたくしの前半生というか2/3半生には、まだ共産主義国家というのが現実の国家として存在した。それが崩壊したのが1991年、今から約30年前である。その時には心底驚いたものである。あの軍事大国がこんなにも簡単に自壊するものだろうかと思った。自分が生きている間に地上からソヴィエト国家が消失することがあるなどとは想像さえしていなかったのである。

 いまだに中華人民共和国はあり、朝鮮民主主義人民共和国も存在し、中国共産党朝鮮労働党も存在する、しかし中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国がこれから日本の向かうべき方向であると考えているひとは、われわれのまわりにはまずいないように思われる。

 現在のアメリカをみると、アメリカは白人が建国した国であり、したがってこれからも白人が主導する国家であり続けなければいけないと確信している人間が非常に多数存在しているようにみえる。
 その人たちからみれば、今のアメリカの現状は根本的に間違っている、あるいは間違った方向に進もうとしているということになる。だから、その間違った方向が選挙で過半数の人間によって支持されたとしても、それが間違っていることには少しも変わりがないことになる。つまりそのような問題は根源的な問題であって、多数決などということで方向が決まるなどということはありえない。

 最近のコロナ騒動で問題になっているビジネス往来というのは実はその過半が技能研修生というような名前で呼ばれている日本の底辺の単純労働を支えている、主として東南アジアからの労働力に関することであるらしい。
 現在すでに低賃金で働く彼等の存在なしには日本の多くの産業現場あるいは農業の現場は回らなくなっているらしい。

 日本の少子化の急激な進行をみれば、これは今後それはますます急速に進行することは明白である。しかし、ほとんどの日本人はその問題から目を背けていて(たとえばビジネス往来などという美名)、正面から見ることをせず、議論しようともしない。

 むかし何かで上野千鶴子さんが、「日本は移民を受けいれるべきではない、日本人は移民への対応がきわめて苦手で稚拙であるから」といったようなことを言っているのをみて、あの上野さんがと意外に思ってことがある。

 現在は技能実習生というのは移民ではなく、ある期間日本にいてまた帰国している、しかし、そんなことでは追いつかなくなって、本格的に移民をうけいらなくてはならなくなった時、日本人はどのような態度をとるだろうか?

 すでにヨーロッパでは多くの国で、移民の労働力なしには経済がまわっていかなくなってきているらしい。

 日本がまだ遠い将来かもしれないが、移民をうけいれ、やがてそれが日本の人口の過半数をしめるようになったとき、日本人は一体、どのような反応を示すだろうか? 「日本人 ファースト!」というようなことを言い出すだろうか? その時点では、移民もまた日本人となっているはずなのだが、3代前まで日本人であった人間のみが本当の日本人! それ以外は日本人とは認めないとかいい出すのだろうか?(トランプ大統領の「アメリカ、ファースト!」というのを、多くの白人は「白人、ファースト!」ときいていると思う。)

 自分達が正しいと信じることほど恐ろしいことはない。
 かつては何が正しいかは《政治に関する理論》が決めると信じているひとがたくさんいて、それが数々の悲劇を生んできた。
 しかし最近では《思想》や《理論》の威力はめっきりと低下して、その代わりに《自分達》と《余所者》の峻別という、人間が農業を開始する以前の狩猟採集時代にすでにわれわれの遺伝子に組み込まれたと思われる行動原理が前面にでてきている。余所者が自動的に《砂かけ婆あ》(栗本慎一郎さんの用語)に見えてしまう、《自分達》と《あいつら》が峻別されてしまうという実に厄介な心理である。

 いままでわれわれは、18世紀の啓蒙思想に由来する西欧由来の価値観をなんとなく深く考えることもなく、正しいものとして受け入れてきた。たとえば、《民主主義》。
 それが問われようとしている。第一次世界大戦第二次世界大戦などの戦乱があるごとに、それはその命脈がたたれるのではないかと思われながらも、何故か現在までしぶとく生き残ってきた。
 だからわたくしも、今はいかに形勢が悪いようにみえても、それは生き残って、またいずれ思想のメイン・ストリートに戻ってくるだろうと思っている。それだけが人を人として遇することを可能にする唯一の行き方であると思うからである。
 しかし、啓蒙思想とは他者への寛容を説くものであるから、他者を否定することが主潮になっている時代においてはきわめて旗色が悪い。
 寛容は不寛容を寛容するか? というのは昔から延々と議論が続いている命題である。しかしながら、わたくしは不寛容と敢然とたたかうといった方面は生来苦手で、傍観者というのが自分の立ち位置であると思っている。
 できることは、ぼちぼちと感想を書いていくことくらいである。

