ウクライナ大統領と「虞美人草」

 漱石の「虞美人草」は漱石朝日新聞社に移っての第一作なので、張り切りすぎたのであろう、美文調過剰の小説で「春はものゝ旬になり易き京の町を、七條から一條迄横に貫ぬいて、烟る柳の間から、温き水打つ白き布を、高野川の磧に数へ盡くして、長々と北にうねる路を、大方は二里餘りも来たら、山は自ずから左右に逼つて、脚下に奔る・・・」(漱石全集)といった調子でとても読む気がせず、巻頭以外は読んでいなかった。
 それでこの小説についての知識はもっぱら吉本隆明氏の「夏目漱石を読む」(筑摩書房2002)からの知識による。吉本氏もこの小説は美文調かつ講談調でとても優れたものとは言えないが、一箇所、「文学の初源性」ともいうべき非常に素晴らしい箇所があり、それ故、この小説がとても優れたものになっているとしている。

 宗近君はじっと甲野さんを見た。
「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や阿父(おやじ)のためはとにかく、糸公のために来てやってくれ。」
「糸公のために?」
「糸公は君の知己だよ。御叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値(ねうち)を解している。君の胸の中を知り抜いている。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。糸公は金が一文もなくっても堕落する気遣のない女だ。・・・(吉本氏の本からの引用。「漱石全集」とは大分字などが違う。)

 宗近君は学業不振の冴えない青年である。しかし、ここへきてすっと背丈が伸びる、そして一世一代の大演説をぶつ。
 人間というのは、ある時、急に背が高くなる時があって、それがあるから人間というのは捨てたものではないのかもしれない。
 なんでこんなことを書いているのかというと、ひょっとすると今回のウクライナの事態でゼレンスキー大統領にも同じようなことが起きたのではないかというようなことを思いついたからである。
 とにかくウクライナという国は汚職がありとあらゆるところに蔓延していて、ほとんど国家の体もなさないような酷い状態であったらしい。そこに大統領になったのがコメディアンあがりの、映画でたまたま大統領役を演じたというだけの人間である。ロシアから見ていれば、あんな国やあんな大統領、戦車を少し多く並べて威嚇するだけで直ちに降伏するだろうし、大統領は尻尾を巻いて逃げ出すだろうと考えていたとしても、少しも不思議ではない。
 ゼレンスキー氏は以前から秘めていた信条をここで初めて明らかにしただけなのだろうか? それともここで変わったのだろうか?
 そんなことはもちろん誰にもわからないが、わたくしなどは当初、西側に振付師がいて、大統領はそれに従っているだけだと思っていた。氏の服装もまたそうだと思っていた。
 また、腐敗しきっていた国の国民が国家を守るために急に一致団結するという話も、にわかには信じがたい。個人だけにではなく国家にも背丈が急に伸びるというようなことがあるのだろうか?
 また一方のロシアの大統領の頑なさも理解しがたい。単なる面子とか権力への執着という次元を超えているように思う。ひょっとすると氏も一種の神秘体験のような経験をしているのだろうか?
 P.D.ジェイムズの推理小説「死の味」で起きる事件で死ぬ一人は元国務大臣で、ある教会を訪れたときに何らかの神秘体験をして人が変わってしまい、大臣職を離れたという人間であるとされているが、その体験の内容は描かれていない。というか、それは小説という形式ではあつかうことが出来ない、われわれの理解をこえる何ごとかなのである。
 人間が変わりうるということはわれわれの希望なのではあるが・・。

習近平氏

 習近平氏の続投が決まり、今後ますますその権力が強化されるらしい。
 その報道を見て感じるのが、そのような独裁色が強い国家が旧共産国&現(自称?)共産国に多く見られるということである。
 中華人民共和国共産党の一党支配の体制にあるが、その政党は現在でもマルクス・レーニン主義に基づく党なのだろうか?
 朝鮮民主主義人民共和国マルクス・レーニン主義に基づいた政治が行われていると思う人は今ではほとんどいないだろうと思う。しかし半世紀前には朝鮮民主主義人民共和国こそ地上の天国、金日成の仁政があまねくいきわたるわれわれが目指すべき理想的国家とするひとが沢山いた。
 マルクス・レーニン主義に基づくと称する国家が悉く個人崇拝的な独裁国家と化していったということは偶然なのだろうか?
 マルクスはドイツ人であるが、ドイツ人は比較的独裁への親和性を持つ民族だと思う。結局われわれが西欧の思想と思っているものはフランスと英国由来の思想であり、ドイツとイタリアは第二次大戦の敗戦に懲りて西側思想にとりあえずは帰依しているというのが現状なのではないだろうか?
 むしろ個人独裁のほうが長い歴史をみれば普通の統治形態であるのかもしれないし、マルクスが唱えたのもプロレタリアートの独裁である。「プロレタリアート独裁」というのは《プロレタリアートという多数の人間が独裁する》というそのこと自体がすでに語義矛盾となるが、結局は《プロレタリアートの利益を最もよく知る前衛が支配する》という形態に行きつく。
 投票の結果で支配者が決まるというのは不安定きわまりないやりかたであるので、かつては、途上国は独裁的やり方で発展を目指し、ある程度発展した段階で民主主義的形態の国家へと転換するのがよいというようなことがいわれていたこともあったように思う。
 現在75歳であるわたくしもずっと西欧的価値観をほぼ自明のものとして生きてきたわけで、《死にたいやつは死なせておけ俺はこれから朝飯だ》というのは吉行淳之介氏の言葉だったと思うが、俺は俺、あいつはあいつ、俺は自分のしたいようにするから抛っておいてくれ! というのが民主主義という制度の一番の根にある感情なのだと思う。それに対して、そんなのは利己主義の極致である! 他人の苦痛に共感できてこそはじめて人間らしい人間であると!という方向もまた当然でてくるわけで、共産主義国家を目指す人たちの根にあるのはそういう感情だと思う。しかしそれが実際には最終的に個人独裁に行き着いてしまう。
 プーチン氏にしても、帝政ロシアソ連の歴史やロシアの宗教についての半端でない知識も持っているわけで、習近平氏もまた同じで氏なりの理想を持っていて、短時間でそれを実現するためには強権が必要ということなのではないかと思う。
 われわれはジャンジャックルソー対ヴォルテールという歴史を持つ。理想主義者対現実主義者という問題である。とにかくヴォルテールの思想は人を鼓舞しない。ルソーとは正反対である。
悪名高いポルポト政権だって、それを指導したポルポト氏もやはり理想主義者であり、マルクス由来の原始共産制を理想としていたポルポト氏が今から50年ほど前にカンボジアに作った政権である。が、わずか4年間で人口の20~30%の200万人前後が死んだ(殺された)と言われている。思想は人を殺す。
 因みに、中国の文化大革命での死者は数百万~1千万人、第一次5ヶ年計画では数千万人といわれているようである。スターリンの粛清では100万人程度らしいから、中国の毛沢東政権下の出来事に比べればスターリンのしたことなど可愛いものだということになるのかも知れない。
 思想は人を殺す。フランス革命での死者は100万人にはいかないらしいが、とにかく理想を目指す方向の運動は人の血を沸かして目を見えなくさせる。
 そういう中で、習近平氏の権力強化が無血のうちになされたということは進歩なのかもしれない。
 その中国からの報道を(あるいは北朝鮮からの報道も)見て、とにかく嫌なのが大会に参加している人間がみなトップの報告に万雷の拍手を送っていることである。数千人はいそうな参加者が全員力の限りの拍手を送っている。《俺はやだね》といった風にそっぽを向いている人、拍手をしていない人はいない。そんなことをすれば、身に危険が及ぶのかも知れないが、上海の封鎖などには抗議している市民もいるのにと思う。
 やはり《死にたいやつは死なせておけ俺はこれから朝飯だ》というのがいいなと思う。他人は他人、自分は自分で生きていける社会が、わたくしには望ましい。

