東京の街並み

 最近わけあって散歩をする機会がふえている。それで近所を散策してみて感じたことを少し書いてみる。
 一言でいうとまことにつまらない街だなあということである。
 ヨーロッパにいっていつも驚くのが、街並みがとても整然としていることである。皆、似たような建物で屋根の色も一緒、全体としての街並みというものがある。最近、日本では同調圧力ということが言われているが、ヨーロッパでは家を建てるに際し、同調圧力のようなものが働くのだろうか?

 わたくしが住んでいるのは杉並だが、おそらく前に住んでいたひとの土地が2等分、3等分されて、そこにほぼ似ているが微妙に異なる家が二棟・三棟建てられている。完全に同じならまだある種の美ができるかもしれないが、微妙に自己主張しているので統一性は感じられない。壁は合板というのだろうか、木とか土は使われていない。おそらくそういうところに住んでいると自然への希求が生じるのであろう、花などが小さな庭に植えられている。

 ヨーロッパの街にみられる自分たちが住んでいる町を残しておきたいという意思のようなものが少しも感じられない何か殺伐とした街並みなのである。

コロナ・ワクチン2回目

3週間前に一回目を打ったので13日に二回目の接種をした。一回目は注射部位の疼痛程度くらいであったが、今回はやや倦怠感があったが軽微であった。これで10日前後たてばほぼ高率に抗体ができてくるはずである。

 外来でも高齢の方がようやく予約がとれたとか、何回電話したもつながらなかった、という話題の対応に多くの時間を割くことになってきた。予約がとれて明日が一回目なのだが、まだ打とうかやめようか迷っているというひともいた。インフルエンザ・ワクチンのときにはそういうことはなかったから、テレビが不安を煽りすぎているように思う。
 予想通り、問診票の「主治医はワクチンを打ってもいいと言っていますか?」の項目についての質問も多く当面対応が大変そうである。
 各自治体で対応が異なるので、質問されても答えられないことも多い。
 制度設計がうまくいっていないことを強く感じる。ワクチンの入荷量がすくないのが原因なので仕方がない面もあるのだろうが・・・。

新聞がおかしくなってきている?

 新聞といってもわたくしがとっているのが朝日新聞であるので、それへの感想である。

 最近やたらと広告が多くなってきているなあという印象があったので、本日の朝刊を調べてみた。
 2面通しの広告が一つ、全面広告五つ。その一つはコロナワクチンについての政府の広報だから厳密には広告とはいえないかもしれないが。
 28面の新聞の内7面が広告であるので1/4が広告のみ。他にテレビ番組表が1面。ラジオ番組表が1面。今日は日曜なのでないが、他の曜日では虫眼鏡が必要となる細かい活字で印刷された株式欄が1面ある。
全面広告、2面通しの広告は、美容品、(健康にいい)ベッド、(足の筋肉を鍛える)健康器具、(健康食用の調理器具)、そしてコロナワクチンについての政府広報。驚くことに健康に関するものばかりである。日本人は健康だけにしか関心がなくなってなっているのだろうか? 
医者はサプリメントとか健康食品とかを否定的にみる傾向があるが、わたくしがみても本当に効果があるのかなあと思うものばかりである。

朝日新聞ではかなり以前から夕刊の一面は時事的な報道ではなく、もっと一般的な話題を掲載するようになっている。要するにその記事は相当前から用意しておけるものなので紙面づくりが楽なのであろう。
わたくしなどは、これはいずれ夕刊を廃止するための準備なのではないかと思っているのだが、要するに部数減少ともあいまって新聞の報道機関・言論機関としての役割について自信がもてなくなってきていて、それでも潰れないために広告収入を確保することを優先し、いささか胡散臭いように見えるようなものでも掲載し、その合間をとりあえず従来型の朝日岩波路線の記事で埋めていくことでなんとか新聞としての体面を保っているのではないだろうか?
それでも朝日新聞社は膨大な不動産を所有していて不動産屋としても食べていけるらしいが、毎日新聞などももっと悲惨で、公明新聞の印刷を引き受けることでかろうじて生き延びているというような話を聞いたことがある。
新聞の契約の更新のたびに、販売店から何かもってくる。
わたくしの年代では新聞を読むのが習慣になっているので、惰性で今でも継続しているが(だから高齢者むけの健康に関する広告が増えるのであろう)、新聞社の命脈はわれわれの世代がいなくなると尽きてしまうのではないだろうか?