 しかし、それにしても、今のアメリカでおきているような事態が、わたくしが生きている間に西欧世界でおきるとは、想像もしていなかった。
 人間というのは過去を解釈することは得意であっても、未来を予見することはいたって苦手な生き物であることを強く感じる。過去についての解釈はいくらでもできても、それは未来の予見には少しも結びつかないのである。

アメリカ南部

 現在、入院中なので、普段と違い、蔵書などを参照できない環境で書いている。それで、持ち込んだ本を読むしかない状況で、たまたま持ってきたピンカーの「人間の本性を考える 心は空白の石板か」(NHKブックス 2004年)を読んでいる。
以前読んだ時にはそれほど感じなかったのだが、いかにもインテリさんが書いた本である。この本は「人間の心は、遺伝的に決定される部分と文化的に決定される部分の複合である」ということを啓蒙しようとするものである。
 「そんなことは当たり前ではないか」と思うひとも多いかもしれないが、たとえば「男女の違いはもっぱら文化的に形成される」という考えは広く流布していて、親が子供の性別によって男の子はかくあるべし、女の子はかくあるべし、という思いで育てるから(女の子にはお人形さんを、男の子には玩具の機関車を!)現在普通にみられる男女の差が生まれるので、男女差といわれるものはもっぱら文化的な産物で、後天的に形成されるのであるという考えは広く流布しているのではないかと思う。
 あるいはこれは日本ではあまり受け入れないかもしれないが、「人間が今のようであるのは神様がそのように造ったからである」という考えは西欧ではまだまだ根強いのかもしれない。(アメリカでは「聖書の創世記を信じているものが76%いるそうである。」
 ピンカーさんはそれには明確に反対の立場なので、それで啓蒙のために本書を書いたのであろうが、何しろ最初からロック、ホッブス、ルソーである。あるいはデカルト、ライルである。
 本論の最初の10ページにそういう名前が次々に出てくるのだから、インテリさん以外はまず読み続ける意欲を失ってしまうだろうと思う。

 しかし、今回、考えてみたいのは、本書の最終第6章「種の声 五つの文学作品から」でとりあげられているマーク・トウェインの「ハックルベリ・フィンの冒険」についていわれる「『名誉の文化』が暴力を引き起こす」という部分である。ピンカーはこのトウェインの小説が「南北戦争前の南部の欠点と人間本性の欠点」を示しているのだという。
 特に「名誉の文化のなかに生まれる暴力」。それは名誉の心理から生じるもので、血縁者への忠誠、復讐の渇望、タフで勇敢だという評判を維持しようとする動因がひとまとめになった感情であり、これが増幅されやすい地域の一つがアメリカ南部である、という。
 昔、三島由紀夫の「第一の性」を読んでいたときに、《男は負けるものか、負けるものか》という原理で動いているということが動いているということが書いてあって、伊丹十三もまったく同じようなことを書いていた(「男たちよ! 女たちよ! 子供たちよ!」?)
 これをよく覚えているのは、「本当かなあ?」と思ったからで、自分はどうしてもそう思っているとは思えからである。谷沢永一「人間通」を読んだときにも同じことを感じた。「隣の蔵建ちゃ、儂腹が立つ」とか「隣の貧乏、密の味」とか、あの「紙つぶて」を書いた谷沢さんがこんなことを考えていたのかと驚いた。人間ってもう少し崇高なものではないかな、というような感じである。
 もっともわたくしは男性性が相当に乏しい人間だと思っているので、普通並みの男性度であれば、「負けるものか! 負けるものか!」というのが当然なのだろうか?
 ピンカーはこういう心理はヤノマモ族にもみられると書いているし、ゴリラなど様々な動物にもみられるとされている。しかし、アメリカ南部にも色濃くみられるという。

 今、こんなことを書いているのは、トランプ大統領の言動の背後に、また熱狂的なトランプ支持者の行動の背後に、この心理がみられるのではないかと思うからである。
 今、未読の「ハックルベリ―・・・」を取り寄せているので、読んだらまた感想を書くかもしれない。

人間通 (新潮選書)

人間通 (新潮選書)