与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)最終回(「跋」)

 最後にふされている「跋」は全体で7ページほどで、一部はこういう出版物の例にもれず、本書の出版にかかわった方への謝辞である。問題はそれ以外の部分で、現在の日本の人文学の現状(惨状?)の指摘と、それへの批判である。
 2016年のトランプ当選&ブレグジット以来の排外主義と相互不信のなかにわれわれはいるのだが、学者さんたちはそれに対する有効な言説を何も提示できていない。
 第一次大戦と第二次大戦の間には綺羅星のように思想家を多く排出している。ツヴァイクフロイトホイジンガグラムシアーレントベンヤミンルカーチマンハイム・・・。
 しかし、と与那覇氏はいう。現在ではシュペングラーを気取る予言屋たち(E・トッドさんも?)が跋扈するのみ・・。『原発事故で世界は終わる・二酸化炭素で世界は終わる』と呼ばわる「エコロジー左翼の過激派」が大活躍している、と。
 とすると、グレタ・トゥーンベリさんの大人版? どうもわたくしはグレタさんという方の顔つきが好きでなくて、こましゃくれたというか、人間の眞を信じる気がまったくないというか? 「汝らのうち、罪なき者、まず石を投げうて」という言葉を知らないのか? 
 彼女以外の「エコロジー左翼の過激派」達の顔も、グレタさんに似ているかもしれない。一般に左派の欠点というのは「言葉しか見ない」点にあると思う。言葉のニュアンスあるいはその言葉を発している人全体を見ないということがあるのではなだろうか。
 与那覇氏はこの本が「歴史学者」として自分が著す最後の本である、という。氏は日本の大学の「人文学の分野」少なくとも「歴史学」の分野の現状に深く絶望していて、もうこんなところからは足を洗おうと決意したらしい。
はるか昔である1987年頃の中沢事件、あるいは2002年頃の羽入辰郎氏『マックス・ヴェーバーの犯罪』をめぐる折原浩氏の醜態などを思い出す。「俺は東大教授なるぞ! ヴェーバー学の大権威なるぞ! この自分をさしおいて、羽入の論文を評価できるものがいるか? 羽入の論文は間違いだらけ! そもそも論文の体さえなしていない、評価以前!・・と一人で息巻いていた。当時わたくしも面白がって、羽入氏の本と折原氏の論を読み比べてみたが、文句なく羽入氏の勝ち。
 中沢事件にかかわることによって、西部氏は大学を離れて在野のひとになったと記憶する。『学者 この喜劇的なるもの』はこの事件をめぐって書かれものだったと思う。
 最後のほうに、虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」が引かれている。与那覇氏はこの貫く棒を歴史と解している。
 わたくしは、俳句などの短詩形式のものはあまり解釈を限定しないほうがいいと思っているけれど、個人的には「去年と今年を貫く棒のようなもの」とは「命」あるいは「生命力」をいうものではないか?と思っている。
久保田万太郎の有名な「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」だって、何を言っているかなど考えなくていい、あるいは考えないほうがいい句だと思う。背景としては長男の死、同棲していた芸者さんの死といったことがあるらしいが、それもこれも含めて、あるいはそれを超えて「いのちのはてのうすあかり」なのだと思う。日本ならこれを辞世の句にしてもいいのかも知れない。
 わたくしはアカデミーという場所は、他では生きていけない、社会生活にうまく適応できない人間が集まる場所で、彼らのアジールとして機能していると思っている。わたくしは医者であるが、病院あるいは大学医学部というところだって、変人奇人をかくまってくれるアジール的場所でもあるはずである。わたくしも医師免許証一枚を晒しに巻くことができたから今まで生きてこられたのだと思っている。
 わたくしには、本書は(特に後半になって)少し力みが目立ってくるように感じる。現在の歴史学者は文献ストーカーで「調べもの屋」にすぎないと氏はいうのだが、その荒廃のなかから一人でも網野善彦がでてくることはないのだろうか?
 アマゾンで頼んだ氏の「歴史なき時代に」がそろそろ着くころかと思うで、大学文学部がかかっている病の診断について判断するのはそれを読んでからとしたい。
 ところで、今ふと思いついたことでさしたる根拠はないのだけれど、与那覇氏が批判する歴史学者の方々の歴史は時計によって刻まれているのではないだろうか? そうだとすれば、それはのっぺりとした平坦なものでしかありえない。そうではなく歴史というのは身体の中を流れる時間、ある時には濃く、あるときは淡く流れる時間、伸縮する、ひとそれぞれに異なって流れる時間の上に成り立つものであり、その流れる時間を読者に感じさせることができる本が本当の歴史の本なのではないだろうか?
 古文書はただそこにあるだけでは、文字通りの古い文書である。そこから当時生きた人々の息吹が蘇ってくる時、それは初めて「古文書」になるのではないだろうか?