コロナ・ワクチンの接種

医療者の特権で2週間前に第一回の接種を受け、来週に二回目を受ける予定である。
 少なくとも、第一回目ではほとんど副作用はでなかった。(接種の翌日に接種部の軽い痛みがあった程度。)

 接種の前に予診票にいろいろ書かねばならないところがあるのだが、自宅にクーポン券が届く前に第一回目を受けたので、予診票の右上にあるクーポン貼付の欄は無視したし、「現在、何らかの病気にかかって、治療「(投薬など)を受けていますか。」もまた無視した。そして、その下にある「その病気を診てもらっている医師に今日の予防接種を受けてよいと言われましたか。」も無視したのだが、連休が明けた今日、やたらと患者さんからの「わたしは受けてもいいでしょうか?」という電話が(あるいは今日外来受診した患者さんからは直接聞かれた)がかかってきていささか閉口した。連休明けというのはただでさえ外来患者が多いのに、コロナ・ワクチンが高齢者に少しずつ接種の具体的予定が決まってきたことも関係しているのだろうと思う。
 これからワクチン接種が軌道に乗ってくると、「わたくしは受けて大丈夫でしょうか?」という問い合わせの電話がどんどんと増えてくるだろうと思う。
 接種の場所には医師がいて問診などを担当しているはずであるが、その場合、主治医が打っても受けても大丈夫といった患者さんが問診担当の医師から受けないほうがいいと言われたとか、その逆のケースも時々でてくるであろうと思う。
 その場合、どちらの見解を優先するとかのルールが決まっているのだろうか?
 今、外来をやっていて、もともと通院しているもとの病気の診療より、「先生、わたくしはワクチン打っても大丈夫ですか?」という質問への対応に多くの時間をとられることが多い。
 とにかく、大きな枠組みとか、こういう場合にはこう対応するというフロー・チャートのようなものがまったく見えない。
 すべて現場で判断して下さい、という丸投げでは、接種が軌道に乗ってくると、様々なところで予期しない問題が次々とでてくるのではないかと心配である。

 今日入手した本 谷川俊太郎 山田馨 「ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る」 (ナナロク社 2010年)

 もう10年以上前にでた本だが、まったく知らなかった。偶然、書店でみつけたもの。山田氏は岩波書店の編集者で谷川氏と個人的にも親交のあるひとらしい。
 対話で読みやすいこともあるが、面白く、飛ばし読みであるが、かなりをもう読んでしまった。

 「二十億光年の孤独」とか「ネロ」とか、谷川徹三の息子であるとか豊多摩高校卒で大学はでていないなどということは知っていたが、氏に関心を持つようになったきっかけは大江健三郎の「万延元年のフットボール」(1967年)の第8章の題が、「本当のことを云おうか」(谷川俊太郎『鳥羽』)となっているのをみたときからではないかと思う。
 そしてまた三島由紀夫がどこかの対談で(中村光夫との「対談・人間と文学」だったような気がするが見つからなかった)、この「本当のことを云おうか」というのが日本文学を駄目にしている一番根底にある文言であるといっていたのを読んだことも、さらにこの詩への関心を強くした。

 それで、鳥羽1を全文引いてみる。

何ひとつ書く事はない/ 私の肉体は陽にさらされている/ 私の妻は美しい/ 私の子供たちは健康だ// 本当の事を言おうか/ 詩人のふりはしているが/ 私は詩人ではない// 私は造られそしてここに放置されている/ 岩の間にほら太陽があんなに落ちて/ 海はかえって昏い// この白昼の静寂のほかに/ 君に告げたい事はない/ たとえ君がその国で血を流していようと/ ああこの不変の眩しさ!

 これは1965年に発表されているのだそうだけれど、1968年へと向かう日本の熱気のようなものを反映しているように思う(たとえ君がその国で血を流していようと・・・)。本書では意識的にか「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられたという「死んだ男の残したものは」といったものをふくめ、政治的メッセージの方向の詩はとりあげられていないが、この「鳥羽1」は、自分はそういう外にむかう方向の詩からは距離をおく!という宣言のようにも感じられる。(

 さて、わたくしがその後ふたたび谷川俊太郎に関心を持ったのは、氏が佐野洋子と結婚していたという話をきいた時で、本当にびっくりした。佐野さんというひとは野のひとというか、地に根をはったひとというか、肉体のひとというか、とにかくインテリの正反対のようなひとで、その反対に頭のひとであり、蒼白きインテリの代表のような谷川氏が所詮太刀打ちできるはずがないではないかと思ったので、この結婚がとても不思議だった。
 1993年刊行の「世間知知ラズ」は、冒頭に「父の死」というよくできた詩がある。しかし、大変面白い詩ではあるが、これが谷川徹三の息子という事実がなければ成立しない詩であるところが難しいだと思う。
 さて、次置かれた「世間知ラズ」が問題である。