岡田 暁生「音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日」

 本書の大部分は昨年の4月から5月にかけて、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてコンサートなどが次々に中止になっていった時期に書かれたということである。(最終章のみは6月後半)
 著者はいわゆるクラシックの分野での評論に長年たずさわってきたかたである。
 副題に「《第九》が歌えなくなった日」とあるが、これは本書の執筆時期での感想であって、昨年末にはÑ饗の「第九」の演奏会もおこなわれていた(ただし、かなり規模を縮小したオーケストラと従前の半分以下のコーラスというかなり中途半端な編成であった)。また今年のウィーンフィルのニュウ・イヤー・コンサートは聴衆なしで行われていた。これは世界中への放映があらかじめ契約されていたであろうと思われるので、ホールに聴衆がいようといまいと、確実にその演奏を映像を通じてリアルタイムに(あるいは録画で)聴く(見る)ひとが何万・何十万といるということがわかっていたということがあってやった、あるいはやらざるをえないということだったのかもしれない。東京オリンピックを無観客でもやるというようなものかもしれない。聴衆からの拍手がないラデッキー行進曲というのも奇妙なものであった。
 本書のかなりは《第九》(あるいは第五「運命」)をめぐる考察で占められている。岡田氏は「実はわたし自身も昔から《第九》は苦手だった」と書いている。ここでの「自身も」の《も》は、「《第九》に押しつけがましさを感じる人も少なくはないだろう」というその直前のセンテンスを受けてのものである。
 第九交響曲は当初構想されていた二つの交響曲を一つにしたものといわれている。現在の第三楽章までにオケのみの第四楽章がつくものと、合唱をふくむ別の構想の交響曲を一つにしたらしい。当初構想されたオケのみ交響曲の第4楽章のテーマは他の弦楽四重奏曲に転用されている。
 第九交響曲というのは第一から第三までの楽章が実によくできているとわたくしは思うので(たとえば冒頭の空虚5度、第三楽章の二つのテーマによる変奏曲・・)、第四楽章になって、とってつけたように、それまでの楽章を否定していくというやりからは、そこまでの音楽を聴いていた聴衆に対して礼儀に悖るのではないかと思う(その点、ははるかに「運命」のほうが構成が純一である)。

 ベートーベンはかなり若いときから「シラーの歓喜によせて」に曲をつけることを構想していたらしい。もしも弦楽四重奏に転用されたテーマによる終楽章による第九番目の交響曲というものができていたら、これはどちらからというと晩年のピアノ・ソナタ弦楽四重奏の方向の交響曲になっていたのではないかと思う。
 しかしベートーベンには晩年の沈思黙考路線とは別に、人々をアジテートして説教したいという欲求もあり、それが若年時の「悲愴」ソナタから英雄交響曲、さらに運命へと結実したわけであるが、晩年までその欲求が消えることがなかったことが、「第九」交響曲(4楽章)や「荘厳ミサ」などにつながったのだろうと思う。

 わたくしはもしも西洋の歴史上、後世に一番大きな影響を与えた人物というのを選ぶとしたらベートーベンではないかと思っている。もしもベートーベンがいなかったら、いわゆるクラシック音楽というのは、現在ではすでに古典芸能となっていたのではないかと思う。
 そしてベートーベンによってかろうじて生き延びてきたクラシック音楽も現在、古典芸能化する危機の瀬戸際にきているのではないかと思う。
 おそらく現在、クラシック分野の評論家といわれるようなひとで、西洋古典音楽は現在、存亡の危機に立たされているのではないかという意識を持っていないひとはまずいないるはずで、岡田氏の音楽批評の根底にもつねにそれがあるはずである。
そのクラシック音楽の危機を白日のもとにさらすことになったのが、今回の新型コロナウイルス感染であったわけで、本書の執筆の動機もそこにあるものと思われる。
 要するに現在においても西洋古典音楽を聴くことはわれわれにとってまだリアルなものであり続けているかという問いである。

 ベートーベンが後世に残した最大のものはロマン主義という問題であって(ブラームスシューマンシューベルトマーラーブルックナー・・・)、もっと広くいえばフランス革命後の西洋(とそこにおける個人)という問題である。
一人一人の人間にかけがえのない価値があるという考え方はフランス革命後に広まったものであり、(少なくとも若い時の)ベートーベンはその最大の扇動者の一人であったわけである。
 そしてわれわれは音楽以外にもう一つ、個人が有する価値の発見の形式として小説というものをもっている。これまた西欧由来のものであるが、少なからぬひとがまた小説という形式もまたその役割を終えつつあると感じているのではないかと思う。

 現在、西欧クラシック音楽が直面している問題の根にあるのは上記のようなものであると思うが、それに対する岡田氏の回答はかなり混乱しているように見える。
 そもそも西洋古典音楽を愛好するのでなければ、氏が音楽評論という立ち位置をえらずぶはずがない。氏はその愛するものが滅びることがあってほしくないと思っているが、現在クラシック音楽のコンサートに通っているひとのほとんどはそのような危機意識は抱いていないわけで、その点で氏はクラシック音楽愛好家のなかでもすでに少数派である。
 コンサートに通うひとの大部分は単にクラシック音楽が好きなだけなのだが、岡田氏はもちろんクラシック音楽が好きであるとしても、(それ以上に?)クラシック音楽とその運命について考えるのが好きなのである。

 本書に縷々説かれるように、クラシック音楽のコンサートは西欧近代市民社会の成立と不可分なものである。
 それで、今回のコロナ禍のように人が密に集まることが忌避されて、コンサートを開くこと自体が自明のものとはいえなくなると、それが直ちに西欧の黄昏という方向の話と結びついてくることになる。