与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(13) 第15章 はじまりの終わり 2018-2019.4

 この期間は平成という時代への喪の作業の期間だったと与那覇氏はいう。
 アベノミクスの成果であるとされた景気の拡大は平成18年(2006年)10月までで、以後は収縮へと転じる。わたくしは2000年頃までがバブルで、2003年くらいまではバブルの小休止、それでまた拡大が始まるのだろうと思っていたが、あれ?いつまでも上にむかわないな、と思っているうちに現在にいたってしまったという感じである。
 ここで西部邁の晩年と自死が論じられる。わからないのは、西部氏がどの範囲の人に知られ、どの程度の影響を社会に与えた人だったのだろうか?ということである。
 氏の若い時の「大衆への反逆」「生まじめな戯れ」「学者 この喜劇的なるもの」などは読んだ記憶はあるが、多分に駒場東大の人事の騒動への関心で読んだもので、氏が右旋回してからは、そういう人がたどる典型的なコースを氏もまた辿っていると思って関心を失った。
 氏は77から78年に米英に留学し、gentleman の国である英国に帰依したことによって、右旋回したらしい。氏は意外に近代的な思考過程により自死を選んだらしいが、どのような死に方を選ぶかはまったく「個人」の選択の問題であって、他人がとやかくいうことではない。
 お弟子さん二人に自死を手伝わせたことが問題となったとしても、それは氏が最後まで人騒がせな自己中心的な人であったということだけで、お弟子さんだってそれを承知でついていったのだろうから、自業自得なのではないだろうか?
 わたくしは氏の自死の報道を新聞などで見て、典型的な知識人だなあと思った(頭でっかち!)。結局は世の中がどうなるかより、自分が「義」の人間であるかの方に関心がある「左」のひとに多く見られるインテリの「右」の亜種だったのだと思う。晩年の氏の著作がどのくらい読まれていたのかは知らないが、ごく普通の人にはその死はまったく何の影響もあたえなったのではないかとわたくしは思っている。
 1982年の「気分はもう戦争」というカルトマンガの話がでてくるが、まったくきいたこともなかった。
 平成の30年間は「アメリカの衰退」と「中国の台頭」の時代だったと与那覇氏はいう。
 1979年の中井久夫氏の「西欧精神医学背景史」から「ルネッサンスの時代は異能の人の時代で、普通の人は生きづらい時代であった」という塩野七生氏の説を紹介し、ルネッサンスを西欧にもたらした新大陸に相当するのが、今の時代では『中国の発見』であるとしている。
 中井氏の「西欧精神医学背景史」は読者に西欧への見方を一変させる力を秘めたとんでもない本で(明るい西欧ではなく暗い西欧、魔女と錬金術の西欧・・)もしかして未読のかたがあればぜひ読まれることをお勧めしたい。
ところで、中井氏は最近亡くなられたが、死の前にカトリックの洗礼を受けたという話がどこからか聞こえてきて、今、それについて少しく考えている(というか戸惑っている)ところである。日本の知識人が晩年キリスト教に向かう場合はまずプロテスタントの方向にいくことはなく、みなカトリックである。それはカトリックこそが西欧の総本山、西欧を支える背骨であって、日本の知識人の99%は西欧渡りの学問をしているわけだから、その深部に向かえば向かうほど、カトリックの神様が近づいてくるということはあるかもしれない。氏がギリシャの詩人の詩を訳し、ヴァレリーを訳したのもそれに関わるのだろうか? 精神医学という分野にいるとどうしても直面せざるを得ない、暗いどろどろした何かから離れ。清浄な空気(ナイチンゲール)、明るい空気のようなものをもとめたのだろうか? カヴァフィスはまだしも、ヴァレリーの詩を氏が訳す必要があったのだろうか? いましばらく、このことについては考えていくことになると思う。
 人文学に較べ自然科学の分野では「神様」を棚にあげることが比較的容易であると思われるが、進化生物学の分野ではそうはいかなくて「社会生物学論争」のような大騒ぎがあちらではおきることになる。しかし不思議なのは日本ではそれはまったくよその国の出来事で、この論争はこちらではほぼスルーされたことである。「学問」と「自分の生き方」がほぼ無関係であることが当然とされていて、むしろ「自分の考え」を自分のしている研究に持ち込まないことが日本では正しいとされているようにみえる。「どうも耶蘇の信仰というのは厄介なものですなあ! 日本に生まれてよかった」といった感じかもしれない。しかし人文科学や社会科学の分野ではそうはいかないはずであるが、どうなっているのだろう?
 本論に戻って、ヨーロッパは中世まではユーラシア大陸最果てのただの岬に過ぎなかった。それを変えたのが新大陸の発見であるが、現代においその「新大陸の発見=金銀の発見」の役割を果たしたのが、「中国の発見=中国の労働力の発見」である。
 それで各国で反移民とレイシズムの動きが広がった。そのような動きの頂点として出てきたのが「トランプ政権」。それにともない、西欧の旧来からの人権といった価値観はこれからの社会の発展にとってはかえって桎梏となる。中国式の専制政治の行き方が今後の世界の方向であるといった議論も台頭して来ている。
 AKB48から「坂道」グループへという話もでるが、さっぱり興味がないので飛ばす。古市憲寿氏の「平成くん、さようなら」も読んでいない。安室奈美恵の引退も関心なし。
 19年初頭に橋本治氏逝去。そして令和に入ってすぐ加藤典洋氏が亡くなる。
橋本治氏はアカデミーの外のひとだった。加藤典洋氏はアカデミーから追われた人? 最近、渡辺京二氏の「小さきものの近代1」をぼちぼち読んでいるが、面白くて仕方がない。氏もまた在野のひとである。
 平成を大きく区切るとすれば、どこということになるのだろうか?
 昭和は敗戦の前後で切断される。昭和から平成の境にかけては、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連という国家も消滅するという非常に大きな画期があった。とすると、昭和と平成の境が大きく、平成はひたすら坂を下っていった時代であり、はっきりした画期はなかったのかもしれない。
 《平成の30年間は「アメリカの衰退」と「中国の台頭」の時代だった》としても、それは日本の外でおきたことであって、日本はそれに対応することにひたすら右往左往しているうちに、気がつけば「坂の下の沼」(天谷直弘氏)に落ち込んでいた、ということになるのかもしれない。
 結局はわたくしには、林達夫氏のいう「Occupied Japan」が今にいたるまで続いているとしか思えない。加藤典洋氏の「敗戦後論」があれほど議論を呼んだのも、現行憲法アメリカ占領軍が作成したものであり、われわれは占領下でそれをただ受け入れるしかなかったのだという事実から日本人が目をそむけ続けているという単純な事実を示したからとしか思えない。われわれ日本人は、その事実を隠蔽し、あたかも日本人が作成し、日本人全体がそれを歓喜して受容したといったフィクションを実に70年以上も続けてきている。そしてその憲法の存在など他の国々は気にもしていないし歯牙にもかけていないという事実からも目をそむけて、これがあるが故に世界の平和が維持されているかのような幻想を振りまいてきている。そしてそれを改正しようという動きは右からでてくるが、左は憲法を守れ!一色である。いいものはいい! 誰が作ったのかはどうでもいい、現行憲法にはその策定当時のもっとも先進的で高邁な理想が表明されているので、その理想は現在においても揺らぐことはなく、むしろますます輝くものとなっている、そういう方向である。