 私はただかっこういい言葉の蝶々を追いかけただけの
 世間知らずの子ども
 その三つ児の魂は
 人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま
 百へとむかう

 おそらくこの詩を書いたころではないかと思うが、何かの雑誌で、氏が「今度のパートナーは、あなたを真人間にしてあげるってくれるんだ」というようなことを言っているのを読んで、何をやにさがっているんだと思った記憶がある。
 このパートナーとはおそらく佐野洋子さんであろうが、本気で谷川氏を真人間にしてみせると思っていたのであろうと思う。しかし「人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気」でありながら、「人を傷つけたことにも気づかぬ」ことには気がついている」という、どうにも困ったインテリである谷川氏をついに矯正できなったのだと思う。可哀そうな佐野さん!

 その佐野氏に、谷川氏との結婚の前後に書いた「クク氏の結婚、キキ夫人の幸福」というトンデモない二つの短編がある。(朝日文庫2011年)
 こういうのを読むと、もう絶対、女には男は勝てないと思う。
 三島由紀夫によれば、「男は愛についてはまだお猿さんクラスで、愛そのものの意味はわからないが、愛されていることの居心地のよさだけはわかる」のだそうであるが(「第一の性」集英社 1973年)、三度の結婚と三度の離婚が人生における最大の出来事であったらしい谷川氏は、結婚ということを非常にまじめに頭で考えていたようではあるが(一夫一婦制を信じているから結婚したというようなことをいっている「谷川俊太郎の33の質問」ちくま文庫1986年)、しかし何だか頭で考えているだけで、全身で考えているようにはわたくしにはみえないのである。
 この「33の質問」には「なぜ結婚したのですか?」の問いもあって、それに結構みな真面目に苦心惨憺して答えているのが面白いが、和田誠氏が「好きな笑い話を披露してください」という問いにこんな話を披露している。「結婚した頃は、女房を食べてしまいたいとほどかわいいと思いました。いま考えると、あの時食べておけば良かった」

 結婚というのは女の行事であって男はつねに受け身。三島の「第一の性」に北原武夫の「女は愛する存在で、男は愛される存在なんだよ」という言葉が紹介されているが、詩人というのはおそらく家にいても成り立つ仕事なので、会社にでかけた人間なら考えないようなことをついつい考えてしまうのかもしれない。

 完読したら、また何か書くかもしれない。

クク氏の結婚、キキ夫人の幸福 (朝日文庫)

クク氏の結婚、キキ夫人の幸福 (朝日文庫)

今日 入手した本 若松英輔「霧の彼方 須賀敦子」 集英社 2020年6月

 新聞で紹介されていたので購入したのだが、パラパラと見た印象ではわたくしにはどうも苦手な方向の本のようである。明確にカトリック教徒としての須賀氏を論じた本のようで、「霊性」とか「霊と肉の相克」とか「キリスト者」とかとかいった言葉にあふれている。
 わたくしの考えでは、信仰というのは神(あるいは何らかの超越者)のほうが人間をつかまえることによって始まるのであって、人間のほうが頭で(理性で)考えて信仰にはいるなどというのは全部邪道であると思っている。
 神秘体験というのは神が人をつかまえにくる一つの典型的な形であろう。
 だからキリスト教でいえば、カトリックのほうが本物であってプロテスタントは贋者であるというのがわたくしの抱いている偏見である。キリスト教文学といわれてものの中でもまともなのはカトリック信仰を持つものが書いたもので、プロテスタント信仰を持つ作家が書いたものには碌なものがないというのもまたわたくしが持つ偏見である。

 須賀氏の著作をそれほど読んでいるわけではないが、氏がコルシア書店の運動に参画したのは須賀氏の持つカトリック信仰によるのであろうが、そしてコルシア書店の運動というのがカトリック信仰を持つものが行う運動の中でもかなり片寄ったものであったように思われるが、氏はただ信じていたのであって、氏の著作には氏がした活動については書かれていても、神学論争的な記載は見られなかったように思う。
 われわれが氏の著作に接して感じるのは、ある種の静謐さとでもいったもので(しかし、直接氏に接したひとが須賀氏の車の運転をまるでイタリア人のような乱暴な運転だったと書いていたから、日常生活は静謐とは正反対の人だったようだが)、その静謐をもたらしたものが氏のカトリック信仰であったとしても、それは何もカトリック信仰を持つものでなければ得られないということはないはずである。