 今われわれはここ何十年か(何百年か?)信じてきた(西欧近代由来の)価値観を根底から揺さぶられる事態に直面している(これを書いている時点で、アメリカ議会に群衆が乱入しているという報道がなされている)。
それはコロナ禍によって促進されているものではあると思うが、イギリスのEU離脱などはそれ以前から進行しいたわけで、明らかに“西欧民主主義”への何度目かの懐疑にわれわれは直面しててる。おそらく両次世界大戦で経験した幻滅がようやく癒えてきたと思われる時期がどこかにあったはずなのに、現在は明らかにそれがまた失われようとしている。

 だから第九を能天気に演奏する、歌うなどということが、何か空々しく感じられるようになってきているということがある。

 しかし人間には「祭り」への志向あって、別に本気で信じていないものでも神輿に担いで騒ぎたいということもあるので「、第九」を歌っているひとが、あるいは演奏しているひとが必ずしもシラーの「喜びによせて」の歌詞の意味内容に共感しているというわけではないはずである。要するにみんなで集って騒ぎたいという本能?の発散である。 

 もちろん、そういうことは岡田氏も百も承知なのであるが、 なにしろ沢山のことを知っている人であるから、アドルノの第九批判とか、流浪の民としての音楽家とか様々な議論が動く。

 さらに音楽の専門家であるから、上部倍音の話とか、カタストロフの予言の曲として「春の祭典」とか、ヘリコプター弦楽四重奏とか一部好事家にか通じないような話が延々と続く。
わたくしにはヘリコプター弦楽四重奏などというのは「思いつき一発」というだけのもので、それ自体で価値があるものとは思えないのだが・・。

 後のほうにでてくるミニマル・ミュージックなどについての議論も、そもそもそれを好んで聴くひとがどれだけいるだろうと思う。一部のマニアックな人間だけではないかと思う。

 つまり「第九」という非常にポピュラーな音楽の議論がいつの間にかごくわずかの好事家しか知らない聴かない曲の話へと移ってしまうわけで、教養が邪魔をするというか、あまりに沢山のことを知りすぎていて、それがかえって骨太の議論をできなくさせているように思う。

 第一章 「社会にとって音楽とは何かー「聖と俗」の共生関係」。
 何だか「言語にとって美とは何か」を思わせるタイトルである。大袈裟すぎないだろうか? 
 近代市民社会は「文化」と「非文化」を峻別してきたが、本来、芸術と芸能は地続きであって、人々が肩をよせあて集うという「三密空間」での人々の営みをその基盤としているのであり、コロナ騒ぎは、その根底を問うものとなったということが論じられる。しかし、西洋古典音楽はその一方で、孤独な音楽という方向も育んできたはずで、すでに晩年のベートーベンの音楽にその明らかな萌芽がみられる。
 そして西洋音楽マニアというのはマニアになればなるほど、「非文化」に根をもつ「3密」の傾向の音楽より、孤独な音楽のほうへと向かう傾向があり(人々の音楽から自分個人の音楽へ)、そのことが一人で自分でピアノを弾く、あるいは仲間と合奏をする、あるいは部屋で一人録音された音楽をきくという音楽享受の方向をすすめてきた。それがグレン・グールドのような音楽家を生み出したのであろうと思う。
 ライブの音楽と放送されたものあるいは録音されたものを一人で聞くという二方向化の問題である。

 小説を読むという行為は一人でやるものである。みんなで集まって本を読むなどというのは本道からはずれている。今度のコロナ禍でも、小説や詩を読む行為はほとんど影響されていないはずであり、岡田氏が本書を執筆し出版し、わたくしがそれを読むことを阻害するものは何もない。

 第二章「音楽家の役割についてー聞こえない音を聴くということ」
 音楽とは世界の気配をいちはやく察知する「予感」に最大の機能があるということがいわれる。(炭鉱のカナリア
たとえばストラビンスキーの「春の祭典」が第一次世界大戦のカタストロフを予感したものであったといったことがいわれる。そういうことであれば、まず中期までのベートーベンの音楽は西欧市民社会の勃興を誰にでもわかるように明示したものである。
ここではウェーベルンの作品が示す第一次世界大戦の予感といったことが論じられるが、そもそも今日、ウェーベルンの音楽がどのくらい演奏され、どのくらいのひとに聴かれるのだろうか? これはクラシック音楽好事家のための音楽である。こういう話題が一般書にでてくるところが知識人としての岡田氏の持つ問題を示しているのだろうと思う。