 「日本以外の世界の誰も日本国憲法にはただのひとかけらも関心を持っていない」ことには知らぬ顔をして、国内だけで喧々諤々の議論を続けている。明治の為政者たちは日本がよわく脆く、いつ列強に蹂躙されるかわからないという強い危機感のもとにいた。「とぎすまされた危機感と身がまえた猛獣のような緊張の姿勢」である。(天谷直弘「坂の上の雲」と「坂の下の沼」)。
 おそらく多くの人が、「戦に負ける」という惨めさを、その代償としてえた?「世界の進むべき方向を示す素晴らしい憲法を得た」ことで、いくらかでも打ち消したのだろうと思う。「天皇」から「憲法」に! 天皇ハ神聖ニシテ侵󠄁スヘカラス⇒憲法は神聖にして侵󠄁すべからず
 橋本治氏は「二十世紀」という本を2001年に出版している。1900年(明治33年)から2000年(平成12年)までをあつかっている。だから平成も途中までであるが、1945年の項に「第二次世界大戦の後、「この後社会主義共産主義が勝利する」とするグループと「この後社会主義共産主義は勝利しない」とするグループの二種類に分かれたとしている。そして(ソ連の崩壊で)「社会主義への幻滅」が広がると、もうなにがなんだか分からなくなってしまったのだ、と。
 たぶんこのなにがなんだか分からなくなる状態が一番ひどかったのが日本で、「この後社会主義共産主義が勝利する」とするグループが、ソ連の崩壊を見ても、それでも《社会主義共産主義への郷愁》をたてないひとがいた、それも少なからず(かなり多数)いた。今の西欧でも左の側の政党にはそういう方向の政党もあるがマルクスの説とは縁は切れている。
 しかし日本では共産党はいうまでもなく、立憲民主党でもマルクスを否定するとは断言できないひとが少なからずいる。要するに、資本主義=悪、社会主義=正義といった考えをどうしても否定しきれないわけである。そして今の日本の状況をみれば、日本国憲法が日本の現状を正す道標になると考えるので、「憲法を守れ!」がスローガンになる。日本国憲法社会主義への道を示すもの? そんな話は世界から一顧さえされるはずもないのに、気分は未だOccupied Japanのまま、日本だけ特別というほとんど鎖国状態の思想から抜けられない。
 Occupied Japanであるから、何かあればアメリカが守ってくれる(はず)。手を汚す仕事はアメリカさんにおまかせして、われわれは日本が進むべき道、世界が進むべき道について考えていく・・。
 そもそも、社会主義共産主義ということについて、いわゆる進歩派の方々が今現在どのように考えているのだろう? 現実の世界では、平成の始めに東側は崩壊した。具体的にはソ連が崩壊し、ロシアという国家が出来たが結果としては独裁国家が出来た。中国と北朝鮮の二つの人民共和国は共産党という党名の党が支配する国家として現在も継続しているが、実質は独裁国家である。この二つの国がマルクス主義とどのような関係があるのかが、わたくしには少しも理解できない。
 いつ頃までだろうか、北朝鮮という言い方が許されない時代があった。朝鮮民主主義人民共和国と言わなければならなかった。今の北朝鮮のどこが「民主主義」でどこが「共和国」なのだろうか? 中国ももちろん中華人民共和国である。共和国??
 結局、ベルリンの壁の崩壊、ソ連という国家の消滅もそれが大きな変化をもたらしたのは東欧圏、すなわちもともとヨーロッパの見方が浸透していた国々だけで、アジアにおいてはもっと古くからのその地域での思考法がまさり、それがプロレタリアート《独裁》という言葉と融合し、《前衛》という言葉とも融合して、現在の中国・北朝鮮を作り上げてきたのではないだろうか?
 日本共産党の機関誌(日本共産党中央委員会理論政治誌)は未だに『前衛』のままである。民主集中制も未だに堅持されている。そもそも共産党という党名をこれからも堅持するのだそうである。
 一党独裁とか個人崇拝というのも一つの有力な政治形態・統治形態であって頭から否定されるべきものではない。むしろ効率のよい政治形態なのであるかもしれない。
 これが否定されるのは西欧的価値観が前提にされる場合だけである。「われわれは決して真理にいたることはない。われわれには何が正しいかわからない。だから相互の話し合いが必要で、相互に許し合うことが必要である。・・」 しかしもしも何が正しいかを知るひとや集団(前衛)がいれば、議論など時間の無駄である。その人の指導の下に進むだけ、習近平思想、金正恩最高指導者のもとに・・・。北朝鮮など世襲である。
 われわれは「明るい西欧」だけをみているが、中井久夫氏もいうように西欧には「暗い西欧」があってソ連―ロシアはそちらを継承しているのかもしれない。もちろん西側にも「暗い西欧」は当然あって「赤狩り」などというのは、共産主義=悪魔とでもいうような思想ともいえない恐怖心の産物だったのかもしれない。
 そして宗教の問題がある。イスラム側から見れば、今の西欧はソドムの地であって業火で焼き払われて当然と見えるだろうと思う。
 「ヨーロッパの生みだしたもっとも美しい幻影の一つである、個人のかけがえのない唯一性という、あの大いなる幻想」とクンデラが「小説の精神」でいうのは、まさに「われわれは決して真理にいたることはない。われわれには何が正しいかわからない。だから相互の話し合いが必要で、相互に許し合うことが必要である。・・」の変奏である。
 加藤典洋氏は東大文学部在籍中にいわゆる東大紛争に深くかかわっている。わたくしはこの渦中で文学部がストに参入してきた時、「これは長引く、なかなか終わらない」と思った。文学部の学生さんは「授業などよりストのほうがよっぽど勉強になる」と思っている「思想の方面」のプロの卵も多く、先生方にも「革命」ときくと血が騒ぐ人も多かったので、そう感じたわけである。加藤氏はそれで就職に苦労した。
 加藤氏の「新旧論」というわたくしは読んでいない論に与那覇氏は言及して、小林秀雄支那事変をきっかけにずるずると現状肯定に流れていったことを加藤氏が批判していることが紹介されている。
 橋本治氏の「小林秀雄の恵み」には「戦争と小林秀雄」の章があり、「この戦争協力者は、進んで協力して、嘘もつかず、しかしその実、一向に協力なんかしていないのである。そして、それで咎められないのである。・・なんて食えないオヤジなんだと、私は小林秀雄のイケシャーシャーぶりに感嘆してしまうのである」とある。わたくしには橋本氏の言のほうが説得的で、加藤氏の論はいささか単純すぎるように感じる。
 加藤氏の論には梶井基次郎の「檸檬」と中原中也もとりあげられているのだそうで、それで米津玄師の「Lemon」にも言及されるのだが、これまた聴いたことがない。
 昔々、木村尚三郎氏の「歴史の発見」?を読んでいて、歴史とは過去から現在に至るものではなく、現在から過去に遡るもので、今自分が生きている時代とは明らかに異なる時代が過去1、それとはまた異なる過去が過去2・・。
 自分のなかで、それを考えてみると、1993年(平成5年)ごろが過去1? このころバブルというのは本当に終わったと思った。それ以降はだらだらと現在に至る。過去1の前は1968~1970前後? 政治の季節。その前は1960頃? 60年安保から高度成長へ。
 そうすると平成という時代は日本の外では東側の崩壊という大事件はあったが、日本国内ではそういう大きな動きのあまりない、しかし知らないうちにいつしか茹でカエル状態になっていたという時代だったのかもしれない。
 本文はこれで終わりであるが、後に「跋」という7ページほどの文がある。本書の潜在的なテーマである現在における学者・知識人の役割という問題をふくめ、そこでもう一度全体を振り返ってみたい。

