ロルフ・デーゲン「フロイト先生のウソ」 

   文春文庫 2003年1月20日 初版


 ドイツの科学ジャーナリストが書いた心理学・精神分析学批判の本。まあ批判というような大上段にふりかぶったものではなく、おちょくっているというような色彩のものだが。ということでとくにフロイトだけを批判した本ではない。
 実証的データによれば心理療法精神障害にほとんど無力で、場合によればおそろしい副作用を引き起こすという。わたしの知っている精神科の医師は、たいていの患者さんはカウンセリングに通うことで悪くなってしまうといっている。たいした問題ではないことの重大で深刻な意味づけがされ、どんどんと問題が拡大泥沼化していくのだそうである。
 多くの比較研究によれば、心理療法の効果はプラセボ効果に過ぎないのだそうである。要するに患者が効果があると思ってうけるから効く。しかし問題はプラセボ効果プラセボが投与されなければ生じないという点であろう。心理療法という儀式がおこなわれなければ何もおきないのである。まあ、何もおきないほうがよかったという場合も多いのであろうが。
 以下、教育の効果、能力開発、無意識、催眠、臨死体験などについての現在の神話の多くが否定されてゆく。まあたしかにとんでもない説がたくさん紹介されているから否定されて当然のものが多いのだが・・・。

 フロイトが自説を説いてから長い年月が流れた。フロイトは夢に大きな意味を見出したが、夢とはどのようなものであるかについては、それ以来格段に理解が進んだ。その理解からすれば、どう考えてもフロイトの説には事実認識のレベルで誤りであるとしかいえない部分がたくさんあることがわかる。しかし、それにもかかわらず、「全体としては」、「その根本的な人間理解においては」、「人間の深遠を示したものとして」云々といったわけのわからない修辞をつけてフロイトの説全体を救済しようというような態度があとをたたない。フロイトの説はその時代において、どのような点において画期的だったのであり、時代の制約のゆえにどのような誤りをおかしたのか、現在においてはまだ有意義であるのはどの部分であり、捨て去るべきであるのはどの部分であるについての冷静な議論がいっこうに見えないのは困ったことである。
 フロイトはあやまった理解に基づいてあやまった理論をつくりあげたのかもしれない。しかしその誤った理論にのっとって治療をおこなってみたところ「転移」と称する現象がおきることを発見した。実はフロイトの最大の業績は「転移」の発見かもしれないので、なぜなら「転移」という現象はいまだに臨床の現場においては連綿としておき続けているからである。もしも心理療法に効果があるとすればそれは「転移」がおきるからであるかもしれず、またその転移は人間対人間という関係から生じるものであるのかもしれず、これからも人間対人間の治療がおこなわれていくかぎりにおいては永遠に続いていくものであるのかもしれないからである。
 つまりフロイトは一人の人間が一人の人間である患者とむきあう治療ということをはじめたという点において画期的な人だったということなのかもしれない。そしてそういう治療が双方に大きな火傷を負わせることも多いのだということもまたはじめて示したひとであるのかしれない。それにくらべれば「無意識」などという与太話はどうでもいいことなのかもしれない。