 第三章 音楽の「適正距離」 メディアの発達と「録楽」
 音楽には「ライブ音楽」と「録楽」という全く違う別々の二種類の音楽がある。録音された音楽は音楽ではないという主張が紹介される。そしてジャズの即興演奏などが論じられのだが、ジャズの即興演奏もまた録音されるので、いまひとつ論旨がはっきりしない。

 《間奏》 非常時下の音楽 ― 第一次世界大戦の場合
 第一次大戦勃発当初、闘いにはなんの役にもたたないものと音楽はみなされたが、戦争が長引くにつれ、戦意高揚、あるいは単にひとびとを慰めるものとしても不可欠なものとされるようになっていたことが述べられる。
これは今後、コロナ禍が長期化したときに予想される事態ではないかと岡田氏はしている(但し、3密を避けるという問題はある。

 第4章 《第九》のリミット ― 凱歌の時間図式
第九(あるいは第五)の音楽様式は暗がりから光の世界へという近代市民社会のヴィジョンそのものである。それがコロナ禍によって自明のものではなくなってきている。とすれば、われわれは近代とはなんであったかを再検討することがせまられていることになる。われわれの世界が右肩上がりでよくなっていくというヴィジョンそこが第九(第五)が示しているものである。今、その自明性に再検討が迫られている。実はベートーベンは晩年のピアノ・ソナタなどですでに自分でそれをおこなっているのだが・・。
 ここで岡田氏の話はショスタコーヴィッチにうつる。
 わたくしはショスタコーヴィッチについて、スターリン体制下で生きたことは彼自身にとっては大変な不幸であったと思うが、もしその体制の強制がなく自由に音楽をつくれたとしたら非常に才気煥発な前衛音楽家でおわったのではないかと思っている。体制との軋轢があったからこそ、今のわれわれが知るショスタコーヴィッチの音楽が残ったのであり、作曲家が何をしているかについて権力の側がまったく関心をもたなかったであろう状況下で生きた西側の作曲家より(それで結局ある時期の西側の作曲家は今日のわれわれが聴くに値する作品をほとんど残していない。
 単に作曲家としての才能がベートーベンより劣るとしてもショスタコーヴィッチは同時代の作曲家よりも十全に自分の才能を発揮することができたのではないかと思う。
 ここで岡田氏はフルトヴェングラーの第九演奏に言及して特にその第3楽章を賞賛し、第九は公共圏に訴える要素ばかりではなく親密圏にもまた訴える要素をもっているからこそ傑作なのだという。(ショスタコーヴィッチの音楽は一見公共圏に訴えるものでありながら、実際にはほとんど親密圏への訴えでできているように思うのはわたしだけなのだろうか? だからこそ今でも演奏され聴かれるのではないだろうか?

 第5章 音楽が終わるとき ― 時間モデルの諸類系
 われわれがいまだに右肩上がりの時間モデルから縁を切れないのは《音楽》に一つの原因があるのではないかと岡田氏はいう。
 それほど音楽に力があるのだろうかとわたくしは思う。

 第6章 新たな音楽を求めて ― 「ズレ」と向き合う
 ここで論じたれるのは、ラ・モンテ・ヤングとかリゲティとかアンドリーセンとかライリーとかほとんどリゲティ以外ほとんど聞いたことのない作曲家の話で、ベートーベンと対比させるのは根本的に無理があるのではないかと感じた。

 終章 場の更新 ― 音楽の原点を探して
 今のコンサートホールは教室の空間であるのでそれを更新しなければならないということがいわれる。しかしホールをもっとも必要としているのは19世紀につくられたクラシック音楽である。なかでもオケと合唱。

 岡田氏はあまりにたくさんのことを知りすぎているのだと思う。それで議論がどんどんと拡散していく。

 つまりいくら「第九」を批判してもフルトヴェングラー「第九」には感動してしまう人である。
 一方で西欧近代のいきづまりということも身をもって感じているわけで、大きな方向として今時、能天気に「第九」にナイーブに感動しているひとには違和感と禁じえない。しかし、本当の本物の音楽を近代批判の文脈の中で捨て去ってしなうのもしのびない。それで議論が揺れるのだろうと思う。
 第二次大戦後、前衛音楽といわれる大量の無機的音楽が作曲されたのは、大戦で音楽が戦意高揚に使われたことへの反省からであるといわれている。絶対にひとを感動させない音楽、その大部分はもうまったく残っていない。
 ある作曲科の学生がいっていた。「ブーレーズの曲は、楽譜をみたら本当に美しいんですよ。」 でも演奏したら? たぶんああいう音楽というのは頭できく音楽なのである。
 昔、昔、どこかでブーレーズの「主のない槌」の演奏をきいたことがある。みんな神妙な顔をしてきいていた。