与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(12) 第13章 転向の季節 2013―2014 第14章 閉ざされる円環 2015―2017

 与那覇氏は、平成29年からの第二次安倍政権の初期ほど、平成の達成が崩れていった時代はないが、それに気づいていない人が多いという。
 「アベノミクス」は国民に好評だった。株価は高騰し、円安が進んだ。知識人もそれに同調していた。「リフレ政策」が受けた。しかしそれは1年半で息切れした。それはイギリスのブレア政権の「第三の道」を後追いする側面と、トランプ政権の反知性主義の先駆けというという二つの側面を持っていた。ブレア首相は、経済を停滞させた労働党の産業国有化の方向には反対したが、サッチャー新自由主義にも反対した。しかし、人気は低下していった。
 平成不況は、97年のアジア通貨危機の輸出減少によって始まったという吉川洋氏の説に、与那覇氏も賛同している。
 平成は自立した個人を育てるのではなく、「全能の国家」への集団への帰依に向かおうとしていた?
 13年3月、日銀黒田総裁が、リフレ理論による?新方針を発表(2・2・2・・)。国民も原発より経済という方向に変わってきていた。リフレ派の議論は反知性主義への傾きを持つと与那覇氏はいうのだが、経済学音痴のわたくしには判断できない。
 おそらくこの頃に聞いた話だと思うが、「近代経済学は、ひたすらどうすればインフレを回避できるか、インフレがおきた場合にはどう対応すればそれを早期に鎮静できるかをひたすら研究してきた学問分野であって、近代国家でまさかデフレがおきるなど想定もしておらず、したがって、それへの対応の研究などほとんどなきに等しいのだ!」というようなことをいっているひとがいた。当時人気のクルーグマンさんも「日銀はお札を刷って刷って刷りまくれ!」などと言っていた。
 ここで百田尚樹さんの「永遠の0」の話が出てくる。小説も映画もみていないが、何だか単純バカの右の人が出て来たなとは思った。加藤典洋さんが指摘しているのだそうだが、この小説は米国海軍兵士の回想が前後にあるのだそうで、お互いを「好敵手」としてみとめあっているような設定になっているのだそうである。
 吉田満氏の「戦艦大和ノの最期」の「砲火二射止メラルレバ一瞬火ヲ吐キ、海中ニ没スルモ、既ニ確実ニ投雷、投弾ヲ完了セルナリ 戦闘終了マデ体当リノ軽挙ニ出ヅルモノ一機モナシ 正確、緻密、沈着ナル「ベスト・コース」ノ反覆ハ、一種ノ「スポーツマンシップ」ニモ似タル爽快味ヲ残ス 我ラノ窺ヒシラザル強サ、底知レヌ迫力ナリ」のような感情が戦場でおきても不思議でないような気もするのだが・・。
映画「風立ちぬ」の話も出てくるが、これも観ていない。やたらと登場人物が煙草を吸っている映画という話はどこかできいた。
 さて、SEALDs。これはいわゆる安保法制に反対する学生の運動。これがわからなかったのは、どこからか忽然とあらわれて、法案が成立するとまた忽然とどこかに消えてしまったことで、反対陣営も反対を継続する体力がなくなり、ある問題が出て来た時に、学生を扇動して反対運動めいたことをするしかなくなったのだろうと思った。SEALDsの方々もそれを応援していた方々も、法案が成立してもさほど悔しさもみせていないように感じた。何だか「義務は果たした」といったような、消化試合を淡々とこなしている感じ。
 さらにおどろいたのは、海千山千のはずのおじさんおばさんたちが感涙に咽んでいたことで、上野千鶴子さんなんか本当にどうなっちゃたんだろうと思った。個人的にはこれで戦後の反体制運動は完全に終止符を打ったのだろうと思っている。
 次が天皇生前退位問題。これを非自民党側は「天皇の真意は「改憲志向の安倍政権への抗議」であるのだと主張をはじめた。その急先鋒が内田樹氏であったのだと。このころの内田氏はひねりがなくなり、いうことが面白くなくなっていたので全然読んでいなかったので、この話は本書ではじめてしった。本当にそんなことを言っていたのだろうか? 右と硬直した左をともにおちょくる戦術なのでは?
 このころ田中角栄ブームが起きたと書いてあるが全然記憶にない。まあ反インテリというと角栄さんがでてくるわけで、最初に宰相になった時はあの朝日新聞でさえ「角さん」とかいってよいしょをしていた。インテリというのは根っこのところでああいうバイタリティそのものといった存在にどこかで劣等感を抱いているのだと思う。
 与那覇氏は平成の画期をアジア通貨危機がおきた1997年に求めている。それまでは、なんだかんだあっても「日本はいずれは、安定した豊かな日本に戻れる」と思っていたが、それが崩れた。世の中がおかしくなってきていて何が起きるかわからないと考えるようになった。
 さて「シン・ゴリラ」と「君の名は。」がでてくるのだが、これまたみていない。
 2016年、英国がEU離脱を決定。トランプが大統領に。中国は習近平体制。ポスト冷戦後の民主世界の解体が進行した。
