春日武彦「17歳という病 その鬱屈と精神病理」

  文春新書 2002年8月20日初版


 現在52〜53歳くらいの精神科の医者が書いた若者論であるが、若者は理解できないというトーンに貫かれた、そして現在の若者よりも、自分の若いときのことにページの多くを割いている変わった本である。
 自分も若いときは碌なものではなかった。それが今の若者のことを偉そうにはいえない、というスタンスが一方にある。そして、自分はその時にくらべて本当に成熟しているとはいえないという苦さがある。しかし、自分の若いときの碌でもない状態と今の若者の碌でもなさは違う。今の若者の碌でもなさは理解できない、そういうスタンスがもう一方にある。
 思春期の若者は混乱と混沌のなかにいるのであり、ある点では精神疾患患者と区別がつかない。
 自分の若い時には、大人になることへの恐怖や嫌悪があった。今の若者にはそれがない。
 援助交際がなぜいけないのか?人を殺すことはなぜいけないのか?と若者から問われて、多くの大人たちはそれを論破できなかった。それは大人がウラとオモテ、ダブル・スタンダードの世界でずるく薄汚く生きているからである。だから若者から「まっすぐな」ことを正面きっていわれると、うまく返答できないのである。
 しかし、人間はあらゆる言動に一貫性をたもつ必要などないのである。それを強く要求するのは狂人と若者だけである。普通に生きていて、言動に一貫性がもてないことは当然である。問題はそれに羞恥心を抱くか、居直るのか、知らんぷりを決め込むのか、笑って誤魔化すのか、というそこから先にある。一貫性にこだわりすぎるのは未熟な人間か狂った人間であり、こだわらずに済ますののは阿呆か恥知らずのどちらかである。
 援助交際がなぜいけないのか?ひとを殺すことはなぜいけないのか?という問いかけは論理のレベルでは論破できない。しかしだから正しいとはいえない。
 まやかしの理性こそがいちばんタチが悪いのである。他にも論理的に正しそうな意見が成立しうるのではないかという可能性、言語化しにくい感情への配慮というもののない主義主張はいかがわしい。
 自分が患者としての若者に上記のことをきかれたら、しばらく黙って相手の顔をみたあと、「寂しいことを言うねえ」というだろう。返答が困難なことを知っていてあえて問い掛けるという攻撃性は痛々しいし安易でもある。安易であるのは、それが本当に自分の必然からの問いではないからである。
 思春期の感性や思考は思春期だからこそ許されるのである。それをいつまでも持っているひとがいたらグロテスクである。
 子供時代も思春期も相応の年齢で経験されない限りは狂気の異名でしかない。
 自分は恥ずかしさの感情なしに思春期をふりかえることはできない。しかし、今の若者はあとになって自分の青春時代を恥ずかしいという思いで振り返ることはないのではないか? それが自分が若者に感じる違和感である。自分は長い時間をかけてようやく自分と和解してきた。今のわかものは最初から自分と和解できているのではないか?
 自分は葛藤の深さにこだわる旧世代派である。葛藤の深さにこだわる人間は充実感というものに重きをおく。快楽は一時的である。しかし充実感は長く続く。今の若者は、快楽と快楽の間の空虚に平然と耐えられるのであろう。それはタフなのか?鈍感なのか?
 今の若者の一番の特徴は語彙に乏しいということではないか? 彼らは自分の感情を表現する語彙をほんの数個しか持っていないのである。だからすぐに「切れる」。
 そして彼らはわれわれの丁度、子供の世代なのである。大人はひからびた魚のような生きかたをしている、海から陸にあがってとっくにひからびてるのに、それに気がつかないで生きている。今、若者におきている問題は実は大人の問題の反映でもあるのである。

 なんだか「うるさい日本の私」の中島義道氏を連想した。
 またどこか「正統とは何か」のチェスタトンを連想させる主張でもある。
 若い時代というのは、ただもう、とんでもないものであり、どうしようないものでもあるが、それであるから、それを乗り切るために体力だけは与えられているのである、というのは吉田健一の説だっただろうか?
 この著者はどうかんがえても変なひとで、一人の医者として、よく社会で生きていられるなあ、と思う。
 そして、どうしても社会になじめないひとが何とか生きているということが、ひとごとではないように感じるのは困ったことである。

 以下、本書のとんでもない一節。こんなことを書いていいのだろうか?
「数年前に、所用で朝から埼玉県に出掛けたことがある。途中からモノレールに乗り換えるのだが、ちょうど登校途中の三流高校の集団と一緒になってしまった。こいつらが、とんでもない低脳連中なのである。おそらくは分数の加減乗除なんか出来まい。カタカナで「ソ」と「ン」の書き分けも出来るかどうか。とにかくまず顔が醜い。知性のかけらもない。動物と大差ない欲望しか頭には詰まっていないことが容易に見て取れる。品性なんかまったく無く、どうせ発音が似てるからと、品性も蛮声も夢精も陥穽も人生も、意味の区別なんかつくまい。ぎゃあぎゃあと騒がしく、ときおり「俺はキレるぞ!」などと粋がっている奴がいたり、語る内容は幼稚でおぞましく、しかも車内が何となくザーメンの臭いで満ちている。傍若無人で安っぽく、とにかくこいつらと一緒にいると馬鹿が伝染するのではないかと心配になった。」
 

2006年7月29日 HPより移植