公衆衛生 魔法の弾丸 新型コロナ

 今年は新型コロナウイルスで明け暮れた一年だったけれども、これは公衆衛生の果たす役割を改めて見直すことになった一年でもあったのではないかと思う。
 医療関係者には周知のことである1848年のゼンメルワイスによる手洗いの励行が産褥熱を劇的に減らしたという事実は、これがまだ病原菌も知られておらず、もちろん抗生物質もなかった時代における最善の感染症対策を示したわけである。
 しかし1928年のペニシリンという魔法の弾丸の発見(実用化はそれからさらに15年くらいしてからであるが)は病気の直接の原因を叩くというきわめてわかりやすい疾患への対応のやりかたをわれわれに示したわけで、またわれわれが抱く科学のイメージにもよく合致するものであったため、それ以来、病気になれば薬をのめばいいというかたちでの医療のイメージが、医療者の側にも患者さんの側にも浸透していくことになったのだろうと思う。
 特に江戸時代には医師は薬師と呼ばれていた日本では、もともと薬信仰が強かったため一層それが強かったかもしれない。
今回、新型コロナウイルス感染拡大により、マスク・手洗いなどという近年ではあまり重視されていなかった前近代的とも思えるやりかたがあらためて提案されて多くのひとが面食らっているのだと思う。
 わたくしのように医療の側にいる人間にとっても、今年、手足口病の流行がきわめて少なかったこと、現在すでに12月末であるのにインフルエンザの症例がまだほとんど見られていないことなど、面食らう事態がおきている。
 それがもしもマスク手洗いといったことの励行の結果であるとすれば、魔法の弾丸をわれわれが手にして以来のわれわれが抱く医療のイメージに大きな転換をせまる事態がおきていることになるのかもしれない。
 しかし、どこかで研究が進んでいるはずの新薬がもしも新型コロナウイルス自体の増殖を劇的に抑える効果があることが明らかになれば、マスクや手洗いなどはまたどこかに忘れて、かりにコロナウイルスに感染しても薬をのんでなおせばいいや、という方向にまたもどっていくのではないかと思う。
 われわれは何か問題がおきれば、それへの対策がどこかにあるはずであると考えることにすっかり慣れている。もしも洪水がおきればそれに備えるダムをつくらなかった人間が非難される。しかしあらゆる大雨にも大雪にもすべて可能な対策があるはずであるというのは人知に対する明らかな過信であるはずである。
 だから今は地球温暖化が諸悪の根源であるといった方向に議論がいき、温室効果ガスの排出を抑制するにはどうしたらいいかという対策でいろいろな提案がされている。最近のレジ袋の廃止というのも風がふけば桶屋が儲かるといった論理のつながりで、それを目的にして施工された施策らしい。
 今年のはじめにアフリカのほうでバッタだったかの大量発生で大変なことになっているという報道があったが、その後、どうなったのだろう。ブラジルやアメリかの山火事も。
 どこかで、われわれの周囲から昆虫がへりつつあるという報道を聞いたことがある。もちろん、昆虫がいなくなれば植物の受粉もなくなり、われわれも生きていけなくなる。
 どこかで今われわれが想像もしていないことがおきて、われわれの生活に根源的な変化を迫るという事態はいつ何時おきるかわからない。
 今回の新型コロナウイルスの流行は、そのことへの警鐘を鳴らしているのかもしれない。

Books&Apps

 先月のはじめごろ、ティネクト株式会社の安達さんという方からメールがあり、その会社のBooks&Apps というメディアに何か書きませんか、という話だった。
 寡聞にして、そのメディアについてはまったく知らなかったが、何回かやりとりの後、ためしにこんなものでいいですか?と,、短い文を提出したところ、
そういうのでいいです、ということになったので、これからしばらく月に1~2回なにか、そこにも書いていくことになると思う。

 このBooks&Apps というメディアは主に働いている方をターゲットにしているようで、仕事をしていく上で生じてくる様々な問題や悩みなどについて意見を交換するような場になっているようである。わたくしのようにもう半分現役を降りている人間の話が何かの役に立つのかはなはな心もとないが、比較的公的な文はそこに、書物についての私的な感想などはここに書くという住み分けで、しばらくやっていくことになるかと思う。
 最近、ただでさえ書く頻度が減ってきているので、書き分けるとなるとさらにアップする頻度が減るかもしれないが、とりあえずの報告です。