 ここでSTAP細胞と小保方さんの話が出てきて、この時代の「強い個人」への信仰の産物のような書き方をされているのだが、単に変な人が変なことをしただけではないのだろうか? 彼女が失墜したのは、科学には「真実」という判断基準があるからだとされていて、そういう絶対的な判断基準を持たない「政治」の領域ではどうなるのか?という疑問が提示されるのだが、そもそも一回限りしかおきないことは科学の対象にはなり得ないので、事後解釈の後知恵しかそこにはないことになる。高等数学を身にまとっているようにみえる経済学の分野が問題になるが、ケインズの唱えた乗数効果なども現在ではほぼ存在しないとされているらしい。坐して死を待つのよりは何かをしてみる、仮説を立てて現実に問うてみる。それが経済学のしていることなのかも知れない。
 ここで小池百合子さんが出てくる。何となく小保方さんと同じような人とみなされているようである(業績の詐称?)。「真実という概念を知らぬ人」とされて、「見せ方」だけに関心があって、「内実」には関心を持たない人とされている。
 安倍官邸と蜜月といわれた日本会議全共闘に対抗して作られた右派学生組織に起因し、その思想は「成長の家」を中心とする新宗教的な反近代主義だとされている。この日本会議と「統一教会」との関係などはどうなっているのだろう?
 経典宗教が力を持たず、「世俗的近代」を歩んでいるとされてきた日本が、それにもかかわらず啓蒙主義とは別の何かにむかっていくようにみえてきた。
 このころ「発達障害」がポジティブに語られる傾向が目につくようになってきた。
わたくしが大学教養学部の法学の授業できいた話なので、今はどうなっているのか知らないが、クラインフェルター症候群(XXY)という先天的な染色体異常の男性(当時はスーパーメイルといわれていた)は犯罪を犯しても処罰されない(本人のせいではなく染色体が悪い?)ことになっていたが、患者団体が、その法令を撤廃するよう運動しているということだった。
 「発達障害」というのも、その本人がいわゆる“社会性に乏しい”としてもそれは本人が悪いのではなく病気のせいなのだからまわりは理解してあげようということなのだと思う。そうすると“ジェンダー・フリー”といった運動はどうなるのだろう? 男と女が違うというのは考えるまでもない当然な生物学的事実で、フェミの方々はそれは社会的に作られたもので生物学的な差ではないと主張してきたが、親が一切強制しなくても男の子は汽車ポッポで、女の子はお人形さんで遊ぶ。
 さて2017年に話題になった本として國分功一郎氏の「中動態の世界」が挙げられている。能動と受動の中間にかつては存在した「中動態」というものを考察したものらしい。らしい。らしいというのはわたくしもこの本を買ったのだが、あまりに難しくて先に進めなかったからである。哲学者というのは困ったものだと思った。この本が世の中を変えることなど絶対にないはずである。
 「この世界の片隅に」というアニメも論じられるが、これまたみていない。
 「まともに相手にされなくなって久しい日本史」と与那覇氏はいうが、現在の日本人にとって日本史とはNHKの大河ドラマのことになってしまっているのかも知れない。「義理と人情と組織内の人間関係(会社の人事)」の世界。 進歩派の歴史学者が研究してきた農民の生活などどこかにいってしまった。(などと書いているが、大河ドラマもまた見ていない。)
 マンガも読まず、映画もテレビドラマも観ず、流行り歌も聞かない人間にはついていけない記述が多くなり困っていたが、ようやく次の最終章「第15章 はじまりの終わり 2018-2019.4」を残すだけになった。

与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(11) 第11章 遅すぎた祝祭 2009―2010 第12章「近代」の秋 2011-12

 自民党麻生政権は低支持率で鳩山政権に交代。その当初の高支持率はすぐに低下するが、菅直人への交代でふたたび上昇。しかしその消費税増税発言でまた低下。・・とにかく非自民政権は不安定だった。この一つの原因としてはこの政権を陰であやつった小沢一郎の存在とその迷走がある。
 台風の目になったのは橋下徹だが、そのような潮流に革新側は乗れなかった。
 2010年の選挙ではイデオロギー的な問題は片隅に追いやられ、税率が争点のすべてになってしまった。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災ですべてが変わった。(翌12日には第一原発の原子炉建屋の爆発。)
 それに呼応して、4月10日都内で大規模な反原発デモ。このデモはどんどん拡大していく。与那覇氏は1947年1月の皇居前広場での大集会を想起したという。
 ほぼすべての原発は1960年代の高度成長期に様々な自治体からの要請で各地に建設されたものである。当初は社会党なども誘致に積極的であったが、70年代の初頭には反対に転じた。
 この3・11の後、対応のため挙国一致内閣を作る動きもあったが挫折。
 世界では、2010年12月から翌年にかけ「アラブの春
2011年末、吉本隆明氏が、「「反原発」で猿になる!」を発表、さらに翌12年には「「反核」異論」で反核運動を批判するが、同3月には逝去。
 11年8月、菅(かん)首相退陣、野田内閣へ。
 12年9月、安倍晋三、再登板。