 わたくしは二十台の半ばから、吉田健一を自分の神輿として担いできたが、その吉田氏は反カトリック(あるいはそれに類するもの)の闘士であったのだと思っている。
 「重要なのはギボンにキリスト教といふものが一種の狂気にしか見えなかつたことである。・・・古代に属する人間にとつてキリスト教は明らかに狂気の沙汰である他なかつたのであり、その狂気が十数世紀も続いたならばヨオロツパがヨオロツパであるには古代の理性が均衡の回復を図らねばならかつた。」 「ヨオロツパの世紀末」第3章
 「冬の朝が晴れてゐれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日といふ水のように流れるものに洗はれてゐるのを見てゐるうちに時間がたつて行く。どの位の時間がたつかといふのではなくてただ確実にたつて行くので長いのでも短いのでもなくてそれが時間といふものなのなのである。」 「時間」書き出し
 「本当を言ふと、酒飲みといふのはいつまでも酒が飲んでゐたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどといふのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、といふのが常識で、自分の生活の営みを含めた世界の動きはその間どうなるのかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の営みはその間止まつてゐればいいのである。」 「酒宴」
 「兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上がったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を通すことを願うのは人間である所以に敵っている。」 「私の食物誌」の「東京のおせち」

 最初の「ヨオロツパの世紀末」からの引用を除けば、どこがアンチ・カトリックかということになるかもしれないが、大事なのは精神がこちこちにならないことで、信仰をもつものはしばしば、そのこちこちになりがちであるようにわたくしは感じているからで、その非「こちこち」を表している文章をいくつか例示したつもりである。

 この本の著者の若松氏もまたこちこちへの傾向を少なからず持つ人のように感じる。
本書も須賀氏を論じるというより、須賀氏の書作を論じることを通じて自分のカトリック観の正しさを主張しているように思える箇所が多くみられる。
わたくしから見ると、人が神について論じること自体が人と神が対等の立場に立つ神を神とも思わぬ冒瀆的な行為であるように思うのだが・・・。

 そういうことでパラパラとめくってはみたが、これからきちっと通読することはないかもしれない。

霧の彼方 須賀敦子

霧の彼方 須賀敦子

今日入手した本 布施英利「養老孟子入門」ちくま新書 2021年3月

  著者の布施氏は養老さんのお弟子さんのような方なのだろうと思う。最初氏のことを知った時に、東京芸大出身の人が何で東大解剖学の助手をしているのかなと不思議に思ったのと、変わった髪型の人だなと思ったことを覚えている。
 氏は美術という文系から解剖学という理系に越境してきた人なのだろうと思うが、養老孟司というひとは解剖学という理系から文系への越境を図った人である。
 理系と文系の対立というのは、S.P.スノーの「二つの文化と科学革命」以来一向に解決していない大きな問題だと思うが、わたくしが養老氏に抱く興味も氏がその双方に二股をかけている人という点にあるように思う。
 わたくしが最初に読んだ養老氏の本は1985年の「ヒトの見方」でその第一刷をもっているからもう40年近く前からのお付き合いである。東大解剖学の教授が変な本を書いているという噂が流れてきて、それで読んでみることにしたのだと記憶している。おかげで書棚には60冊をこえる養老さんの本があった(対談本などをふくむ)。

 「ヒトの見方」で印象に残っているのは「あとがき」の「「この先まだ頑張るつもり」というところと「いわゆる自然科学の文章を、日本語で表記したいという気持ち」という部分である。多分、その実践例として「トガリネズミからみた世界」と「ネズミのヒゲと脳」「わが始祖、食虫類に魅せられて」という3つの論文?も収載されている。
 「自然科学の文章を、日本語で表記したい」というのは実際には(狭義の)学者であることを放棄することに等しいようにわたくしには思われたので、そんなことを東大解剖学教室の教授がして大丈夫なのかなと思った。
 その後、氏は実に多くの文章を書いているが、それは「いわゆる自然科学の文章」では無く、メタ自然科学というかあるいは自然科学とは何かという方向のものであり、さらにはおそらく文系の論と分類されるであろう現代の人間が志向している方向への批判(「「都市主義」の限界」など)に向かっているように思う。

 わたくしは「バカの壁」以降の養老氏の氏はちょっと緩んできているのではないかと思っているのだが(参勤交代の勧めとか)、布施氏は養老氏の思考は一貫して進展してきているとしているようである。
 これを参照して改めて養老氏の本をまとめて読み返してみようかと思う。