三島由紀夫 没後50年

 最近、書店にゆくと三島由紀夫関係の本が目立つなと思っていたら、今年は没後50年ということらしい。
 もっとも多いといってもやや目立つ程度であるから、三島もかなり忘れられた作家になりつつあるということでもあるのかもしれない。
 没後50年に敬意を表して「中央公論特別編集 彼女たちの三島由紀夫」という本(雑誌?)を買ってきた。「執筆者 対談相手は女性に限る(除く中村勘三郎)。三島の発言も「婦人公論」から採録」、という方針で作られたものである。まだパラパラと見ただけであるが、湯浅あつ子氏(「鏡子の家」の鏡子のモデルとされる方であるらしい)の「三島由紀夫の青春時代」という文章が哀切であった。
 三島が死んだ日のことはよく覚えている。医学部1年生で、例によって午前の講義はさぼって、午後からの実習にでるために昼頃、学食に入ったら、そこのテレビに「「盾の会」隊員自衛隊に乱入。三島由紀夫自殺」というテロップが流れていた。最初に思ったのは、自衛隊に乱入したのは「盾の会」の一部会員で、三島はその報をきいて、自宅で自殺したのだろうというようなことであった。しかしテレビをみていると、どうも「自衛隊に乱入した人間の中に三島もいるようである。それで思ったのが、三島が世間をからかう遊びとして作った「盾の会」の隊員が「先生、立ちましょう!」などと真顔で蜂起をせまってくる。「どうも、困ったものだ。しかし、自分が作った以上、責任がある」ということでつきあったというようなことであった。
 わたくしが三島を読んでいることを知っていた同じクラスの民青の活動家が「キミ、三島の気持ちわかる?」などときいてきた。「どうも、命と暮らしを守る、などといっている人間には、人が責任をとって死を選ぶ場合もあるということがわからないのかな?」などといささか優越した気分になった。
 いずれにしても、わたくしも三島が本気で死んだとはまったく思っていないわけである。おそらくその当時のひとのほとんどがそう思っていただろうように、わたくしも「知性の人三島由紀夫が、反=知性の極北のような「天皇陛下万歳」などということを真剣に信じている」とはいささかも思ってはいなかったわけである。(今でも、そう思うところが残っていないわけではない。)
 しかし、家にかえって夕刊を見てみるとどうも変である。事件の当日朝、新潮社のひとに「新潮」に連載していた「豊穣の海」最終巻の「天人五衰」の結尾の原稿を渡していたと書いてある。「女々しいじゃないか! 三島は最後まで文学を捨てられなかったのだ!」そう思った。それに「天人五衰」はその年の4月から「新潮」に連載がはじまったばかりである。半年で結末にいたるというのも信じがたい。
 実は「天人五衰」の連載がはじまったその年の4月の「新潮」を本屋で立ち読みして、「何か変だな?」とは思っていた。まず題名が予告されていた「月蝕」とは違っていた。また最終巻は「豊穣の海」の狂言回しである本多繁邦が4人目の転生者を探す話であったはずなのに、いきなり転生者とおぼしき人間が出てくる。しかもそれが何とも安っぽい人間で、安永透というなんとも作者の愛情が感じられない名前になっている。変だ、変だ、とは思ったが、作者が構想を変えるというのはよくあることなので、それ以上は深く考えなかった。(「豊穣の海」は第三巻「暁の寺」から変調をきたしていて、転生者で主人公であるはずの「月光姫」にはほとんど存在感がなく、狂言回しであるはずの本多繁邦が主人公になってしまい、その本多さんは覗きなどをはじめ、観察者への嫌悪、行動しない人間への軽蔑という主題が前面にでてきて「春の雪」「奔馬」とのバランスを大きく欠くことになっていた。)
 後から考えると、70年安保がほとんど何事もなく、平穏に終わってしまったことが、すべてを狂わせてしまったのであろう。1970年の東京が大騒乱になり、左翼勢力から天皇制(といっても日本国憲法に規定された天皇制ではなく(などてすめろぎはひととなりたまひし)、日本の文化の精髄を体現する存在としての天皇)を守るために「盾の会」を率いて斬り死にする、という計画が崩れ、死に場所がなくなってしまった。それであのようなわざとらしい大袈裟な舞台装置をしつらえるしかなくなった、ということなのだと思っている。晩年の三島は文学にすっかり愛想をつかして、「実」への志向に急傾斜していったのであろう。
 そうなってしまったのは、三島が東大法学部を出たのがいけない、というのがわたくしの抱いている仮説である。文学部を出ればああいうことにはならなかったと思う。東大法学部卒業生は日本の官僚制度の中心にいて日本を動かしている(三島も短期間、大蔵省勤務)。しかし自分は東大法学部を出ているのに結局、文学などという「虚業」に携わっているという劣等感にずっとさいなまれていたのではないかと思う。
 それと、有田八郎との「宴のあと」裁判に負けたというのも大きいのではないだろうか? 東大法学部を出ているのに三島は裁判に負けたといって世間は自分を笑っているのではないかといういわれのない思いからも逃れられなかったのではないだろうか?