 やはり、2011年の3月11日の東日本大震災ですべてが変わったのであろう。翌12日の第一原発の原子炉建屋の爆発では、当時官房長官だった枝野氏が「何らかの爆発的事象が発生した」といった説明?を繰り返していたのを記憶している。枝野氏をふくむ政府側だって何が起きていたのか十分には把握できていなかったのであろう・・。(水素爆発であることは把握していた?)
 その年の5月の連休に、三井記念病院とわたくしが勤務していた病院の合同チームで現地(福島県新地町)にいったときにはもうすべては終わっていて、コンビニなども普通に営業していた。公民館に仮設した臨時診療所にはほとんど誰も来ず(行ったのが3連休中であったので、親戚が近隣にいるものはそこに行っていたこともあるが・・)、東京から持ち込んだ医薬品もほとんど使うことがなかった。暇だったのであちこちみてまわったが、常磐線の線路は曲がったまま放置され、駅舎も流されて跡形もなかった。常磐線の完全再開までは相当な時間を要したと記憶している。津波が来たところと、それが及ばなかったところのあまりの差にただただ驚いた。家がながされ体育館などに仮寓していたおじさんおばさんたちは昼から酒を吞んでいたりで、あまり悲愴な感じはなかった。
 神戸の震災の時も翌年学会で現地にいったときにも、まだねじ曲がった高速道路がそのままになっていたからインフラの再整備には時間がかかるのであろう。
 3・11の地震津波は大きな問題ではなく(もちろん死者・負傷者は地震津波によるものであり、原子炉建屋の爆発によるものではなかったが・・)、それによっておきた原発の事故こそが問題だった。この事故がなければ、3・11の大地震も10年以上たった現在ではすでに過去の記憶になっていたはずである。大分以前にフランスにいった時、観光地のすぐ近くに原発が設置されていて驚いたことがある。今年の北京での冬季オリンピックでも、会場のすぐそばに原発施設と思われるものが映っていたように思う。
 地方にいって県庁などの駅前に降り立つとまず目につくのが「〇〇電力」の立派な建物である。地方には産業?としてはもはや原発しかなく、それを誘致してくるのが首長の手腕とされていた時代がかつてはあったように思う。
この本で知ったのだが、3・11(3.12?)以前は革新側も原発誘致に賛成であったようで、この事故から反対の方向に急速に転換したらしい。
 389ページあたりに吉本隆明氏の「反核運動批判」が論じられている。姜尚中氏のそれに対する批判について、与那覇氏は、それがただ時流に迎合しただけの内容のないものであることを指摘している。このころから「左」の人たちは「脱原発」といった時流に乗っているだけの存在になっていったのではないだろうか?
 そこで紹介されている本気とも思えない中沢新一さんの奇説「原発は西欧の一神教が生んだものである。多神教の日本は原発を放棄して西洋近代を乗り越えよ!」。
 また一方では、宮台真司さんの共同体主義にもとづく珍奇な説も紹介されているが、あほらしいからここではパスする。要するに真面目に考えることはもうやめてしまって、口先で適当なことを言っているだけの存在になってしまったのではないだろうか?
 この左側知識人の崩壊の鏡像としてでてくるのが橋下徹氏。しかし橋本さんのほうがまだ勉強していたと思う。橋本さんはシステム1、リベラルはシステム2(カーネマンの用語)とここでいわれているが、むしろ(左の)識人陣営のほうもシステム1化していて、一昔前の「進歩的文化人」の方向、なんでも反対!のほうへと退行していたのではないだろうか? さらにもう一歩退行すれば、テレビのコメンテイターであるが、流石に知識の人であるから「引き出し」をたくさん持っていて、どんなことにもとりあえずの説明は(それがたとえとても変なものであっても)提供できるはずである。「日本」対「西欧」などというのはその恰好の材料となるのであろう。
 60年安保のころまでの進歩的文化人には、まだ「革命」といったことを本気で信じていたひともいたのだと思う。実際にはそれは起きなかったことを知っている現在のわれわれから見れば、それは何とも滑稽な姿であるかもしれない。一方「革命」はもはやないとわかってきた昨今の知識人の議論はどんどんと抽象化して来ている。(具体的な議論になると、すぐに整合性を問われてしまうから?) そうとなれば「現在の西欧社会こそがマルクスが描いた理想を体現している」とか「現代人の堕落を救うものは厳格な宗教の戒律しかない!」とかなんとでも言える。知識人たちから「本気」が消え、かわりに「言葉の遊び」がどんどんと増えてくる。その中で与那覇氏は「知識人」には現在でもまだ果たせる大きな役割があると信じている、現在では稀有なひとである。
 3・11の地震とそれにともなう原発事故を予見できた人は一人もいなかったわけであるが、近々また同じような、それはあるいはそれを上回る天災がおきるかもしれない(もちろん、100年後かもしれない。誰もそれを知らなわけだが・・) 昔、「地震予知連絡協議会」とかいったものがあったが「地震の予知」は不可能とわかって解散したらしい。本当はこの会が存続しているうちも、皆、実は予知は無理と知っていたが、国からお金をもらうために、もう少ししたらそれが可能となるふりをしていたらしい。
 核兵器の使用といった現在ではある程度はその可能性が否定できない出来事であっても、それを阻止する力を知識人は持っていない。
 その中にあって、例えミネルヴァの梟であろうとも、ものごとを分析し理解し説明できる人間の存在はいつの時代でも必要であることを与那覇氏は信じている。
 わたくしも何事かを考えることが好きで、こんなブログを続けているわけであるが、それが他人の役に立つことはまったく期待していない。アマチュアという気楽な立場である。
 次の第13章は、転向の季節 2013-2014 14章は 閉ざされる円環 2015-2017、である。
 令和がすぐそこにせまっているというのに、妙に現実感がないのはどうしてだろう。