 湯浅あつ子氏の文「三島由紀夫の青春時代」で、湯浅氏は三島のことを「運動神経皆無」と評している(そして、からっきし喧嘩ができない、とも)。同類であるわたくしとしては大変うれしいが、ボディビルなど無駄な抵抗をせずに、運命を甘受すればよかったのである。わたくしはスクワットなどを一所懸命にやっている老人をみると、「ケッツ」と思うのであるが、そんなことをいっているわたくしは万一もっと長生きしたら寝たきり老人になること必定である。
 三島はもしも長生きしたら、谷崎潤一郎ではなく永井荷風のようになることを非常におそれていたのだそうである。長生きした三島由紀夫という仮定で書かれた松浦寿輝の「不可能」という素敵に面白い小説がある(2011年講談社)。「三島由紀夫吉田健一になる」というのがこの本への三浦雅士氏の評であるが、三島はある時期まで藤原定家を主人公にした小説を書くというプランをもっていたそうである。「紅旗征戎吾事に非ず」という方向への傾斜もまたずっと持っていたのであろう。それを断念したころから、切死にという方向へ一直線に傾斜していったのであろう。
 上野千鶴子小倉千加子富岡多恵子の鼎談「男流文学論」では、三島もとりあげられている。そこで富岡多恵子が「三島は結婚がいやだから死んだ」という説を開陳している。「要するに、たかをくくっていたわけよ。結婚ぐらいできる、と。・・結婚はやっぱり、そんななめたものじゃない。彼はなめてかかっていたのとちがいますか。なめてかかった。ところがそれがなめてかかって済むことではなかった。かれにとってなかなかたいしたものだった。」 上野千鶴子は口をとがらせて反論しているが、これを見ると上野千鶴子は完全な女・三島由紀夫である。というか、完全に男である。人生を自分の知性で完全にコントロール下におけると思っている人である。
 橋本治の「「三島由紀夫」とは何ものだったのか」は、三島を「塔のなかの王子様」と評している。自分は塔のなかに閉じこもっているから安全であり、誰にも自分の内面に踏み込むことはさせない。自分は自分をわかっている。しかし他人が自分の内面に踏み込んでくることだけは絶対にさせない。橋本治は、これは日本の近代知識人のもつ共通の病弊であると思っていて、その典型を三島にみているわけである。自分は奥さんを完全に理解している。しかし、奥さんには自分の内面には絶対に立ち入らせない。三島はそれができると思って結婚した。しかしそうは問屋がおろさなかったというのが富岡説である。
 まったく偶然であるが、わたくしは三島夫人の瑤子さんと面識を持ったことある。たまたま父君の杉山寧氏を看取ることになったという縁による。杉山家のかたがたを見て、芸術一家というのもなかなか大変なものだと思った。(三島の死後もう20年以上たった時点で、受け持ち医として短期間かかわっただけの縁に過ぎないが、)少なくともその時の瑤子氏はオカルトのひとという印象であった。三島があのような死に方をしたことによって、そういう方向にいったのだろうか? 杉山氏は、生没が同一の日になっているが、これは死亡宣告をいつの時点とするかは医者の特権であることにもよる。杉山家、なかでも瑤子氏の希望によるものだったように記憶している。わずか数日の接触ではあったが、三島由紀夫もなかなか大変だったろうなあ、と思った。
 ということもあって、わたくしは富岡説に強く共感するのであろう。
 飯島耕一の「川と河」という詩に、「彼(三島由紀夫)は 正月の元旦のような気分が 一年中 ほしかったのだろう あわれな男。」という一節がある。  
 「彼女たちの三島由紀夫」にも収載されている倉橋由美子の「英雄の死」という文章に、「三島氏が楯の会の青年たちと風呂にはいっているときその他の、要するに文学以外のことをしているときの顔は、四十代の男の顔とは思えぬ晴朗さで輝いていて、曇りのない眼というような形容はこの三島氏の眼に使わなければならない」とあるのもこのことを言っているのであろう。
 三島氏が、時々、珠玉の短編を書くだけで生きていけるマイナー・ポエットの立ち位置でいられたら、あのような死はなかったであろう。しかし「鏡子の家」の不評の後、ふたたび文芸誌連載へと戻らなければいけなかった氏にはそれは叶わないことであったのだろう。
「永すぎた春」とか「美徳のよろめき」とか「美しい星」とかいった小説を書くことで生きていければよかったのに・・。
 小説の衰微がいわれて久しい。小説は小人の説であり、市井の渺たる個人にもその内面には神話の英雄にも比すべきドラマがあるという信念がそれを支えている。しかし、集団と集団が対立し、「あいつはアカだ!」というような粗雑な言葉がまかり通るようになれば、小説の命脈が断たれるのも時間の問題であるのかもしれない。あと20年もすれば三島由紀夫の名も忘れられ、小説という形式さえ過去のものということになっているかもしれない。
 

不可能

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