与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(10) (小休止)今日の朝日新聞朝刊について

 今日の朝日新聞朝刊の2面に雑誌「世界」の宣伝が載っていた。特集が「戦後民主主義に賭ける」。「賭ける」というのは、普通は《勝つ可能性は高くないが敢えてそれを知った上で》というニュアンスで用いる言葉だと思う。とすると、この特集は「戦後民主主義」はもう命脈をたたれようとしていることは重々承知しているが、それでも自分はそちらに与したい、というものなのであろう。敗色濃厚になった南軍にあえて加わるレット・バトラーみたいなものだろうか? もちろん、正しい側がいつも勝つとは限らない。とすれば、負けた(あるいは世間からはすでに負けたと思われている)側が「それでも自分達は正しい」とすることには少しも問題はない。
 この広告の左には柄谷行人氏の新刊である「力と交換様式」という本の広告がでていた。「21世紀に『資本論』を継ぐ」というコピーが付されている。「戦争と恐慌の危機を絶えず生み出す資本主義の構造と力が明らかに。」とある。しかし「戦争と恐慌の危機を絶えず生み出す資本主義」などという話はわたくしが若いころから耳にたこができるくらい何回もきかされてきているものである。今度こそ恐慌だ! 今度こそ資本主義体制の崩壊だの始まりだ!・・。しかし「恐慌」は柄谷氏の頭の中にはあっても、現実の社会には存在しなかった。
 読んでいなくていうのはいけないのだが、柄谷氏の今回の本など、橋本治氏が三島由紀夫を評した「塔のなかの王子様」による著作であって、安全な場所に閉じこもって、その中から、塔の外の世界、われわれが生きている現実の世界とは接点をあまり持たない机上の空論が延々と展開されているのではないだろうか?
 左のひとが未だに、マルクスと「資本論」を経典として奉っているのが不思議である。マルクスは19世紀中葉のひとである。つまり、もう100年以上も前のひと。
 「資本論」は一種のユートピア思想でもあるわけで、キリスト教的な思想の世俗版であり変奏でもある。ローマ・カトリックプロテスタントという図式でいえば旧ソ連スターリン)対新左翼だろうか?
 マルクス自身は自説を「科学」であると思っていたはずであるが、しかしヘーゲルの「歴史の終わり」という歴史観の踏襲者であり、リカードの労働価値説に全面的に依拠する、現代経済学からは何周も遅れた古い経済学の学徒でもある。その説の根幹は「資本家が労働者を搾取している」という「不道徳な事態」を明らかにすることにあった。しかし結果として生まれたのは「ソ連」と「中国」がもたらした世界史のうえでもあまり類をみない厄災だった。フランス革命もこれに加えるべきか? 大粛清・大躍進政策文化大革命・・。今のプーチン大統領のしていることなど、これに較べれば児戯に類する
 それなのに、柄谷氏はなぜ今さら「21世紀に『資本論』を継ぐ」ことなどをしなければならないのだろう。
 わたくしが思うに、これは人々のために書かれたものではなく、柄谷氏自身のために書かれた本なのであろう。自分が過去に書いたことが実社会にはほとんど爪痕一つ残せなかった(あるいはむしろ残したものは負の遺産?)ことへの省察と、それでもそれを見据えた上での新たな展望が示されているのであろう。氏はますます自分の塔に閉じこもろうとしている。
 この二つの広告の間に、わたくしは知らない(おそらく歴史学者)三氏による「歴史はなぜ必要なのか ―「脱歴史時代」へのメッセージ」という本の宣伝もある。「私たちの生きる現在の世界は過去の歴史の蓄積の上に成り立っていることを、第一線の歴史家たちが・・解き明かす。」とある。えー? そんな初歩的なことまで教えなければいけないの?
 17面にある読書欄では「著者に会いたい」という欄に渡辺京二さんが登場し、『小さきものの近代1⃣』が紹介されている。氏は現在92歳なのだそうである。ここに氏が若い頃、吉本隆明に聞いたという〈人は育って結婚し子どもを育て死ぬだけでよい〉という言葉が紹介されている。しかし柄谷氏はそれでは我慢できないのであろう。
 この渡辺京二氏のようにアカデミーに属さない孤高の独学者がなしとげたことの前に、大学の歴史学者さんたちはもっと首をたれなければいけないのではないかと思う。石牟礼道子さんを世に出したことを除いても氏の業績は大きい。氏は「逝きし世の面影」でようやく多くの人に知られるようになったと思うが、それ以前からコアなファンが一部にいて、葦書房というところから「渡辺京二評論集成」という4巻本もでていた。わたくしはこの葦書房という出版社も渡辺氏のファンであって、損得を度外視して(とまではいかないかもしれないが)、氏の本を出版してきたのではないかと密かに疑っている。
 「逝きし世の面影」の平凡社ライブラリー版への後書きで、「版元が重版しなくなってから、この本は幻の本となりおうせた」と書いている。葦書房版は実に立派な大きな本だから、そうそう再版というわけにはいかなかったのかもしれおない。
 従来戦闘的左派であった氏がこの本で右旋回して「古き良き」江戸を賛美するひとになったとみるむきもあるようだが、江戸末期がある種の文明の域に達していたことは間違いない。多くの外国人には「巡礼地の神社を囲む道に女郎屋が林立していること」などまったく理解の外で、彼らから見ればそれは「野蛮」そのものであった。そういうこともまた一つの文明の形であることなどは理解できなかったようである。
 ということでいきなり話が飛ぶが、「左」のひとたちも、フェミニズムの陣営の人たちも野暮な人たちが多いのではないかとわたくしは密かに疑っている。柄谷氏もあまり粋とはいえない人であるような気がする。
 そしてこのことが存外、「左」の人たちの主張がなかなか世に浸透しないことのかなり大きな原因の一つになっているのではないかと思う。最近の国葬反対の人たちなど「野暮」の極致である。そしてまた国葬反対派を批判する人もまた「ほとんど野暮」である。とにかくみな大人気がない。
 剛毅朴訥仁に近し、などといっても今さら仕方がないけれども、子供の喧嘩のような議論ばかりをしていると、普通の生活人は政治から、歴史から、どんどんと離れていってしまうのではないだろうかということを危惧する。